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番外編「生涯一度の恋語り」蛇足
翌朝。
目が覚めたのは随分と日が昇ってからだった。いや、温かい抱き枕の抱き心地が良すぎて3度寝くらいした結果なんだが。
その間麒麟もぐっすりだったようで、身動ぎした俺に起こされて目をシパシパさせながら不思議そうな顔をしていた。完全に寝ぼけた様子も可愛い。
青少年の生理現象故にふたり揃って勃っていたから、このままお互いに処理しあうのも良い。良いんだが、朝は母親が帰ってきているのは間違いないので、我慢しておこう。麒麟の可愛い声を聞かれるのは腹立たしい。
「おはよう、麒麟」
「おはよ、ござ、まふ」
うむ。寝ぼけ声まで愛らしいな。
「よく寝てたな。もう10時くらいなるぞ」
「高吉さんがあったかかったせいですねぇ」
「おかげ、だろ」
「はい、おかげさまです。日々の寝不足解消させてもらいました。ありがとうございます」
喋っているうちに目が覚めたようで、言葉がはっきりしてきた。それからむくっと起き上がり、俺の股間を見下ろして苦笑い。
「手伝いましょうか?」
「非常にそそる申し出だが、残念ながらお断りだ。お袋がたぶん帰ってきてる」
「っ! 急いで着替えます!」
「ゆっくりで良いよ」
大慌てでベッドを降りていく麒麟に、何故そんなに慌てるのかと疑問しか浮かばず。振り返った麒麟の方が苦笑している。
「交際相手のご両親に初めてのご挨拶なんですから、気に入っていただけるように気合い入れますよ?」
「そーゆうもん?」
「そういうものです。ましてや高吉さんは俺と一生を望んでくれたじゃないですか。それなら、俺は稲嶺家の嫁としてお母様に気に入っていただけるよう努めるのが、恋人として当然の義務です」
「そうなのか。そう、だな、そういや。逆の立場は覚悟してたが、うちの親に改まって紹介とか考えてなかったわ」
「うちは大丈夫ですよ……、いや、ですかねぇ? 性別問題とか家柄がどうのとかは、鷲尾家の家訓的に全く問題ないんですが。親の感情については流石に予想がつきません」
「今のところ、反対されること前提だがな」
「? そうなんです?」
「可愛い跡取り息子を嫁にもらうんだぞ。諸手を挙げて賛成される訳がねぇな」
性別問題と家柄問題が取り沙汰されない家訓というのも謎なんだが。そこは追々問い質そう。
「とりあえず、親に話してくる。すぐ呼ぶから、ちょっと待ってろ」
「はい。……顔くらい洗いたかったですねぇ」
「洗面所に行く前にばったり会うな」
「でしょうね」
うちの間取りと俺の部屋の位置関係が、水回りは全てリビング経由だからな。親側に使いやすい配置だから仕方ないわけで。
もぞもぞと着替えている麒麟を置いて、寝乱れた寝間着のまま部屋を出る。寝起きの俺の行動としては普段通り。だが、部屋を出て目に入った人物は普段通りじゃなかった。
「……何でいるんだよ、オヤジ」
「なんだ、いちゃいけないのかよ。朝っぱらから息子の部屋から話し声が聞こえるから、こいつはキッチリお話しせにゃならんと気合い入れて待ち構えていたんだぞ。ほら、紹介しろ。待ちくたびれたぞ」
「あなた。ちょっと待ってあげなさいな。寝起きの子を急かすものじゃないわ」
仕事帰りのままなのかデート帰りなのか、グラスとペットボトルの緑茶を携えて華やかな恰好のままの母親がキッチンから出てくる。グラス4つまとめて持つあたり、商売柄なのか手がデカい証左なのか。
「こないだ話していた子かしら。口説き落とし成功?」
「おう。口説かれてくれた、大事なヤツだ。すぐ会わせるけど、その前にどんな相手か話させてくれ。俺が惚れて落としたヤツなんだ。少しでも傷つけたくない」
とりあえず呼んでこい、と目で指図するヤクザのお偉いさん丸出しな父親に、口で抵抗を図る。俺の表情から何を読み取ったか、父親は片眉上げて意外そうな表情をみせた。
「言ってみろ」
「まず、一番大事なところだが。男だからな。見た目も別に女みたいなところもない、普通の男だ」
「さっきから声は聞いてたから察してるぞ。それで?」
「へ? 反対は?」
「お前、俺の職業言ってみろ。そんなんそこら中にいるわ。お前が惚れたんなら間違いはねぇよ。自分の息子の人を見る目は信用してる」
やべぇ。心配の8割吹っ飛んだ。逆に、そんな業界だからこそホモとか唾棄する勢いかと思っていたんだが。
「で? まず、ってことは、他にもあるんだろ?」
「あ、あぁ。こっちはそんなに重要じゃない。むしろオヤジとお袋に付けておきたい前提知識っていうか。イイトコのお坊ちゃんだから、そのつもりでいてくれ」
「血筋か。そりゃ、こっちが気後れする側だな。まぁ、詳しくは本人に聞こうか。ほら、呼んでこい」
ほらほら、と促されて部屋に戻る。麒麟も声は聞いていたようで、困ったような嬉しいような、複雑な顔で笑っていた。手招きに従って寄ってきてくれる。ふわふわしてるくせに寝癖がないのは、直したのか寝癖になりにくいのか。くしゃくしゃにしてやったら子供っぽく笑った。
部屋を一歩出ればリビングというそこで、俺の横にスルリと出てきた麒麟が丁寧な仕草で頭を下げた。これ、俺も覚えなきゃな。
「はじめまして。鷲尾麒麟と申します。高吉さんとは親しくお付き合いをさせていただいております。どうぞよろしくお見知りおきください」
「丁寧なご挨拶いたみいる。まぁ、堅苦しいのは抜きにして、座ってくれ。高吉も、そこ座れ」
簡単に頷いて見せただけの父親が促すのに、俺も麒麟の手を引けば、失礼しますと言葉をかけて素直に俺の隣に腰掛けた。いちいち行動が綺麗なんだが、普段はここまでバカ丁寧な行動はしていないから、気合いが入っているのだろう。そのわりにガチガチに緊張しているような様子には見えないのがさすがだ。
「息子から良い家柄の子だと聞いているが、鷲尾というとあの鷲尾かな?」
「その筋の方がご存知のその鷲尾だと思います。分家筋ですが」
「鷲尾に本家も分家もないだろ。そうか、なんとも奇妙な縁だな」
父親と恋人の間に成立している某かの話題に俺がついていけないんだが、鷲尾家って何なんだ、一体。
話しについていけなかったのは母親も同じだったようで、注いだ緑茶のグラスを差し出しながら小首を傾げる。
「私が聞いても良いお話かしら?」
「隠すようなことじゃねぇよ。極道の中でも上の方の暗黙の了解で、一目置いた家柄ってだけのことだ」
「鷲尾家というのは、元々ヤクザ稼業に片足突っ込んでいた出自なんです。田舎の百姓の出で、戦後の闇市でうまいこと稼ぎを得まして、人のご縁から足抜けさせていただいて、築いた財を元手に立身出世した者が当家の初代に当たります。そのため、界隈の皆様とは媚びず離れず恩返しの機会を逃すな、と家訓に伝わっておりまして、今でも度々良いお付き合いをさせていただいているとか」
「俺自身は面識を得たこともないが、助力を得たら等価で返せと聞いている。もう亡くなった御大と良い関係だったらしくてな、面子を潰すなってよ」
「このまま良いお付き合いを続けていければ当家としても有り難いことです」
分家筋の未成年の子どもである麒麟が、家を代表するような態度で話しているのに俺は違和感しかないんだが、イイトコのお家柄ってのはみんなこんなんなんだろうか。俺にはよく分からん。
「そんな良い家の子がうちの息子なんかとイイ仲でいてくれるのは有り難いが、家は良いのかい?」
「問題ありません。性別も年の差も家柄も関係なく、本人同士の感情と選択を尊重するよう初代から代々教育を受けています。同性婚をしている親戚もありますし、子のいない分家もたくさんありますが、誰も気にしません。泡銭から立身した程度の家なので、数代で家系が途切れても何の問題もない、自分が幸せになることに全力を注げ、というのが初代の言だったそうです」
それは、同性婚したという初代の孫に対して言った言葉らしい。言われた側の人物は学校法人の創立者になっていて、自分の種では生み出さない分育てる側に回るとか、そんな思惑もあったとかなかったとか。はっきり本人から聞いた人はいないそうで、周囲の人間から見た感想が元になっているという。
「そうか。だが、うちの息子が相手で君は幸せになれるだろうか。お世辞にも良い育ちはしていないぞ」
「生まれ育ちについては全く問題になりません。私と一緒に生きてくれると、そのために努力してくれると言ってくれた言葉を信じます。幸せになる努力を惜しむ気はありませんし、最大限の助力をするつもりです」
ね、と俺を見る麒麟に、すかさず頷く。父親にも確かめるように目を向けられたのに、しっかり見返してやった。
「自分ができてねぇのはわかってる。手間をかけて悪いと思うが、麒麟に全面的に再教育してもらうつもりだ」
「まともに育ててやらんですまなかったな。そういうことなら、文句は言わねぇ。頼りないと思うが、俺ももう一人の父親と思ってくれると嬉しい。息子をよろしく頼む」
「こちらこそ、末永くよろしくお願いします。お義父さん」
何時の間に嫁入りの挨拶になったのか。間違っちゃいねぇけどよ。
麒麟が父親を義父と呼んだのに、即座に反応したのは母親だった。
「あら、ズルい。私も母と呼んで欲しいわ」
「はい、お義母さん。よろしくご指導ください」
「ふふ。指導されるのは多分私の方ね」
全く悪びれないどころか嬉しそうなあたり、俺の母親だな。そっくりだ。
それから、身支度させてくれ、と麒麟が洗面所に引っ込んでいくと、即座に両親に詰め寄られた。
「あんな良い子どこで見つけてきたの!」
「お前ホントあれどこで拾ってきた!」
何だこの似た者夫婦。ご馳走さん。
「俺の人を見る目は信用してるんだろ?」
「いやお前、ボロボロのルアーでマグロ一本釣りしたレベルじゃねぇか」
オヤジさんよ、自分の息子にそこまで言うか。同意するけどよ。
「で、会った感想は?」
「「デカした!」」
「お、おう。誉められたんか、これ」
声が揃った両親の反応がきっと聞こえたのだろう。洗面所で麒麟が吹いてるぞ。
「てか、オヤジ、今日珍しく休みか?」
「む。……昼過ぎには出る」
「なら寝とけよ。どうせ寝てねぇんだろ? お袋も」
昨日はデートだったふたりが今一緒にいるということは、しかも化粧完璧なままということも加味すると、そのまま母親の職場に流れてさらにそのまま夜を明かしているのだろう。本来なら今頃双方とも睡眠時間のはずなのだ。無理せず寝た方が良い。今夜は母親の店の方は定休日だけどな。
反論もなく、促された途端に大欠伸をした父親は、誤魔化されてやるか、と嘯いて、重たそうに腰を上げた。廊下でばったり会ったようで、洗面所空きました、と麒麟が言うのが聞こえた。
さて、父親を迎えに組の若い衆が顔を見せる前に、麒麟連れて退散といきますか。行き先はいつもの溜まり場で。早いうちに橋元とチームの仲間にも面通ししとかねぇとな。
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