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第7話

これまで、博也が同性相手に淡い恋心を抱いたことは何度かあった。 小学校時代の担任の先生、中学校時代の先輩、高校時代の同級生、大学時代の派手なサークルの幹事長。 けれど、恋とセックスが結びついた相手はモモだけだった。 同じだけの思いを返してくれるわけではないけれど、全身全霊で好きになって、時間を共に過ごし、たまらなく気持ちよくて恥ずかしくて幸せな触れ合いを教えてくれた。 モモはホストだった。だからこそ博也に声をかけてくれたし、側にいてくれた。 博也がゲイであることを受け止め、まるで恋人同士みたいな幸せな時間を与えてくれたのは、博也が少しお金をもっていて、モモがホストという特殊な仕事だったからだ。 だって、ホストのモモ以外に、側にいてくれた人なんていなかった。 コータのことは素敵だし、可愛いし、とても好きだと思う。 けれど、お互いにたった一人の存在として、恋人になるなんて、ほんの少しも考えてもみなかった。 だって、コータはホストだ。お金を受け取る代わりに、沢山の人に愛を配る。 そんな沢山の愛の中に、ひとつだけ本当の愛が混ざることなんてあるのだろうか。 それを受け取った人は、全部の気持ち同士を送り合う恋人同士にはなれなくても、本当の気持ちを通じ合わせる恋人同士にはなれたりするのだろうか。 もしそうなら。たった一人の恋人じゃないとしても、愛し合う本当の恋人になれるというのなら。 モモとだって恋人同士になれたということだろうか。 諦めなくてよかったんだろうか。 絶対に自分のものにならないと信じていたモモが、心だけは自分のものになってくれる可能性があったということだろうか。 呆然とする博也の瞳に、コータは映っていなかった。 ――わかってたつもりだったけど、きっついな……。あんだけ全力で抱いても、ダメか……。 コータは、博也の脳裏に鮮やかに浮かんだモモが見えるかのように吐き出した。 「今ホスト辞めてあんたに告白したって無理じゃん。あんたがっつりモモさんに惚れてるし、悔しいけど俺じゃまだ何一つモモさんに敵わない」 ホストなんて初めは馬鹿にしていた。女から金を巻き上げるだけの、手軽で薄汚れた商売だと。 だから、自暴自棄だった時期に、身を落とすような気持ちでスカウトに応じた。 実際にその世界に入ってみたら、想像通り糞みたいな野郎が大部分だったけれど、ホスト一本で何年も生活できている一部の人たちは、魅力的で努力も惜しまないプロなのだと知った。 けれど、そんなプロになれる気はしなかったし、なる気もなかったから、糞みたいなホストの一人としてダラダラやってきた。 自分にはいい大学の学生って肩書きもあるし、映画もあるし、水商売で一生終える気もないし。 そう(うそぶ)いて。 「俺、モモさんにナンバー勝てるように頑張るよ。気合い入れて、短期間で卒業までの学費と生活費がっつり稼ぐ」 コータは、悔しさの滲む声を絞り出した。 掻き乱した髪の毛が一筋、俯く目元を覆い、その表情は博也からは見えない。視線はゴミの散らばる、祭りの後のアスファルトに据えられている。 繋いだ博也の手は、痛いほどの力で握り込まれていた。 コータは、自分のライバルの映画を見て痛々しくも穏やかに声を震わせていた学生と同じ人物だとは思えないほど、苛烈に吐き出した。 「だから、早く俺にハマってよ!デートしまくってヤリまくって俺色に染まってよ!」 諦めることなど思いつきもしない勢いで、畳み掛けるように言い募った。 それは夢破れ、岐路に立つ、等身大の男の、振り絞るような叫びだった。 博也は完全に圧倒されていた。 こんなに激しい本物の感情の吐露を見たことなどなかった。 しかもその激しさは、他でもない博也に向けられている。 差し出すことしか知らなかった博也に、生まれて初めて、迸るような強い想いが真っ直ぐにぶつけられた。 呆然として、力が抜ける。 まるで本当に打ち抜かれたかのように膝から崩れ落ちそうになる博也を、コータが掬い上げて思い切り抱き寄せた。 ぐずっ、と鼻をすする音が博也の頭の後ろから聞こえる。 まるで、大きな子供に離したくないと抱き込まれているテディベアになったような気がした。 抱き締められているのは博也なのに、抱きついてくるこの子を慰めてあげたいような気持ちになる。 コータは独り言のように、小さな声で、抱き締めた博也の背中に向けて言葉を綴った。 書き記すように。刻み込むように。 「そんで、俺色に染まった博也さんは、万札(まんさつ)一枚だけ握り締めて、久しぶりにマノンに来んの。 モモさんがびっくりしながら駆け寄って、あんたを抱き締めようとするけど、あんたはそれを拒まなきゃ駄目だからな。 で、『ごめんね、コータがナンバーワンになったお祝いしに来ただけだから』ってはにかむんだ。 俺がその場に出て行くと、博也さんはいきなりキリッとして、『ほら、もうトップは取ったんだから満足だろ。ホスト辞めて黙って僕について来い』って手を差し出すの。 びっくりしてる店内のホスト全員の前で俺は、博也さんかっこいい!博也さんについていきます!って言ってきっぱりホスト辞めるんだ。 そんで、大学に復学して、卒業したらマトモに就職する。ラストはめくるめくR18の濡れ場で、愛を確かめ合う二人っていう」 体を少しだけ離し、だがまだその長い腕に博也を閉じ込めたまま、コータはようやく視線を合わせた。 「どう?こんな脚本」 くしゃりと顔を歪めて。 「……とんだ駄作だね」 何か言わなければと思い吐き出した言葉は、無様に震えていた。 博也は素人目にも馬鹿馬鹿しい脚本を鼻で笑おうとしたのに、うまく笑い飛ばせなくて、代わりに鼻水が出てしまう。 目に被るほど伸びた前髪を掻き上げるふりで、滲んだ目元を浴衣の袖口で素早く拭った。 わざわざお金を払って観たがる客なんていないだろう、つまらないラブストーリー。陳腐で、非現実的な、三文芝居。 けれど、なんてキラキラして、夢がある映画なんだろうか。 ずっと、その中で生きていきたいほど。 そんなにうまくいくはずがないとわかっている。 大前提として、博也がモモの目の前でコータを選ぶほど惚れる必要があるし、コータもそれまで博也を想い続けていないといけない時点で、かなりハードルが高いだろう。 それに、ナンバーワンになるまで他の客と関係が続くのだから、どちらかといえば九割はドロドロの愛憎劇になるんじゃなかろうか。 けれど、いい大学で映画を学んでいる学生なら、もしかしたら本当に大団円の作品として仕上げられるかもしれないとも、少しだけ思えた。 「その映画、製作期間は長くなりそうだね。ナンバーワンの役作りは並大抵の努力じゃ無理だし、僕について来いって言うヒーロー役も、候補の役者が大根すぎるもん」 自分に向けられた愛の告白に難癖をつけてしまう程度には、博也はホストをよく知っているし、自分のモモへの想いが重いこともわかっている。 けれど。 「でも、できればその役は、他の人には譲りたくないかな。映画そのものも、お蔵入りにしないでほしい」 ――そのシーンを実現できるまで、待ってるから、待ってて。 博也の鼻も目も、昨日会った時からずっと赤い。その目に、また新たな涙が浮かんでいた。 泣いたり喘いだり忙しかった顔には疲労の色も見えたが、どこか晴れ晴れとしている。 博也のモモへの想いも、コータの屈託も、今すぐに綺麗さっぱり無くなるようなものではない。 けれど、同じクライマックスのシーンを思い描けるなら、ゆっくりとでもそこへ向かって歩めばいいだけだ。 何しろ今二人の手元には、店外デートに向かうタクシー代の二千円が残っている。 「監督自ら役作りに邁進し、ヒーロー役の役者さんにも毎日ベッドで演技指導するから、案外早く撮れると思うよ。大丈夫。俺、人物撮るのだけは、河辺よりうまいからさ」 ようやく駅前のタクシー乗り場にたどり着くと、三組ほど客が並んでいた。年齢も組み合わせもバラバラだが、皆一様に、酒や色や喧騒の残り香を漂わせてぐったりとしている。 その列に並び、博也とコータも長い夜の果てを思わせる倦怠感に身を寄せ合った。 「あ、ちなみにさっきのR18ホスト映画、撮影も俺だから。まずはこれから博也さんちでベッドシーン撮るし」 眠気に負けそうな声で監督がぼそぼそと指示を飛ばす。博也も立ち止まった途端に眠気がぶり返していた。立ったまま寝そうだ。 映画館で睡眠をとったとはいえ、それくらいでは回復しきれないくらい、精神的にも肉体的にも長い夜だった。 寝不足特有の、熱をもったような脳みそがとろとろと考える。 ――これからベッドシーンか……ラッキー……。またあの長いので奥突いて、熱いの出してもらえるの、うれしー……。コータ君って、一晩に何回出せるのかなぁ……。 何しろ、この男はモモの代わりどころか、モモとは見たことの無いその先まで博也と一緒に歩いていこうとしているらしい。 しかも、そうなるように、セックスしまくって博也をその色で染めてくれるらしいのだ。 ――モモの全部が好きだけど、特に底なしの性欲と体力はほんと素敵だったんだよねぇ。お友達だとほどほどにしないと駄目かなって思ったけど、恋人候補なら、もっと突いて、もっと奥にかけてっていっぱい言っても許されるよね……? 一度中でいけたら、翌朝くらいならば余裕で勘を取り戻せる。いくらでもいき続けられる。種付けの快感を知った今なら、文字通り、出なくなるまで搾り取ってやれるというものだった。 果たして、この迷監督は大根役者の博也を、時間がかかっても本当に彼の映画へ出演させてくれるだろうか。 唯一にして代表作の、『モモ』という永遠とも思える作品から引っ張り出して。『モモ』は記憶に残る名作すぎて、折に触れて博也を追憶に引き戻すだろうに。 『モモ』に引きずられる時間は、果てしなく長く思われた。いっそ、コールドスリープに入ってやり過ごしたいほど。 しかしそれは逆に、目覚めに希望を抱いているということに他ならなかった。 ようやく順番が回ってきたタクシーの後部座席で、運転手に目的地を告げるなり、博也とコータは互いに遠慮なく相手の肩に寄りかかった。お互いに据わりのいいポジションを求め、こめかみを擦り付け、軽く唸る。相手にとってだけ居心地のいい場所は許さず、自分にとっても楽な姿勢を探した。 そして一分後、運転手はバックミラーの中に、酷く寝苦しそうな体勢なのに熟睡している二人の男を見た。 すぐに着きますよー、と声をかけようか迷う。寝かせてあげたい気持ちもあるし、すぐに下りるのにあまり深い眠りにつくのも逆に可哀想かなとも思う。 するとまるで逡巡する声が聞こえたかのように、浴衣の男がはっと寝ぼけ眼を開いた。 「プラグ……忘れた……」 プラグ?電気工事の会社にでも勤めているのだろうか。 しかし、その彼はしばらく難しい顔で眉根を寄せた後、もういいかというように小さく笑って再び眠りに落ちた。 もうほんのすぐそこ、信号を曲がったところが目的地だ。本当に近かった。 だが運転手は、きっちりサイドブレーキを引いてからこの客を起こすことにしてやった。 きっとその方が、目的地への道のりが更に短く感じられるだろうから。 ≪了≫

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