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第6話

笑ってしまう膝とがたつく腰を互いに支え合い、よろよろと劇場内に戻ってきた二人は、先程と同じ座席に崩れるように腰を下ろした。 スクリーンでは、再び河辺敦彦の作品が流れている。 ちょうど打ち上げ花火のシーンだった。 博也は、さっきよりも音が遅れてないような気がするなぁとぼんやり思う。 スクリーンに目を向けるコータは、もう痛みを堪えるような表情はしておらず、ただ満足げに微笑んでいた。 そして、スピーカーから流れるどおぉぉんという花火の爆発音を聞きながら、二人揃って泥のような眠りに落ちる。 オールナイト上映の小さな映画館は、明滅と爆音と静寂を繰り返し、軽く(いびき)までかきながら眠りこける二人を赦した。 恋を諦めた男と、夢を諦めた男を。 そして、新しく始まるのかもしれない二人を。 もしかすると、肉欲の深みに嵌った二人を。 気付けば始発電車が動く時間になっていて、二人は劇場のスタッフに追い出された。 博也は寝乱れた――あらゆる意味で――浴衣の合わせを掻き抱き、受付に座っていた時以上に無愛想になっているスタッフに、不機嫌の理由を考えないように努めながら忙しなく会釈をしてビルを出る。 白々とした夜明けというにはもうすっかり明るくなっている路地に、博也とコータは二人揃って目をしょぼしょぼと瞬かせた。 手を繋いで、駅方面への道のりを歩く。 博也の足を覆っているのは、当然あの使い捨ての室内用スリッパだ。 『高いばんそこ』で守られた鼻緒擦れは、たった一晩でかなり痛みが引いていて、つくつくと小さく疼くだけになっていた。 駅前の商店街は閑散としていて、昨夜の花火大会の名残は散らばるゴミくらいしかなかった。秋の訪れを感じさせる、ひんやりとした朝だ。 「祭りの後の晴れ晴れとした寂しさって、嫌いじゃないんだよね」 とコータが口にした。 「寂しいのが嫌いじゃないなんて、強いね。でも今はちょっとだけわかる気がする」 と博也が応じる。 「指名替えしてどう?新しい担当の枕に満足できそう?」 冗談めかしてコータが問うた。 客と寝ることを枕と呼ぶが、面白い言葉だ。奥ゆかしいとすら言えるだろう。 何しろ、昨夜の自分たちは横になってもいないのだから。 そう考えると、博也はなんだかおかしくて笑ってしまった。 「枕っていうか、うん、まぁ、その、すごくよかったかな、色んな意味で。 でも、もうお金ないしなぁ。またホスト指名するの厳しいなぁ」 手にした下駄と巾着袋を子供のように振り回す。コータが本気で指名しろと言っている訳ではないとわかっているから、単なる言葉遊びだ。 ホスト通いを冗談にできるなんて、想像したこともなかった。 「貯金が戻るまで店には来させないってば。でも俺が奢るって言ってもあんたは気を遣うだろうから、店外デートはしばらく安い所ってことで。 でも、あーあ、ホテルって結構金かかるし、そうなるとしばらくお預けかなぁ」 残念そうな素振りを見せるわざとらしい横顔に、博也はぺたりと千円札を押し付けた。 「なんと、これにあと一枚足すと、タクシーでうちまで来られます」 ホストに最小単位の札だけを差し出すのは、初めての経験だった。 「なんと、俺も同じの一枚持ってます」 ホストに財布から出した札を、頭の上に乗せられるのも。 「じゃあ今日の店外デートは、あんたの家で決定。そんで、正面から顔見ながら抱く」 にやりと笑われるが、博也は苦笑するしかない。 「いや、今日はもう無理でしょ。一生分くらいすごい量出たって、さっきぼやいてたのに」 実際、道中でコンビニのトイレに立ち寄ってできるだけ拭ったが、まだかなり中に残っている気がした。 しかしコータは、わかってないなぁと言うかのようにわざとらしく首を振り、コンビニの袋から鶏のムネ肉を加工したパウチ食品を取り出した。そして、パッケージに書かれた『高タンパク』という売り文句を、博也の目の前に突きつける。 「昨日は博也さんと会うまでの一生分を出したんですぅ。俺今日からガンガンザーメン作りまくって、博也さんにガッツリ中出ししまくるから」 さすがにかぁっと赤面し、博也は体内のたんぱく質生成に寄与しそうな肉を取り上げた。 「つ、次からゴムつけるって言った!」 しかし、再び鶏肉を取り戻したコータは、まるで悪びれもしなかった。 「いや、だってあんたが中出しであんなに喜ぶと思わないじゃん?『何これすごいぃー熱いよぉー気持ちいいよぉー』って、イった後まで便器にしがみついて腰振ってんの見ちまったら、もうこれからも中出ししまくるしかないっしょ」 その辺りは朦朧としていて全く記憶が無いので、コータの捏造の可能性は大いにある。 しかし、火傷しそうなほど熱い粘液が奥に叩きつけられて、摩擦で腫れ上がった敏感な内壁を逆流する感触は、確かに博也にとって未知の、たまらない快感ではあった。 「ホ、ホストはゴムつけるのが礼儀なんだよ!先輩に教わらなかったの?色んなお客さんいるんだから、媒介しちゃうし、君自身も危ないでしょ」 照れ隠しで言い募りながらも、博也は自分の言葉でほんの少しだけ胸が痛んだ。 コータは他のお客さんとも寝る。だって、ホストなんだから。当たり前のことだ。 そんな胸の痛みさえ、もしかしたらホストとするセックスの醍醐味なのかもしれない。 しかしコータは、馬鹿にしたように言い放った。 「いちいちゴムつけてられるわけないじゃん。あんたの鼻緒擦れが治ったら遊園地とか水族館とか行って、物陰で立ちバックだろ。昨日みたいにしょぼい映画館ではもちろん座席でまた本番やって、混んでる映画館でもこっそりフェラくらいはする。ファミレスとか居酒屋とかのテーブルで手コキし合って、帰り道に公園で青カン。家ではもちろん、ありとあらゆる体位やプレイで気絶するまでセックス。これ、ゴムしてる暇なくね?」 示されたセックス計画に、博也は真っ赤になって口をパクパクさせた。 なんて奴だ。 確かに全部、ちょっと、いやかなり、魅力的ではあるけれど――。 「この、枕ホストっ!」 ぴしゃりと言い放つが、繋いだ手を振りほどきはしなかった。 コータはそんな繋がった手に、ぐっと力を入れる。 「それくらいしないとダメかなぁって。博也さん、マジでヤバすぎる。 庇うわけじゃないけど、モモさんって普通に客のプライバシー尊重する方なんだよね。でもそのモモさんが、『博也はヤバい。名器な上にいくらでも俺好みにエロくなる。しかも、超健気』って零してて。 どんなドリームだよって思ってたけど、昨日マジで俺はその片鱗を見た。これはもう、モモさんのやり方に染まったあんたを、自分色に染め直すしかない。ていうか、積極的に染めまくってやりたい。 だから手始めに、ザーメンの量増やしてマーキングすることにしたから。異論は認めない」 言葉にした内容のあまりの馬鹿馬鹿しさからは考えられないほど、そう口にするコータの横顔は真剣だった。 確かに博也は、もしかしたらほんの少しだけ性欲は強い方なのかもしれないが、それをコータに押し付けるつもりはないのに。 「や、そんな無理してもらわなくても……。コータくん他にもお客さんついてるでしょ?もちろんたまには、だ、抱いてくれたら嬉しいなと思うけど、基本的に自分の性欲くらい自分でなんとかするよ。心配してくれなくても、もうモモにホテル行こうって言ったりしないから。大丈夫」 指名替えなどいう言い方をしたが、実際はモモと手を切り、寂しさはコータで埋めろと言ってくれたのだとわかっている。 すごく優しい申し出だし、博也を思い遣ってくれているのもわかるし、それに甘えさせてもらおうと思っている。 でも、だからといって。 「あんまり気を遣わないで?僕はお金使ってないから、ちゃんとした客ともいえないし。だから、うーん、つまり実際のところは、セックスもするお友達って感じなわけでしょ」 今、この人はなんと言ったのだ。 コータは愕然とした。 ――いや、確かにはっきり付き合おうって告白したわけじゃないし、まだモモさんのことが好きなのも重々知ってるけども。それにしたって、セックスもする友達だって? ぴきっと表情が固まったコータに気付きもせず、手を繋いで歩く博也は楽しげに続けた。 「あ!そうなると僕の初めての友達だね!でも、僕ばっかりが甘えるのは友達として良くないよね……。 今はお金ないし、何にも特技もないけど、僕にできることがあったら何でも言ってね。君のためなら何でもするよ。友達の力になれるとか、考えただけでわくわくするっ」 博也はにこにこと笑った。モモへの絶望的な恋を吐き出していた昨日からは想像もできないような、希望に満ちた笑顔だった。 しかしコータは、そんな博也を異星人でも見るかのような目で眺めている。 「あんな濃いセックスして、これからも色んなシチュエーションでやりまくろうって話してるのに、俺とあんたってお友達なの?」 もちろん、時間をかけるつもりはある。けれど、ここまで対象外扱いされているとは思ってもみなかった。 だが博也は、初めてできた友人という、それはそれで大事なのだと思われるポジションについて力説した。 「だって、どんなにコータ君が指名替えって言い張ってくれても、お金払ってない以上は正式にはホストと指名客にならないでしょ。でも、知り合いってほど余所余所しくもないし。 セックスしたらセフレって言うのかもしれないけど、僕はコータ君とはセックスだけがしたいわけじゃないんだよね。 昨日コータ君に話聞いてもらって、人生変わるレベルで救われたし、僕もコータ君と一緒に、なんていうか、大切、かな、そんな映画を観させてもらって、嬉しかった。もっと君のこと知りたいし、僕のこともできれば知ってほしい。沢山の時間を共有したい。 ねぇ、やっぱこういうのって、友達ってやつだと思うんだけど」 聞けば聞くほど脈ありだと思える話だった。博也の友人観はともかく、コータと一緒にいたいと思ってくれているのは明らかだ。 けれど、だからこそ、本当に不思議だった。 「博也さんてさ、そこに彼氏とか恋人って単語が入る余地はないの?」 博也は歩みを止めないまま、手を繋ぐコータを見上げた。 本当に、きょとん、としか表現できない邪気のない表情で。 「え?だってコータ君、ホストでしょ?」 嫌味などではなく、心の底からそう思っているとわかり、愕然とした。何言ってんの?とばかりな博也の頭の中には、ホストとの本当の恋愛は、存在すらしないらしい。 嘘だろと血の気が引くコータを他所に、博也はしみじみと語った。自分の話を聞いてもらえる、初めての友人に向かって。 「彼氏とか恋人ってすごいよね。正直、すっごい憧れるなぁ。お互いがお互いのたった一人の想う相手だなんて、どんな感じなんだろ。 コータ君はノンケだしイケメンだから、ホストになる前はきっと彼女いたよね。……いいなぁ……。 あっ!気を悪くしないでね。恋人でも別れることはあるって知ってるよ。ただ、一生に一度でいいから、ほんの一瞬でも、自分にとって相手が全てで、相手にとって自分が全てっていうの、経験してみたいなって。 いつか僕にもそういう相手が現れるはずって、本当は子供の頃から思ってたんだけど、やっぱり難しいね。僕はゲイだし、もうこの歳までそういう相手に出会えなかったら、一生無理かな……。 自分にとって全てだと思える人に出会えて、抱いてもらえただけでも、幸せなことだよね……」 お互いに想い合う。それは確かに奇跡だが、世の中には比較的ありふれたタイプの奇跡だ。 博也の身の上にだって、きっと訪れるはずの。 モモへの想いと同じか、それを超えるほどの想いを、今隣にいる男に抱きさえすれば、すぐにでも。 だが、次の言葉でコータは頭を殴られたかと思うほど打ちのめされた。 「そう考えると、ホストって本当にすごい仕事だよね。尊敬するよ。皆に優しくして、皆に愛を囁いて、皆とセックスして、自分の愛を分散させて。相手からぶつけられるたった一つの愛をいくつも受け止めて。しんどいんだろうなぁって。 ホストでいる以上、たった一人の恋人と同じだけの愛を交し合うことは絶対にできないんだもん。ホストって存在そのものが、沢山の愛の代名詞みたいなものだから、恋人同士って関係とは矛盾するよね。 あんなにモテるのに、誰とも恋人になれないなんて。僕は容姿が良かったとしても、百回生まれ変わってもホストにはなれないだろうなぁ。ほんと、尊敬する」 恋人とは、愛し愛されるたった一人の相手。 博也はそう固く信じているのだ。自然に。純粋に。 そしてそれは正しい。 コータが今まで恋人という存在について、真剣に考えてこなかっただけで。 ホストは客と本当の恋人同士ではないが、擬似的な恋愛関係を売りにしていることは言うまでもない。 だから余計に、ホストと客が本当の意味で一対一の恋人同士にはなれないのだと、改めて考えたことなどなかったのだ。 しかも、博也にとって、ホストとはイコールモモだった。 ホストだって、客の全てに優しくできるなんて極々一部だし、指名客の全員と寝ているわけではない。 だが、博也にとってはホストといえばモモだ。コータも、モモと同じカテゴリーの生き物なのだ。 そして、ホストのモモは、博也が生まれて初めて全力で恋をした魅力的な相手だった。 博也にとって、恋といえばモモ。セックスといえばモモ。幸せといえばモモ。苦しみといえばモモ。ありえないとわかってはいるけれど、たった一人愛し合う恋人になってくれたらと思っていた相手が、モモだ。 モモが他の仕事をしているところが想像できないほどの天性のホストである以上、博也がモモと築いた関係性こそが、ホストと自分の関係性なのだと思ってしまっても無理はない。 そしてそれは、あながち間違ってもいないのだ。 コータにも、コンスタントに寝ている指名客は何人もいる。彼女たちに愛を囁きもする。俺はモモさんとは違うとは、とても言えない。 しかも、モモほどプロに徹することもできず、売り上げというわかりやすい数字も足元にも及ばない身では、博也の中の魅力的なホストのモモを決して超えられない。 今すぐ他の仕事に就いて、全く違ったところからアプローチしてみようかとも考える。 だがそれでは、いつまで経っても博也の中のモモは色褪せないだろう。 コータは騙し絵に隠された図柄がどうしても見えないかのように眉根を寄せ、博也を見つめた。 かと思うと、次の瞬間には、あーっ!と忌々しげに自分の髪の毛を掻き回した。 「確かに俺は博也さんに、『好きだよ。本当にあんただけだ。恋人として側にいてくれ』って言えるような生活はしてない」 吐き捨てるような口調とは裏腹に、立ち止まったコータの顔は傷ついているかのようだった。 「だけど、もしそういう生活をしてたら、間違いなくあんたにそう言ってた」

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