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拓海の涙
✳︎『運命の相手?』の後の出来事
静くんを追い込んでしまった。
その事をいくら後悔しても仕様がないことは自分でも分かっている。
いつもだったら明さんが帰って来るまでに夕飯を作るのだが、今日は仕事で少し遅くなると連絡があった。
自分の為だけに料理をする気にもなれず、ボーッとダイニングの椅子に座る。
未だに静くんの『ごめん…なさい……』という声が耳から離れない。
今日の出来事を思い出していたら、明さんが帰って来た事にも気が付かなかった。
「ただいま。……ってどうした?」
明さんが帰って来たら謝らなきゃって思っていたのに、体は動かないし、視界はボヤけているし。
気が付けば自分の目から止めどなく涙が溢れていた。
「ごめっ…うぅっ…っずかっ…くっ………」
言葉にならない。それでも謝らなきゃという気持ちが先にたつ。
「とりあえず、落ち着け」
明さんはそう言うと優しく抱き締めてくれた。
でも今はその優しさが苦しい。
声を出さない様にしていたのに、背中をポンポンとあやすように叩かれ、わんわんと子供の様に泣いてしまう。
「気が済むまで泣いたらいい」
いつまでそうしていだろうか。
泣き止んでも気恥ずかしくて、しばらく明さんの胸に顔を埋めていた。
「ん? もう平気か?」
顔を上げると明さんは微笑んでくれた。
この笑顔が凍りつくかも。もしかしたら出て行けって言われるかも。
いくつも最悪のことを考える。
それでも謝らなくてはいけない。
「ごめんなさい。静くんを傷つけてしまいました」
「そうか。それで?」
怒られると思っていたのに、拍子抜けする程あっさりと言われる。
「怒らないんですか?」
「んー。具体的に聞いてからどうするか決める。訳もなく傷つけたりしないだろ?」
具体的にか…。どこから話せばいい?
理事長の話もしないといけないかな。
「で、何があったんだ?」
そう明さんに促されて、今日の事を話し始めた。
「入学式が終わってから、理事長に呼び出されたんです。明さんと一緒に住んでることは問題だって」
「はぁ? そんなプライベートなこと、そいつには関係ないだろうが。勿論、そう反論したんだろ?」
明さんが自分の事の様に怒ってくれる。
「反論しても、聞く耳を持ってくれなくて。そこに静くんが呼ばれたんです。事情を聞きたいって。兄弟だからって鈴も一緒にいたから、鈴が静くんを連れて来てくれました」
理事長に怒っているのか明さんの表情が険しくなる。
「あの時の静くん格好良かったなぁ。理事長を黙らせて、最後には“この事に関しては、今後も一切不問とする”なんて言わせて。でも、理事長室を出たらその場に座り込んじゃって。きっとあんなに声を出したのが事故以来初めてだったはずなんです」
「さすが静だ。拓海の事助けなきゃって頑張ったんだなぁ」
穏やかな顔に戻った明さんがうんうんと嬉しそうに頷いている。
「僕が運ばなきゃって思った時には、鈴が静くんのこと抱き上げてて」
「鈴成くんが? 静は嫌がらなかったのか?」
明さんも自分と同じように疑問を持ったようだった。
「全く。無条件で触れてた。後で静くんと2人だけになった時に聞いたら“訳が分からない。触られても全く嫌じゃなかった”なんて言われて。自分が思ってる以上に鈴に嫉妬したんだと思います」
そこで一呼吸おいてから、続けた。
「静くんに無条件で触れる人が現れたら、それは運命の相手なんじゃないかって思っていました。その事を伝えたらそんな人はいる訳がない、なんて言うから。人を好きになる事を知ってほしい。静くんが明さんにではなく、僕が明さんに持っている感情の方をって言っちゃったんです」
その時の静くんを思い出すだけで涙が込み上げてくる。
「そんなのは知らなくていいって。最後にはごめんなさいって言わせちゃった。あの時自分が医者だってことすっかり忘れていました。静くんのことこれ以上傷つけないようにって決めてたのに。どこが主治医なんだろう」
どんな罵声でも浴びる覚悟は出来ていた。
それなのに言われた言葉は自分の予想とは全く違うものだった。
「傷つけていいんだよ」
「いい訳ないです!」
穏やかに発せられた声に反論する。
「いいの。拓海は静の家族なんだから。出会ったのが医者としてだったから難しいとは思うけど、俺はずっと医者としてではなく、家族として静に接して欲しいと思ってた」
明さんはさっきと同じ様に抱き締めてくれた。
「でも、静くんは」
「大丈夫。あの子は面倒な事は大嫌いだろ? 理事長を相手に倒れるまで戦ったなんて、何とも思ってない人の為にしないよ。静は拓海のこと大好きなんだよ。ちゃんと家族だって思ってる」
明さんがそんな風に考えてくれていたなんて、嬉しかった。
自分だけが勝手に家族だと思っているだけかも、と考えていたのに、明さんに言われると家族の一員になれた気になってくる。
「しばらくはぎごちなくなるかもしれないが、静には今まで通り接したらいいよ。拓海が態度を変えることはない」
医師としての自分が戻ってくるのを感じた。
「そうですね。ここで僕の態度が変わったら、それこそ静くんに嫌われちゃいますね」
ようやく笑うことが出来た。
「泣き顔も可愛いけど、やっぱり笑った顔の方が好きだな」
この人は何を言っているんだろう。
急に言われた言葉に顔が熱くなる。
きっと真っ赤になってる顔を見られない様に明さんに抱き着いた。
一際強く抱き締められてから引き剥がされ顔を覗き込まれる。
「見ないで」
「無理。どんな拓海でも見てたいの」
「バカ」
この人に何を言っても無駄なことは分かっていた筈なのに、言わずにはいられない。
「バカはないだろ?」
苦笑する様も格好いい。
「大好き」
唐突に、だけど素直に口からそんな言葉が出てきた。
もしかしたらエッチなことしてる時以外で言ったの初めてだったかも。
「俺も大好きだよ」
少し照れくさそうにそう言うと、触れるだけの優しいキスをされた。
なんだか誓いのキスみたいだなんて思ったら自然と笑みがこぼれる。
「じっとしてて」
ふわっと体が浮く。
お姫様抱っこをされている事に気がつくまで結構な時間を要した。
鍛えられた体は軽くはない自分を抱き上げてもふらつくこともなかった。
ベッドに優しく降ろされて、きっと抱かれるんだなぁなんて色気のない事を考えていた。
「今日はもう寝なさい」
またも予期せぬことを言われた。
「え? しないの?」
驚きのあまり、まるで自分はしたいって言ってるみたいになってしまった。
「したいけど、今日は抱かない。抱いたら静のことも全部頭から無くなっちゃうだろ?」
確かにいつも何も考えられなくなってしまう。
コクンと頷くと頭を撫でられた。
「そうなったら拓海が後悔しそうだから、今日は抱かないよ。その代わり、抱き枕にはするから」
いつも自分の事を考えてくれてる。
この人の事を好きになってよかった。
好きだと思ってもらえてよかった。
そんな奇跡に感謝して目を閉じた。
久々に泣いて疲れていたのか、すぐに眠りに落ちてしまった。
だから、数十分後にやって来た明さんが僕を抱き締めて
「愛してる」
と言ってくれた事は知らない。
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