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第十話『 誓い 』 下
「み~つる~!」
美鶴 が瑞季 らの会話を聞いてしまった夜から数日経ったある日の放課後。
学生寮のエントランスで美鶴の名を呼びながらぴょんぴょんと跳ねる人物がいた。二年生の実和 だ。そんな美鶴らの先輩である彼は、その縦に長い身体を軽快に跳ねさせながら、すっかり夏らしく結いあげた黄緑色のハネッ毛を揺らしている。
「あ、チカちゃん早い~」
実和の前まで行くなりそう言った美鶴は、実和に合わせて同じようにぴょんぴょんと跳ねながらその場で実和と手をじゃれさせる。
美鶴は実和のことを“チカちゃん”と呼んでいる。また、美鶴が実和に敬語を使っていないのは、実和たっての希望があったからだった。
実和は基本的に、必要がない限りは敬語は使われない方が気楽という性分なのである。
それゆえに、内面的な波長も合うせいか、二人が打ち解けるのも、こうしてフランクに会話をするに至るまでもそう時間はかからなかった。
そして今では大層仲の良い友人同士となり、美鶴と実和は出会うたびにこのようにじゃれ合いをし、長い挨拶を交わすのが常となっていた。
「お前らほんと元気な……」
そんな二人を見てそう感想を漏らしたのは真智 だ。どうやら事前に約束していた時刻より早めにエントランスに着いていたらしい真智は、先に実和と合流していたようだった。
「はは、確かに」
その様子を見て、美鶴と一緒にエントランスにやってきていた瑞季も笑いながら同意する。
そしてそれから少し真智と言葉を交わした瑞季は、ふとエントランスの入口に目をやり目を見開くようにした。学生寮のエントランスに、見知らぬ人物が入ってきたからだ。
その人物は真智と同じ制服を着ているが、高校生とは思えない体格をしており、身長もかなり高い。
その容姿を見るなり瑞季がしばし唖然としていると、真智がその人物に気付いたのか、親しげに声をかける。
「おう、揃ったから行こうぜ」
その人物は、そんな真智の言葉に穏やかに笑み、落ち着いた様子で頷いた。
「うん、行こうか――……あぁ、その前に自己紹介かな」
そんな彼は瑞季の視線に気付いてか、穏やかな表情のまま瑞季を見て、続けざまにそう言った。
「え? あぁ、そっか。そういえば初めて会うんだっけな」
そんな彼の言葉を受け、真智は気付いたように瑞季を見てそう言った。
すると、
「あ、そうだった~! 洋ちゃんともんちゃん初対面だね」
と、そこでやっと跳ねるのをやめたらしい美鶴がそう言い、友人らの紹介役を買って出た。
「改めてだけど、もんちゃん、この人が俺のもう一人の幼馴染の洋ちゃん――で、洋ちゃん、こっちが俺のルームメイトのもんちゃんだよ」
美鶴は手際よく仲介し、瑞季と洋介 にそれぞれを紹介する。
そうして美鶴からの紹介を受けた瑞季は、挨拶をしようと笑顔を作った。
だが瑞季は、それと同時に、この人物こそ“あの”もう一人の幼馴染であるという事を認識し、笑顔を作りながらもやや緊張していた。
――鉄パイプ……
瑞季はそんな単語を脳内に浮かべながら、あくまで平静を装って挨拶をする。
「ども、夜桜 瑞季です」
すると、瑞季の笑顔に穏やかに微笑み返した彼は、低く落ち着いた声で挨拶を返した。
「九 洋介です。よろしく」
「は、はい、こちらこそよろし――」
「あぁ洋介、ヨルには鉄パイプの話してあっから」
「えぇ!?」
少し前から瑞季の事を“ヨル”と呼ぶようになっていた真智がそう補足すると、和やかに挨拶を済ませようとしていた瑞季が反射的に驚きの声をあげた。
「お~イイリアクション」
「あぁ、そうなんだね」
満足げにそう言った真智の言葉を受け、洋介は相変らず落ち着いたままそう言い、ゆったりと笑んだ。
「は、はは……お話は常々……」
「ヨル、お前に殺されるかもって思ってるらしいから殺さないようにな」
「真智さん˝!! ――って、美鶴も実和先輩も笑ってないで俺を救ってください!」
真智が次々と瑞季の心境を吐露してしまうのでたまらず制した瑞季だったが、その様子があまりにもツボだったのか、美鶴と実和はエントランスのソファに隠れるようにして声を殺しながら体を震わせていた。
「へぇ、そうなんだ」
「えっ……」
そして当の洋介はというと、先ほどと変わらない笑みを作っているはずなのに、なぜだか酷く楽しそうな声色でそう言った。
瑞季はそれにただならぬ悪寒を感じ固まった。
「――はは、冗談だよ、安心して。噂通りのイイリアクションだね」
「は、はは、あ、ありがとうございます……」
一体何が冗談だったのか分からないまま、瑞季は青ざめながら礼を告げた。
「さて、ヨルも元気になった事だし、もう行こうぜ。外あっちぃよ」
「そうだね……はぁ、おっかし~の……」
やっと波がおさまったのか、涙目になっていた美鶴が目元を拭いながらそう言った。
そして、それに頷き先に歩き出した真智と洋介に続き、実和が校庭に出てゆく。
その様子をなんとなく見送っていた瑞季に、同じようにしていた美鶴が声をかける。
「行こ、もんちゃん」
楽しげにそう言った美鶴は、首を傾げるようにして瑞季に微笑んだ。
「あぁ」
そんな美鶴の笑みにつられるように笑った瑞季はひとつ頷き、美鶴と共に歩き出した。
「――ほい、おめっとさん」
学生寮のエントランスを発ったその後、無事に目的地であった洋介の家に着いた一同は、それぞれ美鶴に祝いの言葉と贈り物を手渡した。
その日は美鶴の誕生日だった。その為、その祝いをしようということで洋介の自宅に集まる事になっていたのだが、せっかくならと真智に誘われた瑞季も、運良く部活が休みであった事もあり、その集まりに参加する事になったのだった。
そして、それぞれが用意していたものを美鶴に贈る中、そのラストを飾ったのは真智だった。
真智が祝いの言葉と共に小さな包みを渡すと、その中身を見た美鶴は驚いたように言った。
「えっ、すご! これ、真智が作ってくれたの!?」
「前に約束してたからな。欲しがってた感じので作ってみた」
「すっごい嬉しい……ありがとう……」
そんな真智の言葉に喜びを隠しきれないらしい美鶴は、そこで何度も礼を言った。
その美鶴の手にあるのは、少し大き目のひし形の飾りが着いたピアスだ。
「片耳だけだから、あんま重くしないように作ったけど、そんな感じので良かったか?」
「うん! まさにこういうのって感じ……嬉しい」
美鶴はそう言うと、今一度礼を言うなり嬉しそうにピアスを眺める。
そんな二人の様子を見ていた瑞季は、改めて真智のその多才さに驚き感嘆する。
「凄いっすね……」
「はは、ありがと。素人のお遊び程度のもんだけどな」
そんな瑞季の言葉に少し照れながらも礼を言った真智は、はにかむように笑った。
その間、美鶴はこれまでつけていた右耳のピアスを外し、早速真智お手製のピアスを付けていた。
「――どう? いい感じ?」
「おう、いい感じ。さすがモデル、なんでも似合うな」
「ふふ、真智のおかげさま~」
そうしてそこで改めてその場の全員に礼を言った美鶴は、酷く幸せそうな面持ちで微笑んだ。
そして、それぞれがまた祝いの言葉を返すようにしたところで、それからまたあたたかな時間が過ぎて行った。
瑞季はそんな中、その幸せそうに微笑む美鶴に、酷くかけながえのないものを感じていた。
(やっぱ俺も……こうしてるのがいいな……)
そして、密かにそんな事を思いながら、瑞季もまたその後の時間を楽しく過ごしたのであった。
その日は週末であった事から、美鶴 はそのまま洋介 の家に泊まる事となっていた。
そして、真智 もまた同じくであった為、それから少しして学生寮の門限が迫っていた頃合いに、瑞季 と実和 のみがその場を後にする事となった。
「おなかいっぱい~」
そして、学生寮に戻るべく、二人でやや薄暗くなっていた夜道を歩いていると、実和が満足げにそう言った。
「ほんとっすね、久々にあんな食いました」
それに対し、瑞季もまた幸せな心持ちで実和に言葉を返した。
そんな瑞季に対しまた満足げ返事をした実和だったが、少しの沈黙を挟んだ後、ゆったりと歩きながら言った。
「最近ど~お~?」
「え?」
そんな実和の突然の質問に、少しだけ驚いたようにした瑞季は疑問の意を返す。
すると、実和はゆるゆると笑みながら続けた。
「辛いの、なくなった?」
「あ……」
恐らく実和は、美鶴との事を案じて瑞季にそう尋ねたのだろう。そう思った瑞季は、そんな心遣いに感謝するように苦笑した。
実は、実和もまた、瑞季の心を案じてくれる先輩の一人だった。
晃紀 曰 く、実和は人の心の変化に敏感らしい。そしてそれは美鶴もそうだった。その為、この二人の波長が合うのもうなずけるといった具合だ。
そして少し前に効いた話だが、そんな実和は、ある時期からの瑞季の変化に気付き、晃紀に瑞季の様子を尋ねたりしていたらしい。それゆえに、ある時期以降からは実和もこうしてさりげなくを保ちながら瑞季を案じてくれていたのだ。
「はい、大分楽になりました」
「そっか、よかったね」
実和はその普段の振舞いから、一見してただ幼い性格をしている少年というように見える。だがそれは、実和がもつ一面にしか過ぎない。実和にはこの一面に対し、非常に大人な面もあるのだった。
そしてその大人な一面は、このようにして後輩を案じる時などによく現れる。その為、瑞季はその一面を何度か目にしている。
そんな実和は穏やかに笑みながら、言葉を紡ぐ。
「俺も、真智も、洋介も……ヨルのこと、悪くなんて思ってないから。大丈夫だよ。それに皆、ヨルが美鶴を大切にしてくれる人だってわかってるから。――そうだ、今度、洋介とも二人で話してみたら良いよ。きっと、良い話ができるから。そしたら洋介も、きっと怖くなくなるよ」
瑞季は実和のその言葉に少しだけ驚いたようにした。
すると実和は少し目を伏せるようにしながら言った。
「深い絆がある人達の中に入っていくのは気後れするよね。でも大丈夫。あの三人は、すごく優しいから……、ね」
実和はにこりと微笑み、瑞季に首を傾げて見せた。
「……はい」
瑞季はまだ、なんとなく誰にも言えていない事があった。
だがそれは、どうやら実和には既に悟られてしまっていたらしい。
実和の言うとおりだった。
瑞季は、美鶴への恋心と和解できた代わりに、美鶴、真智、洋介という三人の固い絆を目の当たりにして少しだけ不安を感じていたのだった。
だがそれは、その壁に立ち向かおうとしているがゆえの不安というわけではない。
瑞季は、自分がその絆を害する者になっているのではないかという点に不安を感じていたのだ。
自分はその絆を裂こうとしているのではないか。彼らの輪の中に無遠慮に土足で踏み込んでいるのではないか。
どんなに美鶴や真智が温かく接してくれていようとも、瑞季は少なからずそういった気持ちを捨てきれずにいた。
そして今日、洋介もまた、二人と同じように快く瑞季を歓迎し、温かく接してくれた。
だがそれでも瑞季は、その不安を捨てきれなかった。
「人間って、話さないと分からない事だらけだからね……」
「そうですね」
実和の言葉に、瑞季も素直に頷いた。
瑞季はそれをつい最近痛感したはずだ。
美鶴との事。真智との事。全てそうだった。
話してみなければわからい。だからこそ、話す必要があるのだ。
瑞季が何よりも望んでいる事は、美鶴が笑顔で居続けてくれる事だ。
ならば、その為に自分がどうあれば良いのかを知りたい。
瑞季はいつからか、美鶴を支えてゆけるような存在になりたいと思うようになっていた。
そして今日、洋介と知り合った事で、その目指すところを得たように感じたのだった。
美鶴も真智も、洋介を酷く信頼し、自らの支えとしているように見えた。
だからこそ、瑞季はその彼のようになりたいと思った。
そして、美鶴のそばで彼の笑顔を見続けていたいと、より強く思ったのだ。
美鶴に自分の本心を知られてしまった今、そんな瑞季にできるのは、美鶴を一生嫌わずに好きで居続け、その気持ちが本物である事を証明し続ける事だけだ。
きっとそうすれば、美鶴はいつまでも笑顔で居続けてくれる。
――俺はずっと、あの笑顔を見続けていきたい……
だから、この先もずっと美鶴の笑顔を見続けられるよう。
いつか、心から愛しているとすら伝えられるよう。
彼を愛する者として、彼のそばにい続け、想い続けよう。
瑞季は、愛しい人の生まれたその日に、静かにそう誓った。
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