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第十話『 誓い 』 上

 徐々に日々の気候が夏を思わせるようになってきたその日。  モデルの仕事を終えた美鶴(みつる)は、やや遅い時間に学生寮に帰還した。  しかし、本来なら既に寮室に戻っていたであろうその時間帯になっても、美鶴は未だに寮のエントランスから身動きが取れずにいた。  その夜、美鶴が帰り着いたエントランスには人影があった。  その時の美鶴は、 (こんな時間に誰だろう?)  と、思いながらもそのままエントランスを通過しようと思っていた。  だが、そこで見覚えのある顔を見かけ、なんとなく足を止めたのだった。  エントランスにいたのはルームメイトの瑞季(みずき)だった。  そしてそんな彼はその時、もう一人の人物と何やら話をしているようだった。その為、その時の彼は、美鶴には気付いていない様子だった。  そこで美鶴は、それならば軽く声をかけて先に寮に戻ろうと思い、残りわずかの帰路を辿ろうとした。  だが美鶴は、そこでふと聞こえた会話に再び足を止め、反射的にエントランスの柱に身をひそめたのであった。 「――で、天羽(あもう)とはうまくやれてんの?」 「ん、まぁな」  美鶴が思わず身をひそめたのは、瑞季ともう一人が今、自分に関する話をしているとわかったからだった。  会話をしている二人のうちの片方は確かに瑞季だ。そして、声から察するに恐らくもう一人の生徒は、瑞季や美鶴らと同じ一年生の寮生、朝比奈(あさひな)優希(ゆうき)だ。彼は瑞季の親友でもある人物で、美鶴もまたその事を知っていた。  だが美鶴が身をひそめたのは、その親友の優希がいたからというわけではない。  ただ単に二人がそうして話しているだけなら、美鶴も気兼ねなく挨拶をして寮室へ戻れただろう。  だが、自分の話題が出ているとなっては別だった。  今の美鶴と瑞季の関係は酷く独特だ。その為、大切な友人である瑞季を悩ませているとなれば、あまり良い印象は持たれていないだろう。――美鶴は何気なくそう思った。  だからこそ美鶴は、二人の間で自分の話題が出ていると知り、彼らの前に出て行きづらかったのだった。  そしてその結果、美鶴は彼らの会話を耳に入れながらも身をひそめ続ける事になり、今に至るのであった。     ― 虹色月見草-円環依存型ARC-ツキクサイロ篇-Ⅰ❖第十話『誓い』 ―      その場に居合わせてから少し経った現在も、美鶴(みつる)は未だ身をひそめるようにし、少し緊張した心持ちで彼らの会話に耳を傾けていた。 「――でもお前、ほんとすげぇな。俺だったら絶対無理だわ」  そして、次に発された優希(ゆうき)の“無理”という言葉に、美鶴の心は小さく跳ねた。 「そうか? そうは思わないけど」 「いや無理だって、絶対無理。だって俺ら男だぜ?」  美鶴はそんな優希の一言に、心をちくりと刺されたような気分なった。  だがその痛みは、その次の一言ですぐに消え失せる事となった。 「絶対我慢できねぇって。普通に別の部屋とかさ、別の家で生活してたらまだ分かるけど、好きな子と同じ寮室で毎晩一緒なのに何もしないとか無理だろ……――まぁ、無理やり押し倒したりはしねぇけどさ、俺だったら抱きしめてるしキスもしちまってる気がする」  そんな優希の言葉に、瑞季(みずき)はおかしそうに笑った。 「まぁな。正直そういう衝動に駆られる時はめっちゃある」 「だろぉ? 気付いたら髪撫でてたなんてザラだぞ……」 「あぁ、髪撫でたくなるのも分かる。抱きしめたいし、キスもしたくなるのもすげぇ分かる」 「――でも我慢できんだなぁお前は……その相手に嫌われてんならわかっけど、友達としてでも好いてくれてるんなら尚更無理だって。ほんと、お前のその妙な辛抱強さは尊敬するわ……」  瑞季はそこで苦笑するように言った。 「うん、なんでだか俺にもわかんないんだけどさ……大切にしたいって気持ちがやたら前に出るっていうか……」 「はぁ、思春期男子がよくそこまで理性と戦えるよな」 「はは、思春期男子って自分で言うなよ。――でも多分優希も、そんくらい好きな人できたらこのくらいの事はできると思うぜ。お前、そういうとこ俺と同じタイプだし」  瑞季のその言葉に優希は少しだけ考えるように唸った。 「お前のその気持ちも分からんではないんだけどなぁ……ただ、俺としては“好きだからこそ”自信がもてねぇわ……」  瑞季はそれに頷くように言った。 「それも、わかる」 「ん……やっぱ、なってみねぇとわかんねぇな」 「――だと思うぜ」  そうして、そこまで話した二人はそれから何気なく歩き出し、また会話をしながら寮室へと戻っていった。 「………………」  美鶴はそんな二人の声が遠ざかってゆくのを確認しながら、その場で小さくため息をついた。 (俺は、もんちゃんにどうしてあげるのが正解なんだろう……)  彼らの会話を聞く中で、美鶴が抱いていた嫌な緊張感はすっかり溶けきっていた。だが、緊張と引き換えに、新たに考えあぐねる事が現れてしまったようだった。 (俺は別にもんちゃんのこと嫌いじゃないし、ハグもキスも……その先も全部してもかまわない……けど――)  美鶴はそこまで考えてから、背後の柱にもたれるようにして何気なく校庭を見つめた。  そんな校庭では、夏の夜風に弄ばれ、木々が静かにさざめいている。 「はぁ……」  美鶴はそんな木々を見つめながら再びため息をついた。 (でも、もんちゃんが望むからって体を許したりしたら、この先の事を期待させる事になる……だからそれは出来ない……でも……好きだと思ってくれてる事には、もんちゃんが喜んでくれる事でお礼がしたい……) 「もうほんと……」  美鶴は思わず溢れた気持ちを、小さな声にした。 「なんで俺なんかに恋しちゃったの……もんちゃん……」      

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