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春
春。別れと出会いの季節。
今年は桜の咲く時期が少し遅かった。天気が良かったのもあり、入学式には満開とまではいかないが木々はまだピンクに染まっていた。
教室の窓から見えた桜があまりに綺麗で、まだ高校の作りがどうなっているかも知らないのに桜を求めて外へ出た。迷子になりかけたけどようやくたどり着いた場所は、たぶん教室から見えた場所とは違うところだったけど、桜が綺麗なことにかわりはなかった。
むしろ、少し影になっていて人の気配のしないこっちの方が俺は好きかな。
中でも1番大きな桜の木の下に立ち、手を高く上げた。小学生の頃女子たちの間で流行っていた、桜の花びらを地面につく前に手の中に収めると願いが叶うというものを試してみたくなった。
思っていたよりもそれは難しく、なかなか思うように花びらを掴めない。
「あと少し」
思わず声に出してしまうくらい必死になっていた。本当にあと数センチというところで強い風が吹いて花びらは俺から遠ざかった。
「あーあ……、うわ」
がっかりしたのも一瞬のことだった。手元から遠ざかった花びらを目で追う。すると急に視界がピンクに染まった。強風にあおられて花びらが一気に空へ舞う。
花びらを掴む目的なんか忘れて、ただ空がピンクに染まるのをその場に立ちすくんで見た。
綺麗、なんて言葉ですませてしまうことさえもったいないと思った。
花びらが全部空へ吸い込まれていくのを見届けたあと、ようやくこちらに近づく人影に気づいた。
「やるよ、欲しかったんだろ」
その人影は、大きくて強そうなこぶしをこちらへ差し出しながら目の前までやってきた。力強そうな手に優しく握られたのは1枚の桜の花びら。
「え、あ、ありがとうございます」
「新入生か。ここ、俺みたいなやつら多いから気をつけとけよ」
花びらを受け取りながら少し高い位置にある顔を見た。濁りのない綺麗な金髪、見下ろされているからかもしれないけど少し目つきも悪い。俺みたいなやつら、はいわゆる不良のことだとすぐに思った。
「えっと、先輩、ですか」
「……先輩なんて大したもんじゃないけどな」
すっと顔を逸らされた。ブレザーの刺繍を見れば学年がわかると思ったが、残念ながらブレザーを着ていないのでわからなかった。
「花びら、なんで欲しがったんだ」
先輩から受け取った花びらを今度は俺が大事に握りしめていた。その手を指差しながら先輩が不思議そうに尋ねてくる。ああ、と頷きながら握りしめていた手を開いてみせた。
「昔桜の花びらを地面につく前に掴めたら願いが叶うって聞いたんで」
つい先ほどまで夢中にやっていたことなのに、1度冷静になると何をそんなに必死になっていたのかと恥ずかしくなる。
「願いがあるのか」
ふーん、で流されると思ったのに、思いのほか食いつかれてしまった。そして、先輩にそれを尋ねられてから自分には特に叶えたい願いがあるわけでもなかったことに気づく。
「そう言えば特にないですね。というか、これは先輩が掴まえたものだし、先輩にあげますよ」
はい、と先輩のてのひらを開かせて花びらを置いた。
「先輩は願い事ありますか。きっと叶いますよ」
開かせたてのひらを今度はゆっくりと閉じた。笑って先輩の顔を見上げると、驚いたような顔をしてこちらを見ていた。その表情を見て自分があまりにも図々しいことをしていたと気づく。
「す、すみません。いろいろえらそうに。俺、よくこういうわけのわからないことして」
今さら恥ずかしくなり、落ち着いていられなくなる。手を慌ただしく動かしながら言い訳の言葉と謝罪の言葉を口にし、ぺこぺこと頭を下げる。
「いや、いい。ありがとう」
今までよりも柔らかくて甘くて優しい声が頭の上に降ってくる。
慌てて顔をあげると、さっきまでのどこか完全には心を許していない硬さの残る表情は消え去っていた。今日みたいな、春の暖かな日みたいな、優しい笑顔。
「あ、い、いえ。こ、こちらこそ」
どきどきした。
先輩の見た目はいわゆる不良で、手も大きくてごつごつしてて強そうで。目つきもどちらかと言えば悪くて。優しい感じではないのに。最初からなんとなくあった違和感。素っ気ない口調と愛想のない見た目に隠れていたもの。
この人、やっぱり優しい人だ。
「じゃ、俺そろそろ行くな。おまえもはやく帰れよ」
「あの、先輩名前は」
花びらありがとう、といいながら去っていこうとする先輩の背中に向かって少しだけ大きな声をかけた。さらに声をかけられると思っていなかったのか、先輩は驚いたようだったけどちゃんと振り返ってくれた。
「え、ああ。佐倉。佐倉雅光だよ」
桜だ。
大きくて強い木なのに、咲く花の色は優しくて温かい。最後の最後、散るときまでも美しい。
だけどやっぱり散ってしまうと寂しくて、切ない気持ちになる。
桜みたいなのに、先輩の優しさは全部見えないところに隠れている。きっとたくさん誤解もされてきたんだろう。
また会いたいな。
ピンクに染まる景色を眺めながら出会ったばかりの先輩のことを想う。
春。別れと出会いの季節。忘れられない出会いをした。
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