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夏
夏。
夏休みだというのに毎日補習で学校へ来る日々。夏休みとはなんなのかと尋ねずにはいられない。
そんな補習もようやく前半の最終日。せみがうるさく鳴き叫ぶ中、先輩を待つためにいつもの場所へ向かう。春、先輩と初めて出会った場所。
校舎や木の影になることから、息苦しい暑さの中でもここは少しだけ涼しい。寝転がると、青い空に真っ白な雲が流れていく。今日は一段と流れがはやい。
目をつぶるとときどき吹く風を感じる。暑い中の涼しい風に気持ちよくなり、だんだん眠気がくる。
「笹野」
名前を呼ばれて目を開ける。どうやら少しだけ本当に眠っていたらしい。先輩が来たことにまったく気づいていなかった。
「先輩お疲れ様です」
「おまえ、不用心」
ため息交じりに少し怒ったような、呆れたような顔。桜が全部散ってしまった頃、不良たちに絡まれたことを言っているのだろう。入学式の日の先輩の忠告を無視して、ここに来れば先輩に会えるのではないかと毎日この場所へ来た。そしてある日不良に絡まれた。そこを先輩が助けに来てくれた、というわけだ。
それからは不良らしき人がうろうろしているのもあまり見ない。たまに来ることはあるが俺に話しかけようとはしない。
それは先輩の強さを物語っているようで誇らしくもあり、また先輩のことを誤解させてしまっただろうかと申し訳なくもあった。
「ここ好きなんで」
「来るのはいいけど無防備に寝てんなって話だ」
軽く頭を小突かれた。痛くはないしむしろ優しさを感じて嬉しささえ覚えるのは、きっと俺が先輩のことを好きだから。
「先輩、花火大会行きましょう」
心の中で想う好きさえむずがゆくて、ごまかすように慌てて立ち上がりはしゃいだ声を出す。
「急にどうした」
「今日このあと花火大会あるんですよ。補習最後だし、明日から会えなくなるし行きましょう」
気づけば先輩の腕を引っ張りながら必死に話していた。それに気づいておそるおそる先輩の顔を見ると、いつものように驚いた顔をして俺が掴んだ自分の腕を見ていた。
「あ、す、すみません。また俺、勢いで」
するすると力を抜いて先輩の腕から手を離す。こんな状況なのに俺は先輩腕やけたな、と思ってしまった。それがばれたのか先輩が声をあげて笑いだす。
「俺と花火なんて行って楽しいのか」
ひとしきり笑うと、急にまじめな顔になって尋ねてきた。その声に不安が混ざっている気がした。
「楽しいに決まってますよ。俺決めてたんですから。ずっと先輩と花火見るって」
いつもかっこよくて強い先輩が、俺が深く関わろうとするとときどき見せる不安。先輩自身がそれに気づいているのかも、俺が気づいていることを先輩が気づいているのかもわからない。なにがそんなに不安なのか俺にはわからないけど、その不安を消したいと思う。
それは助けてもらったお礼だけじゃないって、いつかは気づいて欲しい。
「思ってたよりも人多いな」
「こんなものじゃないですか。先輩花火大会来ないんですか」
人ごみの中無理矢理体を前に進めながら聞いてみた。
「来ねえよ。今年もおまえいなかったら来てねえよ」
面倒くさかったですか、人ごみ嫌いでしたか。
そんな心配をしていたのも初めだけだった。自惚れかもしれないけど、そう思いたいだけかもしれないけど、先輩も楽しんでくれているように俺には見えた。
「こんな人多くて花火なんて見えるのか」
「安心してください、普通に見えますよ」
人ごみの中でも先輩の綺麗な金髪はよく目立つ。それは悪い意味でも目立つらしく、すれ違う人がときどき目に恐れを浮かべながら見ていくのがわかる。それでも俺は先輩の金髪が好きだ。
はぐれないように、って手をつなげたらな。
浮かんでしまった考えを振り払うように首を左右に振る。いくら人が多いとはいえ先輩と俺がそれをすると変に見られるだろう。だけど、いつかつなげたらいいな、という想いはしばらく消えなかった。
「そうだ先輩、もう少し向こうに行きましょう。少しは人が少ないかもしれません」
障害物が何もない今いる場所は確かによく見えるだろうけど、あまりに人が多すぎる。少し物が多そうではあるが、人に押しつぶされながら見るよりはましだろうと、少し先を指差した。
「おまえに任せるよ」
俺の提案によくわからないらしい先輩は着いてきてくれる。歩いていると、ドンと音がして一発目の花火が上がった。
「始まっちゃいましたね」
「もうここら辺でいいんじゃねえか」
そうですね、と頷いて人が多くも少なくもないその場へ座った。
「おまえ小さいのに座ってて見えんのか」
「先輩バカにしてますか。空に上がるんだから見えますよ。花火見たことないんですか」
いつまでもからかってくる先輩に口を尖らせ文句を言う。前に座っているカップルの女の方が振り返る。先輩の金髪を見て慌てて前へ向き直った。
こういうの先輩は気づいているんだろうか。こういうのが先輩を不安にさせるんだろうか。
少しだけ心配になって隣に座る先輩を盗み見するが、心配をよそに真っ直ぐ空へ打ち上がる花火を見ていた。
俺もその先輩の様子を見て安心して、空へ上がる花火に目を移す。
途中で先輩が綺麗だな、というと俺もはい、と返した。だけど基本は無言で、一生懸命花火を見続けた。
クライマックスらしく、花火が次々に上がっていく。ドンドンという音は激しさを増す。
「先輩」
軽く呼んでみたが、返事はない。おお、と漏れる声は花火を夢中で見ている証拠で、俺の声は聞こえていないらしい。俺も花火を一生懸命追うから先輩の表情は見えないが、きっと目を輝かせている。
そこにはいつもの少し目つきの悪い顔なんてなくて、きっと子どもみたいな表情なんだ。
「好きです」
誰に向かって言うでもなく、夏の夜空に消えていく花火に向かって呟いた。
消えてなくなればいいなんて思わないけど、しばらくはこのままでいい。
花火が散り、暗闇に吸い込まれるように想いをこっそり呟く。
夏。今はまだ一夜の思い出。
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