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第3章 まぼろし 9
「お前、まさか」
その後の言葉は二人の間に流れる空気に溶けていった。
正直、自分が何を聞きたかったのか……坂下には分からなかった。
「俺は最初からあいつが嫌いだった」
そんなことを少し尖った声で言う筒井は、なんだか拗ねた子供のようで。
途端に二人の間の空気の色が変わる。
「それはだって、ユキが、男前でモテるから、お前、妬いてたんだろ?」
冷やかすみたいに坂下が言うと、筒井はジロリと目だけを動かして、坂下を見た。そして
「俺だって、少しはモテる」
こそっと小さな声でそう言うから、坂下は吹き出してしまいそうになる。
だけどそんなこと坂下は知っている。
親友がとても愛されていること。
「だけどさ、望む相手に望んで貰えないなら、モテたって、仕方ない」
それは、まるで長く誰かに片恋をしているような言葉だった。
さっき別の男に付けれた傷がズキンと痛んで、坂下は目を閉じる。
「ゆづ……俺には、深月がいる。深月を裏切れない」
目を閉じても、遮断出来るはずもない痛みなのに。
「ゆづ……俺には、深月がいる」
ズキン。
「俺には、深月がいる」
ズキン。
「深月を裏切れない」
ズキン。
まるで耐えきれない痛みから坂下を救うみたいに、不意にポケットの中のスマホが震え出す。現実に連れ戻された坂下は目を開けて、画面をタップする。スマホを耳に当てると、佐々木の柔らかな声が聞こえてきた。
「おぉ、どーした?……ああ、明日、帰る予定。
分かった。こっちもツレ、連れてくわ。じゃあ、後で」
通話を終わらせた坂下は食いしん坊の親友に向かって言った。
「俊、美味いもん食いに行こう」
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