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番外編 Mojito Candy KISS
※スピンオフ作品『森のアルファさん』『KILL ME KISS ME』読了済の方推奨です!
◆◆◆◆◆
本郷一哉は、生まれて初めて訪れた小さな居酒屋で、所在なく最奥のテーブル席に座っていた。
高級クラブやバー、料亭などは仕事の付き合いで何度か訪れたことはあるが、自宅の寝室ほどの広さしかないような、小ぢんまりとした居酒屋に来るのは生まれて初めてだ。
しかも店員も客も、まるで本郷と旧知の仲かのように語りかけてくる。
酒を飲むなら自宅で静かに飲みたい方なので、そもそも飲み会というもの自体、本郷はあまり好きではない。あくまでも、『業界内でのお付き合い』という認識だ。
参加しなければマネージャーから小言が飛んでくるので、いつも取り敢えず顔だけは出しておくくらいのものだった。
しかし、今日の場合は少しイレギュラーだ。
きっかけは、本郷のパートナーである悠の元へ届いた、二人の高校時代の同級生・立花からのメールだった。
『近々、本郷と御影の都合つく日ってある? 久々に会いたいし、奏も連れてこっち来ない?』
『こっち』というのは、立花たちが暮らしている小さな田舎町・数田美町のことだ。
不思議な縁もあるもので、悠が偶然訪れたのがきっかけで、結果的に奏が生まれるときまで世話になった『月村病院』もそこにある。
以降も悠は立花と頻繁にやり取りしているようで、今では月村医師のパートナーである芳とも懇意にしているようだった。
Ω同士ということもあって、話も合うのだろう。閉じこもりがちな悠に友人が出来たことは、本郷にとっても喜ばしいことだ。職業柄家を空けることも多いので、悠を独りにする心配も減る。
けれど、一緒に居るときとなれば話は別だ。
モヒートのグラスを傾けながら、横目でカウンター席を窺い見る。何杯目かのビールですっかり上機嫌な立花と、何やら言葉を交わす悠。
悠はアルコールに弱い。体質的に合わないのだろう。飲むといつも悪酔いするので、この日も悠はウーロン茶しか飲んでいない。
それなのに、酔っぱらった立花相手に、時折笑みを浮かべて話している。
昔に比べて随分と柔らかくなった表情を嬉しく思うのと同時に、チリッと胸の奥が焼けるような痛みを覚える。
立花の逆隣では、彼のパートナーである大男──確か熊谷といった──と、月村が酒を酌み交わしている。こっちはこっちで、随分と親しげだ。見た目のタイプは真逆なのに、普段はクールな印象の月村も、珍しく肩を揺らして笑ったりしていた。
各々の子供たちはというと、店の隅のテーブルに用意されたジュースとスナック菓子をつまみながら、全員がトランプに夢中。小さな店のその一画だけ、託児所のような様相になっている。
三十分ほど前までは、悠も本郷と同じテーブルについていた。お互い積極的に人の輪に入るタイプではないからだ。
そんな本郷たちに、カウンターの立花からお呼びがかかった。
立花は本郷と悠の二人を手招きしたが、本郷は立花に対して、正直なところ苦い思い出しかない。
二十年以上生きてきて、ただ一人、本郷を殴った人物。それが立花麒麟だ。
原因は本郷にあったと自覚しているし、今更それを蒸し返すつもりも全くないのだが、それきり疎遠になっていた本郷の心中は、やはり複雑だ。
渋る本郷に、「すぐ戻る」と言い置いて立花の隣席へ移った悠は、結局まだ戻ってくる気配がない。
悠は何かと自分を卑下しがちだけれど、かつての同級生と会話に花を咲かせる姿を眺めていると、悠無しでは生きていけないのは本郷の方だと痛感する。
「……高校の頃に、戻ったみたいだ」
授業中、毎日悠の背中を見つめていたあの日々。
本郷の視線に気づいて振り向いた悠と、目が合えば嬉しくて、気づいて貰えないと寂しくて。
頬杖をついて、「悠」と心の中で呼びかける。
「『つまんない』って顔してんね」
呼びかけた悠ではなく、突如すぐ傍から別の声が飛んできて、本郷は思わず目を瞬かせた。
一体いつの間に座っていたのか、向かいの席からヒラリと手を振ってきたのは、月村のパートナーである芳だった。
月村とは何度かやり取りしたこともあるが、芳と本郷は今日まで面識がなかった。悠から話くらいは聞いていたけれど。
反応に困る本郷を余所に、芳は梅酒の入ったジョッキ片手に、ズイッと身を乗り出してきた。
「テレビで観るより、実物の方が幼く見える。わざと?」
「……質問の意味がよくわかりません」
小馬鹿にされているのかと、本郷が眉を顰めるのを見て、芳は「ごめんごめん」と慌てた様子で苦笑した。
芳のようなタイプの人間は本郷の周りには居ないので、接し方に戸惑う。
こういう、スルリと懐に入り込んでくるようなタイプは苦手だ。どれだけ取り繕っても、腹の内を見抜かれているような気がする。
「別に悪い意味で言ったわけじゃなくてさ。テレビの中だと、何か窮屈そうに見えたから、今の方が自然でイイなって思って。素直に『つまんない』って顔に出るんだって、ホッとしたんだ」
「ホッとした?」
「人間味あるなー、って感じ?」
「質問に疑問形で返されても困ります」
親の影響もあり、幼い頃から人目に触れることの多かった本郷は、昔からの癖で、探られる前につい身構えてしまう。だからいつも、他人とはビジネスライクな付き合いしか出来ない。
気まずさを感じる本郷に反して、芳の方は別段気を悪くした気配はない。
「『一哉』だっけ、下の名前。……それなら、『かっちゃん』かな、やっぱ」
「……はい?」
「呼び方」
一瞬、何の話をされているのか、すぐに理解出来なかった。
生まれてこの方、本郷はあだ名で呼ばれたことすらない。そんな自分が『かっちゃん』なんて呼ばれても、反応出来るわけがない。
「普通に、苗字で呼んでください」
「あ、それ初めてハルちゃんのこと『ハルちゃん』って呼んだときと、同じセリフだ」
「それ本当ですか?」
「えーなに、ハルちゃんの話題だと急に食いつくじゃん」
長い黒髪を揺らしながら、芳が微笑ましそうに口許を緩めた。
口振りは軽いのに、芳からは、どこか深い愛情のようなものを感じる。雰囲気は違えど、それは悠の育った施設の施設長を思い出させた。
悠も他人に心を開くタイプではないが、芳とは親しくしている理由が、何となくわかった気がする。
「ハルちゃん、イイ子だよね。優しいし、素直じゃないけど素直だし」
「素直じゃないけど素直っていうのは、激しく同意します」
「アハハ! キリちゃんから聞いてたけど、かっちゃんホントにハルちゃんへの愛が深い!」
「だから『かっちゃん』はちょっと……」
「だって、苗字ってよそよそしくない? 俺自身も、苗字で呼ばれるの嫌いなんだよね。自分のこと呼ばれてる気がしないっていうか」
テーブルに落とされた芳の視線が、ほんの少し寂しげに揺らいだ。
本郷は苗字で呼ばれることに慣れているので、あだ名の方が落ち着かない。けれど、芳の言葉の意味は何となく理解出来る。
両親がミュージシャンである本郷は、子供の頃からサラブレッドなどと称されて注目されてきた。
今でこそ、『本郷一哉』の名前で通るようになったが、昔は必ず『本郷夫妻の息子』という肩書きが添えられていた。七光りだとか、所詮は二世だなんていう声も、少なからずあった。
本郷の姓を重荷に感じていた時期もあるし、だからこそ本郷は、殆どの相手と事務的な関わりしか持てないのかも知れない。
「ここだけの話だけどさ。俺、かっちゃんがつまんなそうにする気持ち、ちょっとわかるんだよね」
「今そんなにペラペラ喋ってるのに?」
「俺は喋ってないと死んじゃうんですー」
冗談めかして口を尖らせた芳が、スッと笑顔を引っ込めて、カウンター席へ視線を移した。悠は相変わらず、強引に肩を組んで絡んでくる立花の相手をしている。
「ハルちゃんとキリちゃんも元同級生のΩ同士だし、あっちのα組も同い年だからか、何か通じ合うモンがあるみたいでさ。みんな仲良くしてくれるし、不満があるわけじゃないけど、それでも時々、入り込めない壁みたいなのを感じて、寂しくなる」
ポツリと、最後は独白のように芳が呟いた。
悠が立花に見せる、少し困惑したような笑顔は、本郷の前で見せるものとは微妙に違う。あれはきっと、悠が『友人』に対して見せる表情だ。
けれどそれすらも、誰にも見せないでくれと願う、欲深い自分が居る。自身の執着の強さは自覚しているから、本郷としたらこれでもよく抑えている方だ。
「俺は悠に相手して貰えないと、寂しいを通り越して、素直に面白くないですね」
体面も気にせず不貞腐れてみても、悠はこっちを向いてくれない。
幼い奏ですら、立花や芳の子供たちに混ざって機嫌良く遊んでいるというのに、本郷一人が顰め面だ。
この中で最も手のかかる子供は自分かも知れないと、我ながら呆れる本郷を見て、芳が小さく噴き出した。
「かっちゃんて、澄ました顔して子供みたいだよね」
「プライベートでは取り繕わない主義なので」
「やっぱり、テレビより実物の方がイイ。……かっちゃんとハルちゃんは、なんか凄く特別な感じがする」
「特別に決まってるじゃないですか」
「ハイ、惚気いただきましたー。そりゃ特別な相手だろうけど、俺が言いたいのは、かっちゃんたちは『二人で一つ』みたいな感じだなってこと」
テーブルの上の、二つに割れた落花生の殻をそっと繋ぎ合わせながら、芳が笑う。
「αとΩって、磁石みたいな関係だと思うんだよね。本能とか、遺伝子レベルで惹かれ合う感じ。でも、かっちゃんとハルちゃんは、αとかΩっていう以前に、お互い以外とはくっつけないんじゃないかって思う」
「……そうですね。悠が居なかったら、きっと今頃、『本郷一哉』は存在していなかった」
両親の名に縋ることなく、がむしゃらにピアノを続けて来られたのも、それだけ必死になれたのも。全ては、悠との出会いがあったからだ。
悠だけを求めてここまで来たし、この先もそれは変わらない。
悠なしでは生きていけないし、悠が居てくれる限り、本郷は音を奏でていける。
「二人とも、俺には絶対心開いてくれなさそうだしなー。やっとこうして揃ったから、今日はウチ泊まってく?、って誘おうと思ってたのに」
「折角ですが、連れて帰ります。さすがにこれ以上は、俺が『つまんない』ので。あと、俺にはやっぱり、ピアノで語る方が性に合ってるようです」
同じ空間に居るのに、話題に上るだけで、悠のことが無性に恋しくなった。
今すぐ本郷の方を振り向かせて、その瞳に本郷だけを映したい。
思いきり抱き締めて、少し泣きそうに笑う顔が見たい。
グラスに残ったモヒートを飲み干す本郷の向かいで、芳がクスリと微笑んだ。
「ハルちゃんを誘っても、やっぱり断られたんだろうな」
数田美町から東京方面へ向かう電車は、終電間際ということもあってか、本郷一家の貸し切り状態だった。
昼寝もせずにたっぷり遊んだ奏は、本郷の膝の上で熟睡している。
ガラガラの車両で、ぴたりと寄り添って座る本郷と悠のシルエットは、正に『二人で一つ』だった。
奏が寝入ったことを確かめてから、「なあ」と悠が先に口を開いた。
「芳さんと、何話してたんだよ?」
「俺がどれくらい悠を愛してるかってこと」
「お前が言うとマジっぽいんだよな……」
「『ぽい』じゃないよ。本当に、悠の話。……っていうか、悠気づいてたの?」
本郷の視線から逃げるように、悠が僅かに顔を背ける。ウーロン茶しか飲んでいないはずの耳朶が、ほんのりと紅い。
「……お前、ああいう場所苦手っぽいから、様子見ただけ。芳さんと盛り上がってんの、意外だったから」
「苦手ってわかってるのに、俺の傍から離れて、戻ってきてくれなかったんだ?」
「……っ! 立花が、なかなか放してくれなかったんだよ。アイツ、酔うと絡み癖あるみたいで」
ほんの少しの悪戯心で言ってみただけなのに、悠は何とも決まりが悪そうに俯いてしまった。こういうところが優しくて、素直じゃないけどとても素直だ。
「俺はずっと、悠のこと見てたのになあ」
コツ、と軽くぶつけるようにして、悠の頭に寄りかかる。
「……怒ってんのかよ?」
窺うように問いかけながら、そっと頭を擦り寄せてくる悠が可愛いくて、本郷はあっさり敗北した。
「怒ってないよ、拗ねてただけ」
「似たようなモンだろ」
「全然違う。奏の機嫌がおやつで直るのと同じだよ。今の俺も、ただ『飴』が欲しいだけ」
「飴なんか持ってねぇよ」
「嘘。俺が一番好きなやつ、持ってるでしょ」
鼻同士が触れ合いそうな距離で、瞳を覗き込む。そこでやっと気づいたらしい悠が、戸惑うように車内を見渡した。
「……嵌められた」
「このまま都内まで不貞腐れてようか?」
「ニヤニヤすんな。……ムカつく」
素っ気ない言葉を溢したその口が、暫し躊躇った後、本郷の唇に優しく触れた。
秘め事のようなキスは、学生時代を思い出させた。
聞こえるのは、規則正しい電車の走行音と、奏の立てる小さな寝息のみ。
愛おしくて幸せな、二人の時間。
「ありがとう、悠」
「機嫌、直ったのか?」
「最高の気分だよ。面倒臭くて、ごめんね?」
「……今更、お互い様だろ。それに俺も、ああいう飲み会ってやっぱりなんか落ちつかねぇし」
「疲れた?」
「ちょっとな。嫌なわけじゃねぇんだけど……お前と居る時間が凄く落ち着くようになってんだなって、実感した」
「やっぱり天使だ。可愛い。天使」
「小っ恥ずかしいから繰り返すな」
「早く帰って触れ合いたいけど、今はこれで我慢して」
恥じらう悠の頬を撫でて、そのまま片手で顎を掬う。
お返しに本郷が贈った『飴』は、甘いミントの残り香がした。
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