41 / 123
Imitation Black:引き寄せられる距離6
***
前回同様、ちゃっかりヨネさんの手料理に舌鼓を打ち、勉強会は始まった。
「僕の鞄、持ってきてくれて有難う。助かった」
「こっちこそ。気遣わせて悪い」
「こんな余計なことをしなくても、松田は来てくれるって分かってるのに、大きなお世話だったよな」
頭をポリポリ掻きながら、済まなそうな顔をする山上。俺は笑いながら、首を左右に振った。
「元はと言えば俺が言い出したことなのに、手書きの宿題まで作って、しっかり者すぎるぞ」
テーブルの向かい側にいる、山上の額にデコピンしてやる。コツンといい音が鳴った。
「松田の成績上がらなかったら、僕の責任になるじゃないか。念には念を入れたいんだ」
痛そうな顔をして、俺を睨む。
ちょっと強く、やり過ぎたか?
謝ろうかと山上の顔を見つめると、グイッと身を乗り出してきた。
「やっ、山上!?」
息のかかりそうなすぐ傍に、キレイな顔が目の前にある。俺が首の角度をちょっと変え近づけば、キスの出来るその距離に、自然と鼓動が高鳴った。
シャープなラインを描いた、その頬に手を伸ばして、強引に口づけることも出来る。
なぜか山上は動かないで、じっと俺の顔を見つめたまま、微動だにしない。
――衝動の赴くまま、お前に手を出すことが出来るのなら――
右手がふわっと山上に向かって、動き出した瞬間。
「すごいな」
ワケの分からない言葉を告げた山上の声に、ハッと我に返った。右手を慌てて引っ込め、ぎゅっと拳を作る。
「な、何がだよ?」
思わず、上ずってしまった声。ドギマギして、視線を彷徨わせるしかない。
「松田の瞳ってよく見ると、グレーがかっているんだな。部屋の電気のせいかと思って、じっと見ちゃった」
変なことをして悪かったと付け加え、いそいそ体勢を元に戻す。
俺は膝に置いた右手を、強く握りしめた。
ヤベェ、本当に手を出すところだった……
「曾婆ちゃんが実はロシア人でさ。この目のせいで、小さい頃は苛められたんだけど……」
「それで、肌の色も白いワケだ。僕は松田のその瞳の色、好きだけど。だって綺麗じゃないか」
「ありがと……」
俺の目を山上に好きと言われたせいで、無駄にドキドキしまくった。
そんな他愛無いことだけで、こんなにも俺の心は、ふわふわと舞い上がる。だけどどんなに想っても、お前を手にすることは出来ないんだな。
そんな山上は、まるで鏡花水月だ――
「松田が小さいとき、僕がそばにいたら守ってやれたのに。こんな綺麗な目をしたヤツを、苛めるなってさ」
「山上……」
「だって、理不尽じゃないか。自分たちと違うからって、よってたかって苛められたんだろ?」
もう済んだ昔話なのに、自分のことのように眉根を寄せて憤慨する。
「まあな。でも小さい時のことなんだから、仕方ないだろ」
「僕のモットーは懲悪だからね。自転車の二人乗りだって許さない」
自嘲的に笑う山上の顔に、俺は苦笑いしてしまった。
「山上が警察官になったら、ここは平和になりそうだな」
「なりたいと思ってる。僕は刑事になりたいんだ。父親みたいな幹部じゃなく、現場にバンバン出る、最前線の刑事になりたい」
「お前なら、間違いなくなれるだろ。学校の成績だって優秀なんだし」
感嘆のため息をつきながら言うと、切れ長の一重瞼を細めながら、じっと俺を見つめた。
「僕は、ブラックだから……誰よりも犯人の心理を、読むことが出来ると思うんだ」
「どこがブラックなんだよ、俺の方が腹黒いぞ」
「松田は、本当の僕を知らないだけさ。本当はいろいろ計算して、行動しているんだよ……」
「策士っちゃ、そうだよな」
意味深に笑う山上を不思議に思いながら、ぼんやり見つめ返した。
確かにこれまでの山上の動きを見れば、計算されている。それは明らかだった。
「さっき松田の顔を間近で見たのだって、キスしてもらおうと思って近づいたんだって言ったら、信じる?」
「は……?」
それって、一体……!?
「なぁんて、な」
艶っぽい流し目をしてから、俺のオデコに強烈なデコピンをした山上。
「いでっ!」
「僕にしたのは、もっと痛かったんだぞ。お返しだ」
そしてもう一発、痛いのをお見舞いしてくれた。
俺はオデコを撫でながら、恨めしそうに山上を見ると、一層カラカラ笑う。
「僕に手を出すなんて、百年早いんだよ。倍返しは基本だから」
こういう所が姫って言われる、所以なんだろうな。
笑いながら山上は俺がやり終えた宿題に、ゆっくりと視線を落とした。
俺はコッソリため息をつきながら、今更思う。
どんなに隙を窺っても、山上を手に入れることは出来ないだろう。
――こんなに近くにいるのに――
ともだちにシェアしよう!