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Imitation Black:切ない別離8

***  十数年後俺は、いつものように会社でまったりと煙草をふかしながら、新聞を流し読みしていた。    応接セットに腰かけ、モーニングコーヒを嗜みながらの一服は、至福のひとときだ。 「若社長、そんな格好をして。お客さんが来たら、どうするんですか? 自宅にいるみたいに、くつろがないで下さいよ」 「こんな朝っぱらから、客なんて来ないって。もう少ししたら営業に出かけるから、ゆっくりさせて欲しいわ」  生あくびを噛み殺し、長年勤めてくれている副社長を見やる。  やれやれ、若社長がバカ社長にならなきゃいいがなという目つきで、深いため息をついていた。    業績は正直芳しくないので、俺がめちゃくちゃ頑張らなきゃいけないのだが……新聞を読んでいてもウチだけじゃなく、全国的に不景気なのは明らかだった。  ふと社会面の片隅にある、小さな記事に目がいった。 『白昼の発砲事件 構成員に撃たれ捜査員死亡』  いつもなら流してしまう記事だけど、何となく気になって先を読み進める。そこに載っていた名前にたどり着いた瞬間だった。    ふっと体の力が抜けきり、手にしていたコーヒーカップが逆さまに落ちていく。頭が真っ白になって、体がガクガクと震えた。 「若社長、大丈夫ですか?」  若い事務員のコが、慌てて駆けつけてくれた。 「あ、ああ。すまないね、ドジっちゃった」 「顔色が真っ白ですよ。奥の部屋で、休んだ方がいいんじゃないですか?」 「でも……」 「ここは私が片付けますから、遠慮しないで下さいね」  チラリと副社長の方を見ると、またやらかしてと顔に書いてある。    視線がイタイ、ついでに胃も痛い…… 「悪いけど、お言葉に甘えるとするよ。ありがとう」  体調不良をアピールすべく、ゆっくりとした足取りで社長室に入った。    そして扉を閉めた瞬間、走って机に置かれたパソコンを急いで起動させる。さっきの事件の記事を、もっと詳しく知りたい。そう思ったから。  しかし俺の思いとは裏腹にどこも似たような記事ばかりで、書かれている内容もほぼ同じだった。ただ一社だけ、捜査員の顔写真を載せてる記事があった。    俺は懐かしさに浸りながら、その写真を食い入るように見つめる。    高校時代よりも精悍で、男らしい山上の顔―― 「松田、大丈夫かい?」 「う……まぁな……」  心配している山上が、俺をそっと抱きしめた。そんな山上を俺も、ぎゅっと抱きしめ返す。愛しいぬくもり――    だから体の痛みなんて、正直へっちゃらだった。 「あのさ、山上。ちょっと付け過ぎだろ。これじゃあ俺、みんなの前で、着替えが出来ないじゃないか」  全身いたる所に、山上が付けた口痕が残っている。 「それでも一応、遠慮したつもりだけど……」 「これで遠慮したって……見かけによらず、無茶苦茶するヤツなんだな」 「それはっ! その、松田のことが好きだからなんだけど」  まつ毛を伏せて恥ずかしそうにする山上の頭を、ゆっくりと撫でてやった。 「お前さ、いい機会だからイミテーション止めろ。そのままブラックな山上の方が、自然体で絶対いいと思うぜ」 「そうかな、嫌われたりしないかな……」 「従順で可愛い、イミテーションな山上も捨てがたいけど、破天荒で予測不能なブラックの山上が、俺は好きだよ」 「松田……」  伏せていた一重まぶたを上げて、愛おしそうに俺を見る。 「素のお前を見て離れていくなら、放っておけばいいさ。分かるヤツはお前の良さを、ちゃんと理解してくれるはずだから」 「松田みたいに分かってくれる人、現れるかな?」 「大丈夫だ。俺が保障するから……その方がきっと、いい刑事になれるんじゃないかって思うんだ。犯人より一枚も二枚も、上手(うわて)じゃなきゃダメだろうし」  俺が心配して言ってるのに、カラカラと笑いだす。 「松田って、やっぱりすごいね。僕の将来まで見越して、アドバイスしてくれるんだから。たくさん犯人捕まえて、新聞に載ってやるよ」 「てか山上、いろいろやり過ぎて悪徳警官として、名前載るんじゃないぞ」 「大丈夫だって。分からないように、上手くやるからさ。心配性だなぁ」 「山上……何、ヘマしてんだよ。しっかり新聞に載ってるじゃないか……」  体の口痕は消えたけど、心に沁みついた山上の痕は消えていない。俺はずっと、お前に囚われたままなんだ。  泣いてしまった俺とは違い、お前はずっと笑っていたよな。まるで悲しみを隠すように、最後まで明るく接してくれた。 「その姿はイミテーション ブラック……とでも命名するか。なぁ山上、お前は幸せだったのか?」  俺は苦笑いをし、パソコンに向かって、山上の写真に話しかける。  お前と別れてから、いくつもの出会いや別れを経験した。別れるたび、原点にふと戻るんだ。そこにはいつも笑っている、山上がいて――  離れていても、どこかで頑張ってるお前を想像して、俺も頑張っていたんだ。 「悲しいとかつらいを通り越して、心に穴が空いちまったみたいだ。すっげぇ喪失感……」  両拳をぎゅっと握りしめたとき、頭の中に突如流れてきた山上の言葉―― 『松田、僕は忘れないよ。お前を好きになってよかった……』  俺も同じだよ、山上。お前はもう手の届かないところへ逝ってしまったけど、俺はお前の分まで、しっかりと頑張ってみせる。だから…… 「そっちで俺のことを、きちんと見ていてくれよな。絶対に会社を、立て直してやるからさ」  この言葉に山上は、どう返してくれるだろうか? 『僕が認めた、はつ恋相手なんだから、どんなことだって大丈夫。松田ならきっと、出来ると信じてる』    男気溢れる顔をして、はっきりと言い切る姿が目に浮かぶよ。    勝手に妄想して、自分を奮起させた。俺は勢いよく立ちあがり、出かける準備をする。  あの世にいる山上に俺を見せつけてやるために、しっかりと頑張らなければ!  社長室から元気に飛び出してきた俺を、みんなが驚いた顔で見た。さっきまで、具合が悪そうにしていたんだから当然か。 「今まで、不甲斐ない社長をしていて悪かった。これからは気分を一新して、ガンガン営業取って来るから、みんなも協力して欲しい」  ペコリと45度に、頭を下げた。    すると―― 「言ったからには、しっかり実行してもらいます。期待してますよ若社長」  そう言って俺の背中を、バシンと強く叩いた副社長。他の人も、拍手して応援してくれた。 「みんなから、しっかりと気合いを戴きました。頑張って行ってきます!」  大きな声でみんなに宣言し終えてから、颯爽と会社を飛び出す。そんな俺の頬を、初夏の風が撫でるようにさぁっと触っていく。    まるで、山上に触れられたみたいだ。    切ない想いを、そっと抱いて歩きだした。    山上に恥じないように、お前の分までしっかりと生きて行こうと。 おわり ※この後は、山上を射殺した犯人のお話がはじまります。

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