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番外編 Name of lullaby
「まだ性別は分からないのか」
リビングのソファでコーヒーを一口含んでから、そう問い掛けてきた父の声が、珍しく浮ついていた。その目は、卓巳の隣に座る柚斗の腹へ向けられている。
柚斗の妊娠が発覚したのは二ヶ月前のことだ。
無事安定期に入ったこともあって、卓巳は電話で西園寺の実家へ報告した。するとそれ以降、弟の龍哉を通じて、父から「いつ帰ってくるんだ」と三日置きに催促がきた。
父が孫の誕生を密かに心待ちにしているらしいことは、以前本人の口から聞いていた。
あの時は、堅物なこの親父が世間で言う『じいじ』になるのか?、と想像して思わず笑ってしまったが、実際に柚斗が妊娠したとわかると、父は卓巳の想像を遥かに越えた『じいじ』になっていた。
「まだ安定期入ったばっかだし、わかんねえよ」
「早かったら、次の健診あたりでわかるかも知れないって、先生が言ってました」
照れ臭さもあって素っ気なく答えた卓巳を、柚斗が隣からさりげなくフォローする。
今となっては、実の息子の卓巳より、柚斗の方がよっぽど父の扱いが上手い。
柚斗の返答に「そうか」と明らかに口許を弛めて、父がふと、卓巳にコピー用紙の束を差し出してきた。
「まだ少し早いが、参考にでもしてくれ」
何だこれ…と、受け取った紙の束を、柚斗と二人で覗き込む。その表紙には、わざわざフレーム付きで『命名候補』の文字がデカデカと印字されていた。
「少しどころか、気ぃ早すぎだろ! てか何だよこの厚さ! 企画書か!?」
パラパラと捲ってみたが、男児だけでも五枚以上に渡っていくつもの名前と漢字の画数、更にはその意味までもが、ズラリと並んでいる。女児の名前候補も同じだけ挙げられているから、男女合わせれば軽く十枚分はある。
どんだけジジ馬鹿なんだと呆れる卓巳の横で、柚斗は「凄い……!」と素直に感動している。
「こんなに考えてもらえるなんて……! 卓巳さん、これでもう、名付け本買わなくて済みますね」
「柚斗、それは言わなくていい」
つい最近、本屋に並ぶ名付け本を眺めて、どれを買うか決めかねていた卓巳自身も、大概親馬鹿なのは自覚している。血は争えないとは、こういうことか。
感心しきった様子で父作の命名リストを捲っていた柚斗が、「あれ?」と声を上げた。
「これ……男の子には、全部卓巳さんの『巳』の字が入ってるんですね」
え?、と卓巳もリストへ視線を戻す。
言われてみると、並んでいるどの名前にも、確かに『巳』の文字が使われている。一方女児向けの名前の方には、全て『柚』の字が入っていた。
「何だよ、てっきり孫にも『龍』って入れてぇのかと思ったのに」
昔の卓巳ならもっと僻みっぽくなっただろうが、今は単純に意外だと思って父の顔を見る。
卓巳の視線から逃れるように、父は少し顔を背けてコーヒーを啜った。
「うちにもう一人息子が居れば、四人目は『巳』の字を入れるつもりだった」
「は……?」
またしても唐突な父の告白に、思わず間抜けな声が漏れた。
父も兄も弟も、全員がαで名前に『龍』の字が入っている中、一人だけβの『蛇』だった卓巳は、単なる落ちこぼれなのだと、子供の頃からそう思っていたのに。
「西園寺の家系は、昔から男児の名前に『龍』の文字を入れてきたが、京極家は男児に必ず『巳』の字を使っている」
京極、というのは、母の旧姓だ。
言われてみれば、もう十年以上前に他界した母方の祖父の名前は『雅巳』だった。
……何だそれ。
適当に付けたんじゃなかったのかよ。ていうか、普通はそう思うだろ。
どこまで言葉足らずなんだよ、いい歳してツンデレか。
小っ恥ずかしい気持ちで、卓巳と父が揃って黙り込む中。柚斗が、そんな卓巳たちを交互に見遣って、愛おしそうに目を細めた。
「卓巳さんのお母さんの家系は、卓巳さんがしっかり受け継いでるんですね」
互いに意地も照れもあり、なかなか素直になれない卓巳や父とは違って、柚斗は既に余裕のある母親の顔になっている。
柚斗に出会っていなければ、それこそ卓巳は今頃、いい歳をしてだらしのない男になっていたに違いない。自分はこの西園寺家のはみ出し者なんだと、やさぐれたまま。
「卓巳さんの『巳』の字、使えたらいいですね」
「男でも女でも、無事に生まれてくれるのが一番だろ」
柚斗にはそう返したが、生まれてくる子供が男なら、父の考えた候補の中から『龍』の字を貰うのも、まあ悪くはない。
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