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番外編 お題『寝なくても恋』

「ん……」  携帯のアラーム音に起こされ、透はベッドの上で微睡みながら小さく呻いた。  まだちゃんと目が開かないけれど、カーテン越しに差し込んでくる光が、朝の訪れを教えてくれている。  室内の空気はヒヤリとしていて、すぐにベッドから出るのは躊躇われる。  身体に巻きつけるようにしていたネイビーのブランケットを抱え込むと、淡いシトラスの柔軟剤がふわりと香った。  透の家では、嗅ぐことのない匂い。  ……そうだ。ここは、喜多川の部屋だ。  ようやく覚醒した頭で、ベッドの主を探す。  眠る時には喜多川が先にベッドに入っていて、それを確かめてから透はそっと隣に忍び込んだ……はずだった。  それなのに、すぐ隣に居たはずの喜多川の姿がない。彼が寝ていた場所に触れると、シーツもとっくに冷えきっている。  枕元に置いていた眼鏡をかけ、不貞腐れた顔で透はベッドから降りた。  そのままリビングに続く扉を開けると、思った通り、喜多川はソファに寝転がっていた。長い手脚が、窮屈そうにはみ出している。  またか……と、透は呟きをため息に変えて吐き出した。  透が喜多川の部屋に度々泊まるようになっても、彼は相変わらず、透と一緒に寝ようとしない。  いつもは透が先に寝てしまって、喜多川はソファで眠っているので、昨日はやっと、喜多川を先にベッドで寝かせることに成功したと思ったのに。  実は最初から眠ってなんかいなくて、透が寝付くのを待ってからソファへ移ったんだろうか。それとも途中で目覚めて気が付いたのか……どちらにしても、作戦は失敗だ。  喜多川に言い寄ってくる女子たちみたいに、身体を強請ったりなんかしない。  ただ隣で眠りたい、それだけなのに。  ……まだ、そこまでは許してもらえないのかな。  音を立てないよう、そっとソファの前にしゃがみ込む。  鼻筋の通った、綺麗な寝顔。  同じベッドで、すぐ隣で、この顔を見つめていられるだけで、充分幸せなのに。  少しの沈黙の後、目を閉じたままの喜多川の唇が突然動いた。 「言いてぇことあんなら言えよ」  驚いて目を見開く透の前で、ゆっくりと喜多川が瞼を持ち上げる。  ハスキー犬を思わせる瞳と、目が合った。 「いつから起きてたの」 「お前が寝室のドア開ける音で起きた」 「じゃあもっと早く言ってよ! 知らずに眺めてた俺が、恥ずかしいじゃん」 「今更だろ。……で? 他に何の文句があんだよ?」 「別に文句なんかないけど……」  そこで言い淀んだ透は、フイッと顔を背けて眉を寄せた。  どうせ喜多川はわかっている。  透が何を言いたいのか。どうして欲しいと思っているのか。  そしてそれは、透だって同じだ。  喜多川が頑なに透と同じベッドで寝ようとしないのは、彼なりの誠意だ。  わかっていて、透は昨夜、敢えてそこにつけ込んだ。  だって、透と喜多川の関係は、とても繊細であやふやだから。  だから喜多川の想いや存在を、どうしても確かめたくなってしまう。  誰かを好きになると、人はこんなにも臆病で、強欲になってしまうのか。 「……何でもないよ。起きたら喜多川が居なかったから、心配になっただけ」  呆れられたくなくて、当たり障りのない言葉で誤魔化す。  俺ってやっぱり意気地がないな、と乾いた笑いが漏れた。 「俺の前で、嘘吐くんじゃねぇよ」  寝起きとは思えない、迫力のある声に、思わず顔を上げる。  喜多川の双眸が、真っ直ぐに透を射抜く。  透の気持ちを知っていながら、だったらどうして、いつまでも応えてくれないんだと、悔しさが込み上げてくる。 「じゃあどうして喜多川は、いつも一人で寝るの。俺はやましいことなんか考えてない。ただ、一緒に寝るだけでも駄目?」  ハア…、とため息を溢した喜多川が、ぐしゃりと自身の髪を握り込んだ。  怒らせてしまったのかと思ったが、その顔は、どこか所在なさげに見える。 「何でそこまで、一緒に寝ることに拘る?」 「だって、いつまで経っても別々だから……」 「お前の鳥頭が覚えてるかどうか知らねぇけど、これで何回目だよ。軽々しく言うなっつってんだろ」 「軽々しくなんか言ってない!」  声を張った透に、喜多川がほんの一瞬目を瞠った。 「俺は、喜多川が好きだよ。好きな相手と一緒に寝たいって、そんなに軽率なこと?」 「……そういうとこが、軽いっつーんだよ」  小さく舌を鳴らした喜多川が、透の手を掴んで強引にソファへと引き上げた。抗う間もなかったので、喜多川に組み敷かれる格好になる。  すぐ目の前に、透を見下ろす喜多川の顔があって、ドキリと心臓が跳ねた。 「俺がその気になりゃ、お前が多少抵抗したところで、どうにでも出来る。その覚悟があって言ってんのか」 「あるよ」と、透は即答する。 「それに何より、喜多川は絶対にそんな真似、しない」 「何で言い切れる?」 「だって喜多川は、いつも俺のこと、大事にしてくれてるから」  感謝の気持ちも込めて言ったつもりだったのに、喜多川からは即座に頭突きが返ってきた。 「いっ……たぁ〜。俺なんか間違ってた!?」  ジンジンと痛む額を抑えつつ、涙目で抗議する。 「うるせぇ」 「あ、もしかして照れ隠し……とか?」 「もう一発喰らいたくなかったらもう黙ってろ。……そんだけ信用あんなら、大人しくベッドで寝てろよ」  頭突きの衝撃でソファから落下した透を尻目に、喜多川はそれだけ言って、再び目を閉じてしまった。  結局今回も、一緒に寝たいという透の願望は却下されてしまった。  けれど、透を大事にしてくれているという言葉は、否定されなかった。  もしかすると、透以上に我慢してくれているのは、実は喜多川の方だったりするのかも知れない。  もしそうなら、それは安易に身体を重ねるよりも、もっとずっと深い愛情のような気がする。  相変わらず、透と喜多川は上手く言い表せない関係だけれど、例え一緒に寝なくても、喜多川への恋心は、透の中で今日も確かに育っている。

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