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番外編 ろくでなしの君がくれた絆創膏
「痛……」
指先にピリッとした痛みを感じて、透は反射的に手を引っ込めた。
印刷機から出てくる大量の紙を束ねる作業をしていたら、うっかり紙で指を切ってしまったらしい。
透は、壁際の椅子に座ってうたた寝している喜多川へ視線を向けた。
一見眠っているようだけれど、あれは絶対に起きている。根拠はないが、喜多川という人間を少しは理解し始めている(と思いたい)透の勘だ。
教室だろうか、屋上だろうが、階段の踊り場だろうが、喜多川はどこでも眠る。でもそれはあくまでも目を閉じてリラックスする程度のもので、意識はずっと周囲に対して張り詰めている。
それこそ、本当に野生の狼みたいだと思うくらいに。
来月には、透の高校で文化祭が行われる。
実行委員である透と喜多川は、そのパンフレットの印刷を任されていた為、放課後こうして作業に当たっているというわけだ。
もっとも、喜多川は透が無理矢理引っ張ってきたので、我関せずといった様子で、椅子から動こうともしないのだけれど。
それでも、委員会の集まりにすら顔を出さずにさっさと帰宅してしまっていた時期に比べれば、こうして付き合ってくれるようになったのは、かなり大きな進歩だと透は思っている。
「喜多川。絆創膏、持ってたりしない?」
透が声を掛けると、案の定喜多川はすぐに反応して、伏せていた顔を上げた。
「印刷するだけの作業で、まさかずっこけたとか言わねぇだろーな」
「さすがにそこまでドジじゃないよ! ちょっと紙で指切っちゃって」
そう言って、薄ら血が滲んだ人差し指を差し出して見せる。
「もし無かったら、保健室で貰ってくる」
駄目元で聞いてみたのに、喜多川が億劫そうに取り出した財布の中から、意外にも絆創膏が出てきた。
「喜多川、絆創膏とか持ち歩いてるんだ?」
「お前から聞いといて、何だそれ」
やっと椅子から腰を上げて、透の傍にやって来た喜多川が、呆れた顔で絆創膏を押し付けてきた。
「あ、ありがとう」
慌てて受け取って、赤く線の走った傷口に巻く。
「……喜多川って、結構用意いいよね」
「は?」
「この絆創膏もそうだけど、その……ご、ゴム……とか、ちゃんといつも持ってるから」
自分たち以外は誰も居ないとわかっていても、つい声のトーンを落とした透の後頭部が、ペシっと軽く叩かれた。喜多川のため息付きで。
「変な意味じゃないよ!?」
「うるせぇ、この馬鹿」
口ではそう言っているけれど、喜多川の顔には「当たり前だろ」と書いてある。
見た目や態度に反して、実はとても紳士的な喜多川が、透はとても愛おしいと思う。言ったら、また小突かれそうだけれど。
「……何だよ、この『絆』って」
刷り終わったパンフレットの山を見つめて、不意に喜多川が呟いた。
表紙になるその紙には、美術部員がデザインしたフォントで『絆』の文字が大きく書かれている。
「何って、今度の文化祭のスローガンだよ。っていうか、実行委員会で決めたよね!?」
「寝てたから知らね」
素っ気なく言い捨てながらも、喜多川の視線はずっと『絆』の文字に注がれたままだ。
「……喜多川はこの言葉、あんまり好きじゃない?」
親子の絆や友達の絆なんてよく言うけれど、喜多川にはあまりしっくり来ない気がした。
「好き嫌い以前に、意味わかんねぇ」
その答えは、興味がないというより、素直に理解出来ないと言っているようだった。
「こういう行事ごとでは、ありがちな言葉だけどね」
「俺にとっちゃ、絆なんて有り難くも何ともねぇけどな」
「……どういうこと?」
「そんな前向きな言葉じゃねえってことだよ」
そう言って、喜多川は再び壁際の椅子へと引き返してしまった。
……前向きな言葉じゃない?
どちらかというと、透は『絆』という言葉には、ポジティブなイメージしかない。昔から引っ込み思案な透にとっては、むしろ眩しすぎるくらいだ。
『みんなで力を合わせて絆を深めよう!』だとか、小学生の頃から事あるごとに聞いてきた。
性格的に透はあまり賛同出来なかったけれど、前向きな言葉であることには変わりないと思っていた。
喜多川に貰った絆創膏を巻いた指に、何となく視線を落とす。そこでふと、絆創膏にも『絆』の文字が入っていることに気がついた。
「……なんで、『絆創膏』って言うんだろ」
「いきなり何だよ」
「絆創膏も、そういえば『絆』って書くよなって思って。なんで『絆』なのかな?」
「……つなぎ止めるからだろ」
「つなぎ止める……?」
喜多川の返事を反芻して、ハッとした。
慌ててスマートフォンを取り出して、『絆』という言葉の意味を調べてみる。
「やっぱり」と、透は心の中で呟いた。
今でこそ、強い繋がりを表すことが多い言葉だけれど、元々は馬などを無理矢理つなぎ止めておくものを指すのだそうだ。
決して断つことの出来ない、強い繋がり。
それは時に、安心感や充足感を与えてくれる。
けれど、喜多川にとってはどうだろう。
複雑な親子関係。
心を開けない人間関係。
それは喜多川にとって、息苦しい鎖でしかないのかも知れない。
居心地の良い『絆』なんて、喜多川はきっと知らないんだ。
再び黙り込んで目を伏せる喜多川を、透は気付けばギュッと抱き締めていた。
さすがに少し驚いたのか、僅かに喜多川の肩が揺れるのがわかった。
「さっきから脈絡ねぇな。今度は何だよ」
座ったままの喜多川が、透の胸元でくぐもった声を上げる。
「喜多川が、絆創膏持っててくれて良かったなと思って」
「期待してなかったクセに、調子良いこと言ってんじゃねーよ」
相変わらず、喜多川からは憎たらしい言葉ばかり返ってくる。
でもこうして触れても、嫌がられなくなったのは、いつからだっけ。
「喜多川の絆創膏がつなぎ止めてくれたから、これも『絆』だよ」
「……しょぼい絆だな」
「俺にとっては、大事な絆だから」
今はまだ、指先に巻けるくらいの小さな絆。
明日にはもう外れてしまうくらいの、儚い絆。
けれどいつか、明日も明後日も、一週間後も一年後も。ずっと繋がっていられる絆を、喜多川との間に結びたい。
喜多川になら、つなぎ止められたって構わない。
好きな人につなぎ止められるのは、案外心地良いものなんだと、喜多川が知ってくれる日が、どうか訪れますように。
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