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最終話
一歩二歩、歩いては止まらなければならないほど人にあふれた歩道から脇道に逃げる。生温い空気から抜けてホッとした。
地下鉄の出口から地上に出ると駅前商店街一帯で盛大な祭りが行われていた。あちこちから呼び込みの声や野外ライブの爆音、大道芸の輪などいつもは避けている休日の街に酔いそうになる。
脇道を抜けビルの隙間から地下へ向う階段を降りるとそのライブハウスはあった。過ぎてきた時間を感じさせる壁の色と通路の狭さが心地よい。扉から暗く狭い通路を抜けると、テーブルと椅子が窮屈に並んでいる。右奥には一段高くなったステージにグランドピアノ、キーボード、スツール、アンプが並ぶ。こじんまりした中に音楽を流し続けてきた風格を感じる。
一番後ろに席を取りコーヒーを頼むと期待と緊張が全身を通り抜けた。
初めて君の声を聞いたのは職場の有線放送だった。
耳から離れない鼻にかかった声と儚げに訴えてくる言葉。その場でコールセンターに問い合わせ「今流れている曲は?」と尋ね、難しげなカタカナ言葉のバンド名とタイトルを音のまま書き取った。
アコースティックな歌謡曲かと部分的に聞いたイメージのまま調べてみるとビジュアルロック系だったのに驚きながら、すぐに音源を手に入れ過去作品まで全部揃えた。
どんどんハマっていく自分に、まだこんな感情が残っていたのかと驚いた。取り憑かれたような心を抑えきれずライブにも足を運ぶようになったのだ。
会場の照明が落ち、幅の狭いドアから光とともにメンバーが登場した。
ピアノ、ギター、ボーカルのアコースティックライブ。君の復帰にアコースティックなんてきっとファンは驚いただろう。
「ハロウィンナイトパーティにようこそ!」
心臓がしゃっくりをしたかのようにおかしな動きをしたのは、君の顔を見た瞬間にたくさん薬をのんでいるのだとすぐにわかったからだ。僕には無理をしているようにしか見えない。見ているのがつらい。それでも君は
「とても体の調子がいいんだ」
という。そしていきなり唄いだしたその声は、今までで一番の唄声だった。
そんなに力一杯唄わなくていい。みんなに十分聞こえているから。
そんなに頑張らなくていいんだよ。
でも、そんなことは知らないとばかりに
「唄ってるとマイク握りしめちゃって手が痛いくらい」
と笑って右手を振ってみせる。
君は力の加減というものを知っているのか?
どんなに伝えても君は自分を『唄声』でしか認めないだろう。
涙が自然に伝ってきたのは僕だけじゃない。あちこちにタオルを顔にあてる人が見えた。
「生きる意味を唄うから。
死んじゃった友達のこととか……感じたことしか唄えなくて」
ずっと前から生きることと死ぬことと生まれ変わることを唄ってきたよね。
また唄いだしてくれてうれしいよ。声を聞きにきてくれる人がこんなにいるんだから。
カッコつけたりしないでそのままでいいんだよ。
相変わらず、絵に描いたような綺麗な手をしているね。少し太ったかな?やせすぎていたからちょうどいい。左右アンバランスに整えた髪型もいいね。黒髪が本当は好きなんだけど、そのグレーのような茶色のようなシルバーのような色も君らしい。
前より少し落ち着いた服装だと感じるのはモノトーンだからかな、でもやっぱり面白い形の服だね。
懐かしい思い出はいろいろあるけど、今日の君にまた溺れそうなくらい満たされた。
こっちを時々見ていたのは、もう気のせいだなんて思わない。僕を見て笑ってくれてありがとう。
アンコールは悪魔のツノのカチューシャをしておどけて登場し、観客の笑いを誘う。あの解散の時のライブと同じように飴を投げながら
「何でも唄うよ、リクエストして」
あちこちから懐かしい曲がリクエストされる。
そして「いいよ、唄うよ」と次々唄った。楽しくて仕方ないというように。
僕はリクエストには声を出せずにいたけれど、
「最後はこれで」
と唄ったのは、僕が君をみつけた曲だった。
あれ、僕はその話をいつしたんだろう?もしかして記憶のないあの日?
あの日君が僕のところへ来たのは偶然かもしれないけど、僕は自分が探し出し引き寄せたと思っているよ。
一人では空っぽだった僕を満たしてくれる。それだけでいい。
僕はもう迷わない。
君の空っぽを満たすのは僕だ。
【唄いながら歩いていこう 終】
あとがきへ続く
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