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第1話

 某都立高校一年A組。  窓際から二列目の、一番後ろの席で、高坂晴人(こうさかはると)は午後の気怠い授業に堪らず欠伸を漏らした。  四月も後半に差し掛かり、じきにGWに突入しようかというこの時期。今日は天気も快晴で、窓から差し込んでくる陽射しが丁度晴人の席をポカポカと照らしてくれるので、ついつい眠気を誘われる。  ようやく着慣れてきた制服に、見慣れ始めたクラスメイト。  ────だがしかし。たった一人、同じクラスであるにも拘らず、まだ一度しかその姿を見ていない生徒が居る。  黒板の前で教師が指示する教科書のページを開きながら、頬杖をついた晴人は、チラリと視線を持ち上げた。入学式の日を最後に、もうずっと空席のままの机が目の前にある。  その机の主は、確か黒執(くろとり)レンといった。  入学式のたった一日しか見ていないのに、フルネームをしっかり覚えているのは、彼の印象が色んな意味で衝撃的だったからだ。  あの日、今は空っぽのこの席に座っていたのは、色白で華奢な少年だった。身長185cmの晴人より頭一つ分くらい小柄なその少年は、少し俯きがちにジッと席に座っていた。  それだけなら特別大して記憶にも残らないのだが、彼の容姿は、絵画や漫画の中から抜け出してきたのではと思うくらい、とてつもなく小綺麗な顔立ちだったのだ。  折角の綺麗な目元が隠れそうな程伸ばされた、少し癖のある髪は色素が薄く、同じように薄い色の瞳は銀色にも、角度によっては金色にも見えて、日本人以外の血が入っているのだろうということは、聞かずともわかった。  ただ、色白の肌はもう白いという域を通り過ぎて、若干青白くも見え、それが何となく近寄り難い印象を醸し出していた。  彼自身からもどことなく他人を寄せ付けないようなオーラを感じて、晴人を含め周りのクラスメイトたちは、皆その人形のような美少年を遠巻きに眺めることしか出来なかった。  終始周囲の視線を釘付けにしていたレンだったが、そんな彼は入学式の真っ最中に、突然派手にぶっ倒れたのである。  衝撃の出来事に、入学式は一時中断。式が行われていた講堂は、一転して騒々しい空気に包まれた。  恐らく晴人だけでなく、クラスメイトやひょっとしたら他のクラスの生徒さえも、彼のことは鮮明に覚えているのではなかろうか。  顔が青白いのは貧血だったんだろうか、と晴人もそのときは思ったのだが、まさか彼を見るのがその日で最後になろうとは、誰も思っていなかっただろう。  式の途中で教師たちに保健室へと運ばれた彼は、その日を最後に、学校へ姿を見せることはなかったのだ。  男の晴人でさえ、レンのあまりに整った容姿についつい見惚れてしまった程なので、クラスの女子たちに至っては「貧血かな?」「風邪じゃない?」など思い思いに言い合いながら、彼の登校をソワソワと心待ちにしていた。  だが、欠席日数が一週間になり、二週間になり、そして三週間になる頃には、いよいよ不登校や難病説、挙げ句の果てには死亡説や幽霊説まで出始めていた。 (入学式でぶっ倒れる幽霊ってのもなあ……)  出席番号の関係でたまたま真後ろの席になった晴人は、幽霊だと囁かれている主の居ない空席を眺めて溜息を吐いた。  馬鹿馬鹿しいと思う反面、レンの容姿が美しすぎてある意味人間離れして見えただけに、彼に限っては幽霊だと言われても納得してしまいそうだ。  まあ一先ず、幽霊説や死亡説はないと思いたいので、一旦置いておくとして。  レンのあの異常な肌の青白さなら、難病……とまではいかなくとも、何か病気を抱えていても不思議ではないと思う。現に、式の最中にあれだけ派手に倒れたくらいだ。  けれど、これだけ欠席が続けばさすがにクラスメイトも皆気にしているのだが、担任からはレンに関する報告は特になく、むしろ黒執レンという生徒など最初から存在していないのだと言わんばかりの無関心ぶりなのだ。  そのことが、晴人には不思議で仕方がなかった。  お陰で、「ヤバイ事件に巻き込まれたらしい」だとか、「この学校の七不思議の一つに似たような話がある」だとか、クラス内では徐々に彼に関する噂話がエスカレートし始めている。  何か、皆には話せない事情でもあるのだろうか。  肝心の本人が居ないところであれこれと考えていても答えが出るはずもなく、晴人がぼんやりとレンの席を眺めている間に、気付けば授業もHRも終わっていて、教室内は放課後の喧騒に包まれていた。 「晴人、部活行こーぜ」  学校名の入ったスポーツバッグを肩に引っ掛けて、晴人の椅子の脚を軽く蹴飛ばしてきたのは、中学から付き合いのある本城大和(ほんじょうやまと)だ。中・高と、共に同じサッカー部でもあるので、ここ数年では家族以外で晴人が一番時間を共にしている相手だ。  いつでも飄々としていて掴みどころがないが、話しやすいし悪いヤツじゃない……と、晴人は思っている。 「ああ……悪い、すぐ用意する」  慌てて広げっぱなしだった教科書を仕舞い、荷物を纏める晴人に、大和が呆れた様子で肩を竦める。 「なにボーッとしてたんだよ」 「いや、ちょっと考え事してた」  晴人の答えに、大和が今度はニンマリといやらしい笑みを浮かべた。 「……さては、何かエロいこと考えてたな?」 「お前と一緒にするな、アホ」  立ち上がり様、ペンケースでポカリと大和の頭を叩いてから、それをバッグに押し込んでファスナーを閉める。 「どーだかなー。お前の二つ前の席の加藤さん、すげー可愛いし~? 前の席空いてるお陰で、お前授業中眺めたい放題だし~?」  大和の言う可愛い加藤さんになど目もくれず、ひたすら目の前の空席を眺めてその主のことを考えていたとはさすがに言えず、晴人は呆れた溜息だけを返すに留めた。  そんな晴人の反応に「つまんねーの」と口を尖らせる大和と並んで、晴人は教室を出て部室を目指し歩き出す。 「お前ってホント、中学の頃からそーゆーとこ冷めてるよな」 「……どういうとこだよ?」 「腹立つけど、お前中学の頃から結構モテてたじゃん。お前と仲良いからって、手紙渡してくれって頼まれたことも何回かあったし。でも結局付き合ってもひと月もたなかったりさー」  マジ男の敵だわ、と大和がジロリと晴人を横目に睨んでくる。  小学生の頃からサッカーをしている晴人は、運動神経にはそこそこ自信がある。  顔立ちも、レンのように大衆の目を引くような派手さはないものの、身長もそれなりに高い方だし、日々筋トレもしているので、適度に身体は引き締めている自負もある。  幼い頃から晴人をよく知っている近所の人たちからは、「精悍なスポーツマンって言葉がピッタリな男前になったわねえ」なんて評して貰っていて、女子に声を掛けられることは度々あった。  しかし小さい頃から運動ばかりしていた所為か、晴人にはイマイチ女心というものがよくわからない。  中学の頃には、強引に押し切られる形で交際に発展した相手も居たのだが、そもそも付き合って何がどうなるのかもよくわかっていなかった晴人は、「高坂くんってサッカーばっかりだよね」と一方的にフラれてしまった。  そもそもどういう話題を振れば女子が喜ぶのかもわからないし、晴人は大和と違ってそう饒舌な方でもないので、話しかけられてもすぐに会話が途切れてしまったりする。  だから、晴人の見た目に惹かれて声を掛けてくれても、実際大して女子の喜ぶ応対が出来ない晴人の性格を知ると、皆結局は離れていくのだ。  晴人自身も、正直今はまだ異性との時間よりもサッカーをしている時間の方がよほど楽しいので、大和の言うように「冷めてる」と思われるのも仕方ないのかも知れない。  でもそんな自分が、何故レンのことは部活の時間も忘れるほど、気になったのだろう。  目の前の席の相手が、もうひと月近くも欠席しているから? それなら、席が離れていれば特に気にならなかったのだろうか。  入学式の日に見た、レンの容姿を思い出す。  あれだけ端麗な容姿で、周囲の視線にも気付いていたはずなのに、それらを頑なに拒み続けるような彼の雰囲気と、危うい青白さ。 (……あんな強烈なの、忘れないだろ)  何故そう思うのかはわからないが、恐らく自分とレンの席が例え教室の両端に離れていたとしても、自分はきっと、レンのことが気になったような気がする。  ……大和は、どうなのだろう。  ふとそう思って、晴人は「なあ」と隣を歩く大和を見た。 「お前……黒執のこと、何か聞いてるか?」 「クロトリ?」  大和は一瞬、誰?、と言いたげに首を傾げた後、少し間を置いてから「ああ! あの不登校のヤツ!」と手を打った。彼の中では、レンは『不登校』という扱いらしい。 「そーいや一ヶ月近く学校来てねーのに、谷セン何も言わねーよな。なんか大人しそうな感じのヤツだったし、式ンとき倒れたのが気まずくて登校し辛いんじゃね? その内ひょっこり来るンじゃねぇの」  さほど興味も無さそうな大和の口振りに、晴人の胸の中には得体の知れない(もや)のようなものが広がっていく。 「何だよ、お前もしかして加藤さんじゃなくて黒……なんだっけ? あの黒ナントカってヤツが気になってンの? 女子に対して冷めてんのってもしかしてそーゆーコト?」  揶揄う大和の声を、晴人は「そんなんじゃない」と一蹴出来なかった。  大和は、黒執の名前すらまともに覚えていない。たった一日しか顔を見ていないのだから、考えてみれば別におかしなことでもない。  レンの第一印象はそれはもう強烈だったが、さすがにそれからひと月近く顔を見せていないとなれば、その印象が薄れていくのも無理はない。クラスメイトたちも、死亡説や幽霊説などを面白おかしく話している時点で、レンの存在自体がある種の都市伝説のようなものになってしまっているのかも知れない。  その証拠に、今となってはクラスの誰も、担任にレンの欠席理由などを尋ねたりはしなくなっていた。  それなのに、晴人だけはレンのことが妙に気になって仕方がないのだ。自分と周囲とのこの温度差は、一体何なのだろう。  胸の中がモヤモヤして、その理由がわからずに苛々する。  ────部活が終わったら、職員室に寄ろう。  担任に直接レンの欠席理由を聞けば、少しはスッキリするかも知れない。そう決意した晴人は、大和の「……まさかのガチ?」という問い掛けには気付かなかったフリをして、部室のドアを開けた。

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