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第1話

 今夜はいささか飲み過ぎた。  別段、酒に弱いわけでもない。どちらかといえば強い方だといえる。――が、今宵の接待の宴席には年長者も多く、何かと気を遣い遣われる内に、すっかりと深酒になってしまったのだ。  運転手付きの高級車を降りると、鐘崎遼二(かねさきりょうじ)はなるべく音を立てないようにと、静かに玄関の鍵を開けた。ここは自身の両親が住まう本宅の敷地内に立てられた別棟である。いわば”離れ”といえるが、広大過ぎる程の土地の中では、徒歩だと数分は優にかかるほどの距離だった。  遼二は曾祖父の代から受け継がれる夜の商売を生業とする、とある大企業の御曹司だ。職業柄、堅気ではない関係の付き合いも多い。というのも、曾祖父が始めた稼業というのは、当時『遊郭』と呼ばれる――言うなれば店子(たなご)に”色”を売らせる商売だったからである。それも、江戸の吉原のように遊女が殿方の相手をするのではなく、男色の客を男の店子が接待するというものであった。  頃は大正の浪漫香る時代のこと、創業当時、それはそれは結構な賑わいだったと幼い時分から聞き及んで育った。現在は遊郭という名で呼ばれることもなくなったし、時代に合わせて店構えから経営の方針から様々と形を変えてはいるが、やっていることは同じである。  遼二は今年で数えの三十歳を迎え、企業戦士としては働き盛り伸び盛りの勢いのある青年だ。一八〇センチを越える筋肉質の長身で、顔立ちはといえば、ほぼ万人が一目で息を呑むほどの男前である。濡羽色(ぬればいろ)の髪は、殆ど手入れなどしていないというのに、艶掛かった長めのショートヘアを無造作にバックに梳かし付けているのが何とも艶めかしい。加えて濃灰とも漆黒ともつかない、見る角度によってはどちらとも取れるようなくっきりとした大きな瞳は切れ長の二重で、特に意識して睨みなどきかせずとも眼力がある。もしも無言の無表情で彼に見つめられたりしたものならば、思わずひるんでしまいそうなくらいだ。が、しかし、何かの拍子にふっと笑顔を見せたりすれば、途端に柔和で人懐こい印象が浮かび上がる。そのギャップにどれ程の女性が心をときめかせたことだろうと思わせるような風貌をしていた。  そんな遼二であるが、実のところ、この羨ましいような容姿とは裏腹に、取り立てては浮き名の噂も聞かれないといったふうであった。周囲の女性たちからは、硬派だの理想が高過ぎるだのと焦れられては、恨み言を言われ続けている。当の本人にしてみれば単に稼業が多忙なだけで、色恋に現を抜かしている時間が持てないというだけなのである。  まあ、取り立てて心を揺さぶられる相手もいないので、どう言われようが右から左と、適当に聞き流してきたのだ。  そう――今までは――確かにそうであった。 ◇    ◇    ◇  広々とした玄関には常夜灯が仄暗く足下を照らしている。  もう休んでいるだろうか――、そう思って忍び足でリビングの扉を開けた。すると予想に反して煌々と灯りが点いており、ふと視線をやった大理石のテーブルの上には飲みかけのショットグラスがひとつ。ロックで飲んでいたのだろう氷が溶けきって薄まった黄金色の酒からは、微かなバーボンが香っていた。側には銀製の菓子器の上にクッキーがたんまりと盛ってある。また酒を飲みながら、この甘い菓子をつまんでいたと思わせる。それらを目にした瞬間に、疲れ気味だった遼二の瞳が瞬時に弧を描いて細められた。 「こんなところでうたた寝なんぞしてたら風邪を引くぜ――」  自然と口角も上がり、形のいい唇からやわらかな笑みがこぼれる。  傍から見れば甘過ぎる程のこの表情――、おそらくは遼二本人とて、自らがこんなにもやさしい微笑みに頬を緩めているなどとは思いもしないだろうか。ふと手を伸ばした先には色白の頬がほんのりと紅色に染まっている。きっとこのバーボンのせいなのだろう。 「――ったく、仕方のねえヤツだな」  すっかりと寝入っているのだろう身体を抱き上げて、寝室へ運ばんと思った矢先だった。 「……ん、あれ……? おかえり……」  うつらうつらとしていた瞳がゆっくりと開かれた。 「起こしちまったか」 「……や、ごめ……起きて待ってるつもりだったんだけど……。今、何時?」 「二十五時だ」  そう告げると、ソファからむっくりと身体を起こしながら、陶器のような質感の美しい頬を緩ませた。 「出たよ、アンタの口癖。夜中の一時を二十五時って言うやつ」  形のいい大きな瞳を目一杯細くしながら、クスクスと可笑しそうに笑う。薄茶色のゆるやかな癖毛が無造作に顔周りを覆っているのを邪魔そうに掻き上げながら、ひょうきんに微笑む――そんな仕草にも、より一層瞳が緩んでしまいそうだった。

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