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第1話

 若気の至り、黒歴史。  あの期間を名付けるなら、そんなところ。  高校デビューとでも言えばいいだろうか。それも随分と青臭く気恥ずかしい響きだけれど、知り合いの1人もいない学校に入学した俺は、とにかく唐突に、ませた子供として開眼した。  それでも所詮、勉強より遊び優先などこにでもいるガキだ。ただ悪乗りが過ぎて、出会い系なんてものに手を出した。それも男専用の。  学校は奇しくも男子校。嘘か真か本気か冗談か、その手の話題には事欠かなかった。  最初は単なる好奇心。  話のネタにでもなればいいと思った。  確か何人かとコンタクトは取った。でも俺がガキだと分かると、大抵は倦厭されてしまった。今にして思えば、冷やかしだと感付かれていたのだろう。  そんな中でただ1人、あっさりと会う約束を交わした人物がいた。  その素早さたるや、俺の方が騙さてるんじゃないかと警戒したほどだ。  事前に見せられた顔写真も、別に不細工でもなければ肥満体でもない。どちらかと言えば見栄えはいいくらいだった。  半信半疑で待ち合わせの駅前に行ったら、写真通りの人物がいて驚いたっけ。  俺より一回りも年上のくせに金髪で、これもまた野暮ったい言葉だけれど、どことなく危険な雰囲気を帯びていた。身長は高く、社会人特有の草臥れた気配はどこにもない。それ以前に生活感そのものが薄かった。  憧れるにはもってこいの男が、そこにいた。  で、その日のうちにホテルに行って、俺は晴れて童貞喪失。  余裕があって積極的でエロくて、それを恋と勘違いするには充分だった。  誘いを一切断らないその男は無知な俺をどんどん調子付かせ、俺が、これって付き合ってるのかな? なんて言えば、君がそうしたいならいいよ、と答えた。  そりゃあ舞い上がったね。こちとら世間知らずで経験不足な、それでいて体力も性欲も有り余ってる男子高校生ですから。  学校には実際何人か男同士でデキてるという話も耳にしていて、その辺の抵抗が少なかったのも原因の一端だったとは思う。  残念ながら小柄な女の子ではないけれど、その代わり背の高くて男前で煙草の似合う、それはそれはふしだらな体の持ち主が恋人とあらば、ああこれが青春ってヤツなのか、なんて思いもしたよ。  でも俺の春は短かった。  あれは本当、なんだったのかな。  浮気?  そんな可愛いものだったか?  今どこそこにいるからおいでよ、なんて呼ばれて浮かれ気分で向かったら、そこは乱交現場だったり。  後から友達来てもいい? なんて言葉に頷こうものなら、出迎えのハグもキスも、時にはセックスが始まったり。  食事やショッピングをしながらデートを満喫していようが、気になった男をみつければ俺を放ってナンパを始める始末。  そう、俺の自称恋人は、とんでもないクソビッチだったのです。  もうね、幻滅。いやそれでもカッコ良く見えたし、可愛くも見えた。でも耐えられなかった。  だって恋人って言ったのに、どういう仕打ち?  学校に行けばクラスメイトが、彼女に浮気がバレたと大慌てだ。そうだよ浮気ってのはバレるとかバレないとか、そういうものだろうがよ。  隠す気もない。悪びれる素振りもない。  俺って一体なんなの?  俺じゃこの人を独占出来ないの?  限界を迎えるまではすぐだった。  ごめんなさい、他のヤツとヤるなら別れて下さい。  アンサー。分かった、別れよう。  最低。  こうして俺の初恋もどきと青春もどきは終わった。  残ったのは、多大な爪跡だけだ。  一時期とはいえ男との情事にのめり込んでいた俺は、その後女の子と接する度に違和感を覚え続け、今じゃ立派なゲイとなった。  でも勿論、あの時の失敗を生かしてないわけじゃない。  慎重にスマートに、そうやって振る舞っていれば「クール」と評される人種になっていた。それは何よりだ。俺は自分の性的指向を大っぴらにカミングアウトなどする気はないし、ある程度距離を保ってくれた方が助かるというもの。  そうやって壁をつくって、そつなくこなして、仕事に打ち込んでいたら、社会人生活数年でフリーのプログラマーとして独立を果たした。  良くも悪くも、俺の人格形成を大きく左右した人物。  今でも昨日の事のように思い出せるのは未練なんかじゃない。インパクトだ、インパクト。あんな強烈なやつ、そうそういない。いて堪るか。  俺は上手く生きるんだ。  もうあんなのに振り回されるのはご免だ。  だから女とも男とも付き合わない。  性欲なら、時々その手の店に顔を出して、適当に一晩だけの相手を見つければいい。  俺はそうやって、生きていくんだから。  今日もそのつもりで、時折足を運ぶ店の扉を開けた瞬間だった。  大して広くもない店の奥から、水の撥ねる音。 「あんた、しつこい」  ……あーあ。  声の出所を捜せば痩せた男が、グラスの水を顔面から浴びていた。  酷い格好。  はっきり言って、どんな層にも、到底モテそうにない出で立ちだった。  すっかり根元が黒くなった傷んだ金髪も、上背だけあってひょろひょろの体付きも、だらしないだけの無精髭も、痩せた頬も、どこをとっても貧相で、その上若さも持っていなかった。  すっかり気分を害した様子の水をかけた方の男は、さっさと勘定を済ませ出て行った。  この店でトラブルなんて、珍しい。  ここは割と客層、いいと思ってたのになあ。みんな無害そうで。 「あらぁ久し振り、ご注文はー?」 「ジンライム」 「はぁい、いつものねぇ」  カウンターに着くと、低音のオネエ言葉が出迎えてくれた。  水は滴っているがいい男には見えない注目の人物の挙動を目で追っていれば、何事もなかったかのようにスツールに腰を下ろしていた。濡れた髪を拭いもせずに。  その空間だけが、明らかに異様だった。見るなという方が無理だ。 「あー彼ねぇ。最近良く来るのよぉ。毎回この調子でねぇ、こっちも困ってはいるんだけど、追い出すまでには至らないって言うかぁ」 「はあ……」  ライムの飾られたグラスを差し出しながら、店主は聞いてもいない事を小声で喋り出した。 「あんまり続くようなら、ちょっと言ってやらなきゃならないわねぇ」 「なんて?」 「ビール1杯で4時間も5時間も粘ってんじゃねーよ、かしらねぇ」 「そこかよ」  まあ、本音ではあるんだろうなあ。  あんな気味の悪い客で、金にもならないんじゃ。 「そりゃあね? みぃんな仲良く、あの子だっていい人が見付かれば理想よぉ?」 「何連敗してんの?」 「さあどうかしら。でもあの風貌じゃねぇ……」  確かにな。好み以前の問題だ。近寄り難いなんてレベルじゃない。  その上しつこいらしいし、これじゃ……やっべ、目ぇ合った。  …………ん?  咄嗟に思い切り逸らしてしまった目を、恐る恐る異様な男へと、視線を戻していく。 「…………卯月さん?」  その金髪、その垂れ目。  記憶の中に、面影は、あった。 「あ……えっと、ああ……もしかして……」  なんとか、ほんの少しだけれど、一致する部分は、あった。  向こうも覚えがあったようで、立ち上がり、こちらへ近寄ってきた。まじまじと顔を覗き込まれ、疲れ切った顔が途端にぱあっと明るくなった。 「あは、君、あれだよねえ? えっとー高校生だった子。名前、なんだっけ?」  はーあ?  もう信じられない!  名前すらも覚えてないって? 「和成です、かーずーなーりぃー」 「ああ! そうだったそうだった! あーなんだーコッチの道に来たんだぁ。へーえ? おっきくなったねえ」 「あらぁ、お知り合い?」 「……まあ……残念ながら」 「えー何それ、ひっどいなあ。俺たち付き合ってたでしょー?」 「酷いのはどっちですか、名前も覚えてなかったくせに!」  なんか、前にも増して酷くなってないか?  いや、昔から、こうだった気もする。  ああ、そうか。見た目が違うのか。老けたなあ、この人。貫禄も何もない。ただのみすぼらしいオッサンに成り下がってる。顔……も、元のつくりは悪くないんだろうな、というのが、辛うじて見て取れる程度だ。  あの頃の輝きなんて、どこにもない。 「まあまあいいじゃない。折角会えたんだしさー再会記念に、俺と遊んでよ」 「はあ? 嫌ですよ、どうして今更あんたなんかと」 「あーねえねえ、アタシお願いがあるんだけど?」 「……はい?」  うわあ、嫌な予感。 「悪いんだけど、知り合いならぁ……今日のところは、引き取ってくれると、嬉しいんだけど、なぁ?」  げー……マジで言ってんのかよ。 「ね、お願い。今日のお代、タダでいいから」 「……次もタダにして下さい」 「あーんもう、仕方ないわねぇ~特別よ、と・く・べ・つ」  …………はあ。  ほんっと災難。  今更会ってどうすんの。  気は重いけれど仕方ない。今日は店主の顔を立ててやる事にしよう。  もう本当、最悪。 「やったーやっと脱独り身~」  この人の為なんかじゃないんだからな、本当に。

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