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第11話 記憶に刻んで

「あっ……」  緩んだ指先を振り解かれ、和真がそのまま扉へ向かう。  書斎から出て行く後ろ姿を目で追いながらも、もう一度縋る事は出来なかった。 (もう、俺と一緒に……居たく、ないなら……離れないとな)  そう決めて一緒に居たのだから。  行かないで欲しいと縋る事も、ここに居続ける事も、もう出来ない。  もともと不釣り合いだと分かっていた。  和真を慕う者から和真に隠れて、直接そう言われたことも何度もあった。その度に何度も『和真が望むから、ここにいるだけだ』と告げていた。  傲慢だと怒る者も居たけれど、実際はそうじゃない。  もともと和真の望みが亜樹にとっては全てだったから。傍にいるのも離れるのも、和真の願い一つだった。    だから、もうここには居られない。  今も好きで、きっと一生愛してる。それは離れていようと変わらないから、ここではない遠い場所でこれからは和真を想っていくんだろう。  涙はいつの間にか止まっていた。  心は相変わらず痛くて仕方がないのに、その痛む場所に大きな穴があるようだった。 (悲しすぎると、人って、泣けなくなるんだな……)  初めて知った事だった。  和真と一緒に居るようになって知った事は多かった。認めてもらえる喜びも、好きな人に抱かれる快感も、甘やかされる腕の温もりも、その他にも色々な常識も教えて貰えたけど。これは知らずに居られたら良かった。 (でも、結局俺が分からないままバカな事をしたから……)  この後悔と痛みを記憶するように、亜樹はキツく目を閉じる。1つ大きく息を吐いて亜樹は改めて周りを見渡した。  和真が戻るのはいつだろう。  出来ることならお別れぐらいは言えたら良い。 (顔も見たくないって事もあるかもな……)  でも、これが最後だ。たった1度のワガママだ、と自分を納得させながら、宛がわれていた部屋へ足を向ける。  部屋に入った亜樹は真っ直ぐに、クローゼットの扉を開いた。  クローゼットにも小物入れにも、買い与えられた衣類や時計などがそれなりの数で入っている。でも、これは全て置いていく予定だから、詰める荷物なんて全くない。ただ、その奥の端っこに転がしていた安物のリュックだけを引き出して、今度は壁に据え付けられた棚へ向かっていく。  棚には買って貰った複数の画集と色々な画材がある。それらと並んだスケッチブックを手に取って、最近の新しい物と手付かずの物以外をリュックへ詰めた。 「これぐらいは、もらっていっても良いよな」  和真のお金で買った物は出来るだけ置いていこうと思うけど、このスケッチブック達だけはどうしても持って行きたかった。  スケッチブックをリュックに入れると、残りの2冊を小脇に抱えて、和真の書斎まで戻っていく。和真の居ない時に立ち入る事のほとんどないこの部屋は、見慣れない部屋のようにも感じてしまう。それでも、間違いなく今まで一緒に過ごした部屋の1つだった。  床に座り込み、新しいスケッチブックの1枚目を開く。鉛筆を走らせる前にもう1度目を閉じて、そのページに和真の顔を描いていく。  それは記憶にある優しい顔の和真ではなく、この部屋で最後に見た和真の顔だった。  思い出せば苦しくなる。それでもこの絵が諦めさせてくれる。  傍に居たいという想いも、まだどうにかなるのでは、という期待も。そんな想いに止まってしまいそうな身体さえ、この絵を見れば動き出せる。 (早く、出て行く準備を終わらなきゃ)  手早く、でも思い出せる限りの細部まで書き込んだ絵の和真が、さっきと同じように侮蔑染みた目を亜樹の方へ向けていた。その目元をソッと亜樹が指でなぞっていく。  「ごめんね、和真……」  そのスケッチを横へ置き、残りのページへこの家で過ごした和真との記憶を焼き付けるように描き込んでいく。  各部屋の風景から、思い出せる限りの和真の表情も書き添えて、ページを全て埋めていった。

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