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第35話 理性と感情
「……あぁ、そうだな」
わずかに空いた間が気にならない訳じゃない。
だけど今は何よりも、否定されなかった事に身体から力が抜けて。
亜樹の唇から安堵の吐息がかすかに零れた。
1度は触れられる事を拒絶されるぐらいに厭《いと》われたとしても、もう一度伸ばした指先が受け入れられた事が嬉しかった。
「……そもそも、あの時もお前が疎ましかったわけじゃない」
だからその言葉に、どうしても戸惑ってしまう。
「和真、俺に、触られたく、なかったんでしょ……」
改めてハッキリと口にすれば。
触れた手を引き寄せてもらえる今でも、心は痛みを伴った。
(触られるのがイヤなぐらい俺の存在が嫌われて…だから、俺は、離れようって決めて……)
思わず表情を歪めてしまった亜樹の頬を、包んでいた和真の掌がスルリと撫でていく。
「お前自身が疎ましかったわけじゃない。ただ、触れてくるお前が疎ましかっただけだ」
言葉遊びにも感じるその2つの差が、亜樹にはハッキリと分からなかった。
「避けていたのに同じじゃないの……?」
「違うな。嫌悪で避けてたんじゃない、逆だ」
「……逆?」
「あの時、触れてたらこれよりもひどい目にあってたぞ」
その言葉に、亜樹の身体がブルッと震える。
「行動がコントロールできないぐらい苛立ったのは、どれぐらいぶりだろうな…」
どこか遠くを思うような音なのは、記憶を辿っているせいかもしれない。
「いつもだったら、そこまで苛立つ前に切り捨てていたからな」
「……おれ、は…?」
「捨てきれないから、こんな事になってんだろ」
不安げに見上げれば、その言葉と一緒に和真が亜樹の頬を引っ張った。
「いひゃい、いひゃい!!」
「こんな痛みで済んで良かったと思え」
容赦なくつねられた頬は手を離された後もジンジンとした痛みを訴えて、ちょっと涙目になってしまう。
「下手をすれば、一生飼い殺しだったぞ」
そんな亜樹に構う事なく、頬から離れた和真の掌がするりと亜樹の足を撫でていた。
「風切羽を切られた鳥が飛べなくなるのと同じように、手折れば良いからな」
「やらないの?」
「やられたいのか?」
「和真が望むんなら構わないよ」
「……お前以外なら簡単にやってしまえるんだろうな。まぁ、お前以外にならやるまでの感情さえ湧かないという矛盾もあるけどな」
苦笑とも自嘲の笑みともつかない表情で和真がそう吐き出した。
そのまま亜樹の身体を強く抱き締め、ボスっとマットへ倒れ込む。
「和真?」
「あぁー、本当に面倒くさい。割り切れない感情を持たせるお前も。傷付けたくない、とか柄になく考えてる俺も。そう思って距離をとってやってるのにお前は近付いてくるし、そのうえ構わないって何だ構わないって。もう少し、自分を大切にしろって言ってるだろ」
「……そんな事言っても」
その日を生きるだけだった以前と比べれば、十分大切にしているつもりだ。
それ以上に大切だと、和真の事を思ってしまうだけで。
「まぁ、構わないなんて言われて満更でもない俺も、心底面倒くさいけどな」
はぁーっ。
その声音も溜息も確かにいつもの和真らしくなくて、どんな顔をしているのかが気になった。
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