4 / 24

第4話

高校生の頃、小さくてかわいらしいΩの転校生がいた。 彼はとても人気で、学内を治める一握りの優秀なαたちがこぞって彼に夢中になった。 その他大勢のβだったオレは、それを物語の出来事のような感覚で眺めていた。 けれどもある時、ふと視線を感じて顔を上げると、その先には1学年先輩である生徒会会計がいた。 それが間宮琉。 間宮は転校生の取り巻きで四六時中その傍にいたのに、気付くといつもこちらを見ていた。 はじめは何の偶然だろうと首を傾げた。 生徒会役員との接点なんてまったくなかったし、転校生とも別のクラスで話したことすらない。共通の知り合いもいない。 傍観者どころか完全な外野だったオレは、その偶然を背景の群像と同化してるのだと理解した。ほら、アイドルのコンサートでステージ上のアイドルと目が合ったとか合わないとか、あれと同じだと。 それが冗談で済まなくなったのは、転校生のヒート暴走がきっかけだった。 Ωにはヒートと呼ばれる発情期があって、大概は抑制剤を使ったり、自分のヒートサイクルを予測することでコントロールするそうだが、まれに暴走してしまうことがあるらしい。 特に転校生はヒートが強い体質のΩだったらしく、周囲にいたαたちはもれなくそのフェロモンにあてられていた。βですら情欲を煽られたのだから、αが冷静でいるなんて無理な話だったのだろう。 オレは正気を失った間宮に捕まり、部屋に連れ込まれ、散々犯された。 αの発情にβが耐えられるはずがない。 このまま殺されるのかと覚悟したオレが、次に意識を取り戻したときに見たのは、ぼろぼろに泣き崩れる間宮だった。 『ごめん、ごめんなさい…!こんなつもりじゃなかったっ!好き…っ、キミが好きなのに…!』 間宮がオレを見ていたように思ったのは、勘違いではなかったらしい。 なんとなく気になっていつも見ているうちに好きになったのだと言われ、悪い気はしなかった。いつの間にかオレも好きになっていたのだろう。自分自身が間宮を見返していなければ、目があったかも、なんてそんなこと思わない。 身体はとても辛かったが、間宮の言葉が嬉しくて、その手をぎゅっと握り返して――。 *** 「あのときの間宮はまだかわいかったな…」 間宮が変なことを言うから、懐かしい夢を見た。 ベッドから起き上がるとまだ身体が重く、喉がひりつくように痛んだ。 酒のせいか、胃がぐるぐるする気がする。 僅かな吐き気を紛らわすためにバスルームへ向かう途中、昨夜の行為で汚した廊下がきれいになっているのを見て、なんともいえない気分になった。 浴槽には新しい湯が張られ、オレの好きな入浴剤も入れてある。 間宮がそれらをするはずがない。 すべて家政婦さんの手によるものだ。 時計はすでに昼過ぎを示しており、家の中に自分以外の気配はなかった。心のなかで家政婦さんに感謝を告げて、ゆっくりと湯に浸かる。 ―――転校生のあのヒート事件は、まるでテロ行為だったと後に話題になった。 転校生本人は生徒会長と無事に番になったと聞いたが、影響を受けた者はオレ以外にも当然いたらしく、そういえば転校生の取り巻きだった風紀委員長の東坂はどうしていたんだろう。 あとから聞けば、転校生は抑制剤を服用していなかったらしい。Ωとしてのマナーに欠けると批判が集中した。 あの頃はまだなにも思わなかったが、いまになれば迷惑な話だと腹立たしく思う。 贅沢にも昼間から風呂を使い、髪を乾かしていると、来客を告げるインターフォンが鳴った。 タイミングのよさにどこかで見ていたのではないかと思う。…いや、間宮のことだ。カメラやセンサーで行動を把握されていてもおかしくない。 「こんにちは吉成さん。お久しぶりです」 やって来たのは、間宮家お抱えの医者だった。 過去二回、間宮に抱き殺されかけているオレはずいぶん警戒されているようで、こうして定期的に訪問がある。起き上がれないくらい抱き潰された翌日はほぼ毎回だ。 基本的にオレが他人と関わるのを嫌がる間宮が家政婦さんを受け入れているのも、たぶん間宮本家の指示なのだろう。 ちょうどいいとばかりに、身体検査ついでに二日酔いの不快感も伝える。 「吉成さん、痩せましたよね」 触診しながら不意に言われて、きょとんと目を丸くする。 「そうですか?あんまり変わらないと思いますが…」 「いや、前はもっと筋肉がありましたよ」 オレは思わず苦笑してしまった。 「前って学生の頃のことですか?そりゃここにいたら運動もしないし、筋肉も落ちますよ」 昔は部活もしていたし、いまとは運動量がまるで違う。 比べるものでもないだろうと思ったが、なんとなく懐かしむような目をする医者を見て、肩を竦めた。 それから消炎作用のある薬やサプリメントの類、軽い吐き気止めを処方されて、医者はすぐに帰って行った。 「こちらは琉さんに渡してください」と紙袋に入った錠剤を置いて。 再び部屋にひとりきりになると、当たり前のように気持ちが沈む。 あの医者はなにを思ったのだろうか。 この部屋でひとり間宮を待つオレを哀れだと思うのだろうか。 がさり。 うっかり医者に渡された紙袋を倒してしまい、袋の中身が転がり出る。 「……………」 途端、表情が消えたのが自分でもわかった。 それはΩ用の避妊薬で、βのオレには一生必要のないものだったから。

ともだちにシェアしよう!