あの日から間宮は帰ってこなかった。 そういったことはよくあって、たまにメッセージアプリで連絡がくるが返事はしない。 仕事が忙しいとか、それも嘘ではないだろうが、以前にそう言ってΩのところへ行っていたことがあるのも本当だ。 与えられた自室で、手伝い程度の翻訳の仕事をしながら溜息がこぼれる。 これでは本当に主人の帰りを待つだけのペットだ。 ぴぽん！ 軽やかな音が新着メッセージが届いたことを伝える。 『瀧いまどこいんの？』 「…またかよ」 雑なメッセージは東坂からで、『家にいる』と短く返す。間宮の部屋を家というのもなんだか変な気分だが。 東坂はいったいどこで調べたのか、あの夜の後、一方的にメッセージを送ってきた。間宮になにか言われても知らないぞ、と告げてもどこ吹く風。本当にどうでもいいのか、間宮の了解があるのかわからない。 大概がどうでもいい内容だったので適当に返信していたら、今日はなんと着信がきた。 「よう、瀧」 「は？あんたなんで電話かけてくるの」 「いいだろ別に。いま間宮いないんだろ？」 ずっと帰ってきていないよ、という言葉をなんとか飲み込む。 「どこでオレの連絡先知ったわけ？」 「そこは聞くなよ。それよりお前いつ送っても返事返ってくるよな。仕事は？」 「…してる。在宅で、すこしだけ」 そう言えば、「あー」とわかったような声。 「愛されてんじゃん、やっぱり」 なんと返したらいいのかわからなかった。 「学園にいた頃から瀧に間宮が張り付いてたからな。どんな奴か気になっていて、一度ゆっくり話してみたかったんだ」 そう言って、東坂は当時の役員たちの近況を教えてくれた。生徒会や風紀のメンバーなんて、一般生徒だったオレからすればゴシップみたいで単純におもしろい。 「こんな話は間宮から聞いたりしないのか？」 「しない、全然」 むしろ顔をあわせればセックスばかりで、まともな会話なんてあまりした覚えがない。 おかげでオレは風紀委員長が意外におしゃべりで驚いている。 「運命なんて信じてなかったけど、お前ら見てるとそういうのもあるのかもなって思えるから不思議だぜ」 「なにそれ。だったら会長とあの転校生なんて運命の番じゃん、幸せなんじゃないの？」 「あぁ？いや、あそこは早々に険悪になってたぜ？番解消こそしてないけど、週末婚ならぬ発情期婚状態だ。しかも会長は家の繋がりのあるαの女と結婚して、あの子とは籍すら入れてない。その上いまは他のΩに入れ込んでるらしいから、そっちとも番になるのは時間の問題だろ」 あっさりと告げられて開いた口が塞がらない。 「会長、まじか…！」 「その点、間宮は瀧がいるからって婚約者と婚約破棄したんだろ？すげえじゃん」 「え？ああ、その話？」 感激したような東坂の声。オレは頬がひきつって、電話越しでよかったと心底思う。 「オレも運命の相手に出会いたいもんだぜ」 「αなんだからΩ探せよ、運命の番をさ」 「あー、Ωな…」 東坂はあからさまに声のトーンを落とした。 「瀧だから話すけど、αにとって運命の番なんていないんだ。転校生と会長のことでわかるだろ？Ωのフェロモンにあてられてるだけだ」 東坂の話からすれば、Ωのフェロモンは香水のようなもので、強すぎれば悪酔いしてしまうらしい。それをαのフェロモンで中和しようとするのが発情だと言う。 だから少しでも好みの香りのΩを選ぶだけで、それは運命ではないのだとか。 「なんだよ、それ」 もちろん、本当に愛し合うαとΩもいるだろうが、αからすると運命の番なんてΩのフェロモンにコントロールされているだけと感じるらしい。 Ωにとってαは唯一の相手なのに、一方のαが複数のΩと番うことができる矛盾がそれを証明していると東坂は言う。 「αはΩのフェロモン抑制に使われてるだけだ。Ωを信用するαなんていないだろ」 なんてひどい言い草だ。 お互い信頼しあう番はいくらでもいるだろう。 その一方で、東坂の言いたいことも理解できてしまう自分がいる。 長く間宮といれば、Ωの嫌なところなんていくらでも見てきた。間宮と夜を共にしたΩに、βのくせに、Ωでもないくせに、と罵られたことは数えきれないほどある。 それでも彼らはΩだ。 Ωというだけで、αにとっては価値がある。 「そんなこと言って結局、αはΩを選ぶんだろ？」 「あ？そんなことないだろ、現に間宮は、」 「なぁ、いいこと教えてやろうか」 ふつり、と胸の奥で沸き立つものを抑えきれず、東坂の言葉を遮った。 「オレ、大学入る前に一度間宮と別れてるんだ」 「そうなのか…？ああ、それで復縁したのか」 「は、笑わせる」 夢見がちな東坂にも笑いが込み上げる。 「間宮がなんて言ってるか知らないけど、別れた後に復縁なんてした覚えはない。オレは間宮の恋人でも、ましてや愛人でもないよ」 その甘ったるい考えを壊してやりたかった。 「いまのオレは間宮に飼われてる犬だよ」 飼い主の帰りを待って、ただ餌をもらうだけの、犬。 それがオレだ。