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最終話
結露した窓を袖で拭くと、真っ赤に染まったモミジの葉に霜が張り付いているのが見えた。宿の部屋の外には露天風呂があり、苔むしたモミジが木陰を作っている。
昨日、あの風呂に入りながら哉汰にフェラした。前は咥えさせたいと思ったが、口の中でむくむくと育つ性器が愛らしくて、気づけば半ば病みつきになっている。見上げたところにとろけた顔の哉汰がいるのもいい。
赤くなるほど胸をなめて触った。唇が腫れるほどキスをした。哉汰が泣き出すほど後ろを触った。
外は霜が降るほど寒かったのに、二人とも露天風呂で少しのぼせた。
のぼせて、裸でくっついて寝た。哉汰は俺を抱きしめてくれたし、眠たそうにしながら俺より先に寝なかった。
昨日、哉汰は嫌だとかやめろだとか言わなかった。俺の好きにさせてくれた。これがただの旅行じゃないからだろう。きっと普通の観光をしたり遊んだりする旅行なら、昨夜はあそこまで付き合ってくれなかった。
昨日、墓参りに行った。親父の命日だったから。
俺がまだガキだった頃、あの人は自殺した。
病気に精神を蝕まれ、息子を妻と勘違いして犯した事実を素面の時に突きつけられて……。
親父は弱い男だった。だから死んでしまった。あまりにもあっけなく、俺を置いて。
俺が本当に殺したかったのは親父じゃない。
あの日、開けはなられた玄関で犯される俺を見て通報した「ご近所さん」だ。いらない噂を流した「物好き」だ。
通報なんかされたせいで、親父は死んだ。
親父は俺のことをずっと「ママがパパに残した宝物」だと言っていた。親父にとっておふくろは妻以上の女性だったに違いない。わかり会える唯一無二の親友のような。
だからあの通報は、親父にとって、もう戻らない大切な人から授かった宝物を壊したのだと突きつけられたも同然のことだった。
弱い親父はそれが原因で死んだ。赤の他人に言われたことを信じて。
俺の話はちっとも聞かないまま……。
哉汰にはまだ何も言ってない。
どう伝えたらいいのかわからない。
まだ俺は哉汰の中で、虐待した親を殺したことになっている。
世間的に、自分の子どもを犯した男の墓は汚物や動物の死骸で汚すことが許されているらしく、毎年通り、律儀に初冬にもかかわらず、異臭を放つほどに荒れていた。
回りの小奇麗な墓と違い、汚れきったうちの墓を見て哉汰がどう思ったかわからない。ただ、やらなくていいと言っても、黙って掃除を手伝ってくれた。
俺がどう見えたんだろう。自分を犯した親の墓を掃除する。自分が殺した親の墓を掃除する男は、哉汰の目にどう映ったのだろう。
浴衣を脱いでベッドに戻ると、哉汰が起きていた。顔が少し浮腫んでいて、頬は髭っぽい。それでもやっぱり顔立ちが整っているのは明らかで、古町と別れたことで女性人気が戻ってきているのも仕方がない。
それなのに、不思議と嫉妬心がこれっぽっちも芽生えない。佐伯と食事に行こうが、出張だろうが平気だった。見つめ合うたび、同じ気持ちなのだとわかる。それを面映ゆく感じながら、幸せだと思っていた。
「起きてたのか」
軽くキスをした。
哉汰はあくびを噛み殺す。
「……腹減った」
「それで起きたのか。食いに行くか?」
キスをしたばかりなのに、触れたくて仕方がなくて、乾いた唇を指で触る。哉汰はそんな俺の手を邪魔くさそうに払う。
「……怠くて動きたくない」
「それならルームサービスか」
「できれば……そうしてほしいかも」
「声枯れてる」
指摘すると蹴られた。最近わかったが、こいつは相当足癖が悪い。
「悪かったって」
「もう平気か」
「蹴ったの誰だよ」
「それじゃなくて、親父さんのことだから」
また蹴られた。
「親父さんって、いい人だったのか?」
「聞きたいのか?」
問い返すと、哉汰はただじっと腫れぼったくなった目で俺を見つめた。掛け布団の下で哉汰の手が俺の手を握る。
俺はその温かくすらりとした手を握り返しながら、親父を思い出してみた――ぐうっと喉の奥が苦しくなる。こんなふうに感じたのは初めてだった。
「親父は……気弱だった」
口に出して、親父のことを話して後悔した。
違う、親父は弱かったわけじゃない。俺が一番よく知っている。親父はただひたすら……。
「優しかったんだろ」
間髪入れず訂正してきた哉汰の言葉に、泣きたくなった。
そうだ。優しかった。病弱の母を愛していて、俺のことも大切にしてくれた。毎日仕事に行って、笑顔で帰ってくる。時々、土産を買ってきてくれて。
それなのに、悪かったと一言残して死んでしまった。
俺は謝られなくても、恨んじゃいなかった。おふくろが死んでから、親父が気持ちを病んだことはわかっていた。あの人が息子にあんなことをしたいと、本気で思っていたはずがない。大方、愛妻の幻でも見えたのだろう。あの日、ただいまと言って家に帰った俺を見た親父の顔は、おふくろと一緒にいる時の顔だった。ただ、目だけがうつろで……。
玄関先で押し倒され、体を暴かれて、痛みを感じた。だけど、何よりも痛かったのは胸だ。親父がどれほどおふくろを恋しがっているのかわかった。
会いたくて、それでも、俺がいるから後を追うこともできなくて……。
俺は、優しかった親父を知っている。おふくろを失っても懸命に俺を育ててくれた。そういう優しかった親父をちゃんと覚えている。
そう叫んでも、誰にも聞こえなかった。
変わらずに愛していたのにそう伝えても、親父は俺を振り切ってベランダから飛んだ。
「大丈夫。大丈夫だ」
哉汰が俺の頬を撫でる。
それが心地よくて、切なくて、横になったまま瞬きをすると涙がひと粒だけ頬を伝って流れた。それを哉汰が手の甲で拭う。
「満」
長年、誰にも呼ばせなかった名前が哉汰の口から発せられる。
俺を呼ぶ両親の声が消えてしまいそうで、下の名前で呼ばれるのが嫌だった。
でも、哉汰の声は違う。ひたすらに優しく俺を包んでくれる。
俺は涙を拭ってくれた手にキスをして、哉汰を抱き寄せた。抱き寄せると、労るように俺の胸元にキスをする。もっとくっつきたくて足を絡めると、腰を近づけてきた。茂みが重なり、性器が触れ合うと、哉汰のがぴくりと反応する。
少し笑って、ホテルのシャンプーの香りがする頭に顔を埋めた。
「なあ、俺の名前呼べよ」
「なんで」
「……いいから」
昨日、喘いだせいで枯れた哉汰の声が俺を呼ぶ。
満、満、と。何度も。
俺を呼ぶ両親の声が遠くに掠れて消えてしまっても寂しくない。俺と同じだけ思いをくれる人ができた。荒涼な胸のうちに鍬を入れ、種をまき、水をまいてくれた大切な人。間違って育たないように時々、蹴りを入れてくる。
親父がおふくろを愛したように、俺もこの人を愛したい。
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