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それぞれのとき4

***   「中林チーフ、受付からお電話です」  集中しなきゃならない仕事中に、一体誰だ? しかもアポなしじゃないか!  内心イライラしながら、電話に出る。 「もしもし、中林ですっ」 「受付です。アポなしなんですが、どうしても話をしたいと○○会社の鎌田様が、お見えなんですが……」 「○○会社? 知らないけどそんな会社。フルネームは?」 「えっと鎌田……まさひと様だそうです」  その名前を聞いて、やっとピンときた。まさやんくんだ! 彼がわざわざ来るってことは、賢一に何かあったんじゃ…… 「会うから、ロビーに待たせておいて下さい」  デスクの上を適度に片付けつつ、はやる気持ちを抑えて、その場をあとにする。  エレベーターを待つのがもどかしく、階段を使って一気に下まで降りた。 「突然お邪魔して、申し訳ないです」  俺の顔を見るなりの、第一声のまさやんくんの台詞。きっちり頭を下げることを忘れない。  いつもとは違うその真摯な姿勢に、言葉が出なかった。 「酷い顔をしてますね、肌の色つやも悪い。この間会った病人の方が、いい顔していましたよ」 「色つや悪いって本当に君って、失礼なことを平気で言うね」  さっきは謝っていたくせに、途端に毒づくこの態度。  しかし今日にいたっては、ニコリともしない。だから尚更、ザックリとくる。 「まぁアナタが酷い顔をしていようが、俺にはまったく関係ないんですがね」 「今日はわざわざ、それを言いに来たんじゃないんだろう?」 「ええ、お礼を言いに来たんです」  口元をほころばせるがメガネの奥の瞳は、まったく笑っていなかった。  喜んでいるように見えない……一体、何だ?  冷たい眼差しに、しばし言葉を失っていると、 「賢一が今、スゴイんですよ」  なんでいつも使っている、けん坊って呼び名を言わないんだろう。しかも賢一という言葉を聞いただけで、胸がぎゅっと絞られた。  まさやんくんの視線にどうにも居たたまれなくなり、思わず俯いてしまう。 「名前を聞くのも辛いですか……じゃあ何で自分から、別れを切り出したんです?」  渋々顔を上げると、腕組みをしたまさやんくんがいた。まるで上司に叱られている、部下の気分―― 「アナタのその不抜けたツラと違って、賢一は仕事に打ち込んでます。鬼人のごとくにね」 (賢一……頑張ってるんだ) 「部屋もキレイさっぱり、アナタの私物を片付け、いつでも新しい恋人を迎い入れる準備も出来ている」  ドクンと心臓が鳴る。新しい恋人―― 「ああ、一応付け加えるけど別れるきっかけになったあの女は、別の男と付き合うことになった。賢一が手助けしなくても、よかったらしい」 「…………」 「賢一の、人の良さには困ったもんだ。でもそれ以外に関しては、アナタにお礼を言わなければならない。アイツの仕事のスペックが高いのは、アナタの教えがあるだろうから。お陰でいい仕事が出来る」  そして満足げに微笑んだ、まさやんくん。 「大学時代から、アナタの傍にベッタリいたんだ。仕事に対する姿勢や考え方、その他マナーなんかをきっちり仕込んだんでしょう?」 「そんな……俺は、きっちりになんか仕込んじゃいない」 「賢一がよく、泣きついて来てました。叶さんが厳しい過ぎるって。だがアイツは変なトコでドジを踏むから、ボロが出ないように、教育という名の調教をしていたんでしょうね」 「調教って……」 「俺の目から見たらアナタたちは恋人ってより、主従関係に見えましたが?」  さらりとヒドイことを言う、まったく遠慮なし。だけどあながち間違いでもないので、あえて否定はしない。  そんな俺の様子に、片側だけ口角を上げて、笑いながら話し出した。 「ご主人の言うことを忠実に聞く賢一犬は、自らを手放したご主人様を怨むことはなくもちろん泣くこともなく、毎日仕事を頑張っていました」  賢一がなぜか、犬になっている……でも想像すると、何となく似合ってる気がした。  物語仕立ての話を、苦笑いしながら耳を傾けてみる。 「ある日賢一犬は、大きな仕事に行き詰りました。仕事相手が言いました。『君のような賢い子にぴったりな、ご主人様がいるんだけど』と。仕事が成功した暁には新しいご主人様と一緒に、会社を立ててみないかって。営業企画課リーダー山田 賢一の野望、再びって感じです」 「新しいご主人様……」  血の気が、スッと引いた。 「アナタが丹精込めて育てた賢一が、見事ヘッドハンティングされる、いい話じゃないですか。ちなみにこの話の仲介人は俺です」 「な、なんで、そんな話……」  喉がカラカラだったけど、何とか言葉を出した。 「資源の有効利用。あんな小さい会社で燻らせておくのは、勿体ない男だから」 「…………」 「アナタが知ってる、賢一はもういない。しっかり地に足をつけて歩いている。後ろを振り返らず、まっすく前だけ向いて歩いている。それもアナタの教えでしょう?」  そう言うと目の前に、メモ紙を置いた。 「今夜ここで、商談が行われます。時間はそこに書いてある通り。実際自分の目で、賢一を確かめてみたらどうです? 今のアナタの顔を見たら、間違いなく軽視するでしょうけど」  椅子から立ち上がったまさやんくんを見送らなきゃならないのに、立つことが出来なかった。体が固まって、まったく動くことが出来ない。メモ紙から、目が離せない…… 「それじゃあ中林さん、御機嫌よう」  爽やかに去っていく、後姿をやっと見た。  振り返ることなく去って行く姿に、賢一を重ねる。  賢一、今君は何をしている? どこを見ているんだよ? 「賢一――」

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