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Trick? No,Treat!
日が暮れ始め、薄暗くなってきた公園のベンチで、知樹はジッと時がくるのを待っていた。
帰宅して自室に駆け込むなり、知樹はポケットからカボチャのペンを取り出して適当なメモ用紙に洸宛の手紙をしたためた。
『大島君へ
話したいことがあります。午後六時、Y公園で待ってます。』
それだけの短い文を書いたメモを、洸の名前を書いた封筒に入れた。我ながら何とも捻りのない文章だと思ったが、女の子から手紙を貰ったことすらない知樹にはこれが精一杯だった。
窓から洸がランニングに出掛けたタイミングを見計らって、知樹は手紙を大島家のポストへ投函した。
早朝や夕方、時折ランニングに出掛ける洸は、帰ってくると新聞を取る為にポストを確認することを、知樹は昔から知っている。
六時まであと五分。
何かイレギュラーが無ければ、洸はきっと手紙に気付いて中身を見ているだろう。
それで洸がここへ来てくれれば、「騙されてやんの」と軽く笑い飛ばした後、イタズラだったと謝ればいい。
そして不気味なペンが知樹の元から消えてくれれば、それでいい。
今もポケットに入ったままのペンの存在を服の上から確かめて、知樹は公園の時計を見上げる。
一分、二分……。
僅かな時間が、やけに長く感じる。
それと同時に、本当にこれで良いんだろうかという思いが、少しずつ知樹の胸に広がり始めていた。
洸は鈍いけれど、人を無視するような男じゃない。答えはともかく、呼び出されればきっと応じてくれる。
ただそれがわかっているからこそ、知樹は都合よく洸を利用しようとしていることに罪悪感を覚えていた。
呼び出したのは自分だ。それに騙すのは、ほんの一瞬だけ。顔を合わせたらすぐにネタをバラしてちゃんと謝る。そしてそれでもペンが知樹の手元に残っているなら、夢のことも含めて全部洸に相談しよう。
そう思う一方で、このまま洸が現れなければいいのにと思っている自分が居る。
だって洸は、知樹ではなく『女子』からの呼び出しを受けてやって来るのだ。───そんな洸は、何となく見たくなかった。
不気味なペンを早く手放したい気持ちと、洸に対する後ろめたさで悶々としている内に、とうとう約束の時間になった。
六時ピッタリに、公園の入り口に背の高い人影が見えて、知樹は咄嗟にベンチから腰を上げた。
───ど、どうしよう……。
笑い飛ばす準備も、初っ端から謝る準備も、結局どちらも出来ていない。辺りが薄暗い所為で、元々無表情な洸の表情がいつも以上にわからない。
呆れているのか、怒っているのか……それとも、失望しているのか。
今となっては、ポケットの中のペンの存在よりも、洸にガッカリされることの方が怖い気がした。
───誰より親しい相手を惑わせるなんて、よく考えたら一番最低じゃん。
訳のわからない悪夢と奇妙なペンにまんまと踊らされてしまったことに、今になってやっと気づいた。
完全に第一声を見失って立ち尽くす知樹の前までやって来た洸は、いつもと変わらない無表情のままだった。
その胸の内はわからないけれど、あからさまに肩を落とされなかったことに、ほんの少し安堵する。
「洸……」
取り敢えずその名を呼んでみたものの、その先どう続けて良いのかわからず言葉に詰まっていると、洸が先に口を開いた。
「話ってなんだ」
「え……?」
予想外の質問に、一瞬何を聞かれているのかわからなかった。
洸に話があるのは、あくまでも知樹がねつ造した架空の『女子』だ。
ポカンと見上げる先で、洸は特に顔色を変えずに知樹の返事を待っている。
「いや、あの……話っていうのは俺じゃなくて……」
「知樹じゃないのか?」
そこで初めて、洸が僅かに眉を下げた。まるでパタリと尾を下げた大型犬みたいで、思わずその髪を撫で回したくなる。
───何でそこでガッカリするんだよ。しかもそれを嬉しく思ってる俺って何なの!?
「俺だけど、俺じゃないっていうか……」
「あの手紙書いたの、知樹だろ」
「……何でわかるんだよ」
「だって、知樹の字だった」
バスケ以外のことには何の興味もないと思っていた洸が、知樹の筆跡を覚えていたことに、心臓が大きく跳ねた。
いやいや、ときめいてる場合じゃない。大体これじゃあ、惑わされているのはむしろこっちじゃないのか。
「俺が呼び出したってわかってて、何で来たんだ?」
「嬉しかったから」
「嬉しい……? 何で? あんな手紙渡されて、イタズラだって思わなかったのか?」
「……イタズラだったのか?」
またしても洸が耳をペタンと畳んだ犬のようにシュンとなるのがわかって、胸がギュッと苦しくなった。
バスケのことしか頭にないバスケ馬鹿で、数多の女子から告白されたって、全く靡きもしなかったくせに、どうしてそんな顔を見せるんだ。
「あんな手紙、どう考えたっておかしいだろ」
「でも知樹の話なら、俺は聞きたい」
「だから何で?」
「好きだから」
さも当たり前のようにサラリと告げられて、言葉どころか、一瞬息をすることも忘れてしまった。
────待て待て待て。ちょっと待ってくれ。
事態が思ってもみない方向に転がりすぎていて、頭がついていかない。
おかしな夢を見て、起きたら気味の悪いペンが何故か部屋にあって、それをどうにかしたくて洸を騙す形で呼び出して。
本当なら今頃とっくに全部打ち明けて「騙してゴメン」と謝っているはずだったのに、これは一体どういうことだ?
洸が俺を好き?
何で?
いつから?
小さい頃からずっと一緒に居て、初耳なんですけど?
「あのさ……もしかして、洸も何か変な夢見た?」
「夢? 何のことだ?」
いっそその通りだと言われたらそれこそ笑い飛ばして終われたのに、洸が真顔で首を傾げたので、知樹はともかく全ての経緯を明かすことにした。
「……なるほど。このペンをどうにかしたくて、いきなりあんな手紙入れてきたのか」
知樹がポケットから取り出したカボチャのペンを眺めながら、洸が少し落胆の滲む声を零した。
「……騙してゴメン。でもやっぱ俺が間違ってた。ペンも結局無くならないし」
そもそも夢で見たことを真に受けるなんて、本当にどうかしていた。
「知樹が見た夢と、このペンが関係してるかどうかはわからない。ただ、俺を惑わすって意味では、充分成功してる」
「……どういうことだよ?」
「だって俺は、知樹が何話してくれるのか、期待してここに来た」
真剣な顔と声で告げられて、また胸がドキリと鳴る。
バスケをしているときもそうだけれど、なまじ顔が整っているだけに、真顔になると格好良さに磨きがかかるのが狡い。
「……さっきの、そっちこそ冗談じゃないのかよ」
「さっき?」
「その……俺のこと、す……好き、ってやつ」
改めて口にして、カッと耳まで熱くなるのがわかった。辺りが暗くて良かった。
「冗談でそんなこと言うか」
「だってお前、昔から俺と違って女子からモテまくってんじゃん! 俺が小学生のとき初めて好きになったユキちゃんだって、お前のこと好きなんだってあっさりフラれたし、お前の幼馴染みだからって俺何回お前に代理告白やら手紙の受け渡しさせられたか……!」
自分で言っていて虚しくなってきたが、洸は「それって俺の所為か?」とマイペースに首を傾けている。
「なのに何で、取柄も何もない男の俺なんか────」
「俺は小さいときからずっと、知樹とバスケ以外、興味ない」
洸が何より大事にいていると思っていたバスケよりも先に名前を出されて、さすがにそれには思いきり胸を撃ち抜かれた。恋に落ちるのはほんの一瞬、なんて聞いたことがあるけれど、それってこういうことかと、洸に向かって真っ逆さまに下り落ちるのを感じながら思う。
───こんなはずじゃなかったのに。
ほんのちょっと、イタズラ心で洸を騙してやろうと思って、だけどそれを次第に申し訳なく感じて、どうしようかと悩んでいたはずだったのに。
「知樹」
「……何だよ」
見慣れているはずの幼馴染みの顔を見るのも気恥ずかしくて、顔を覆ったまま答えると、洸が「夢のことだけど」と不意に知樹の腕を掴んだ。
なに、と思わず顔を上げた知樹の唇に、洸のそれがほんの一瞬、掠めるように触れた。初めてのキスが余りにも不意打ちすぎて、呆然とする。
「『甘さ』を与えてくれるって、こういうことかと思って」
「……っ! おま……俺、初めてだったんだけど!?」
「俺もだ。……ハロウィンて言えば、毎年お菓子もらうより、知樹にイタズラする方がいいと思ってた」
「ムッツリか!!」
バシッ、と広い背中を叩いた直後、洸が「あれ?」と自身の掌を見詰めて首を傾げた。
「俺、知樹にペン返したか?」
「ペン? あのカボチャのやつ? さっきまでお前眺めてたじゃん」
「それが、無くなってる」
ほら、と洸が空になった両手を知樹の目の前で開いて見せる。
「……嘘だろ。どうなってんだよ……」
「やっぱり、正解だったってことだ」
念の為辺りも一通り探してみたが、あの不気味なカボチャのペンはどこにも見当たらなかった。
「何か……色々あり過ぎて頭ぐちゃぐちゃになってる。俺ら、明日からどうなんの」
「いつも通りでいい。俺は昔から知樹のこと好きだし」
「俺が困るんだって! い……意識、するだろ……」
「そういう知樹も新鮮でいい。今年は、イタズラしていいか?」
「だから真顔でそういうこと言うな! ほんっと、残念なイケメンだなお前は!」
知樹の怒鳴る声が、人気のない夜の公園に溶けていく。
惑わされたのは洸なのか知樹なのか、結局はよくわからない。
ただ一つ言えるのは、正体不明のカボチャのお陰で、今年のハロウィンは何だか少し賑やかになりそうだということだ。
『Happy Halloween』
薄闇の中から、微かな声が聞こえた気がした。
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