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誰より親しいアイツ
「……っ!」
再び目を開けると、見慣れた自室の天井が飛び込んできた。
慌てて飛び起きた知樹の傍で、スマホが目覚ましのアラーム音を響かせている。
────何だ、夢か……。
いつも通りの部屋の光景に、ホッと息を吐く。
随分と気味の悪い夢だった。
それもこれも街中がハロウィン一色の所為だと、やり場のない苛立ちを溜息と共に吐き出す。
気持ちを切り替える為に顔を洗おうとベッドを出た知樹は、視界の隅に映ったオレンジ色にギクリと立ち竦んだ。
恐る恐る顔を向けたデスクの上に、不気味なカボチャのボールペンが置かれている。
「なっ、何で……!?」
昨日文具店で見かけて、確かに棚に戻したはずだ。何より昨夜寝るときまで、デスクの上にこんなものは無かった。
ペンにくっついたカボチャの顔が、夢に出て来た巨大なカボチャと重なって、知樹は思わず身震いした。
頭はすっかり覚醒しているのに、夢から覚めてもまだ、巨大なカボチャに見詰められている気がする。
何がどうなっているのかさっぱりわからないけれど、とにかくこんな不気味なペンはさっさと店に返してしまおう。
知樹はデスクの上のボールペンを引っ掴んで通学カバンに押し込むと、その日の放課後、急いで文具店へと向かった。
ところが。
知樹が「確かにこの店の棚にあった」と何度訴えても、店員は「そんな商品は扱っていません」の一点張りで、結局知樹の勘違いなのではと、返品を受け付けてはもらえなかった。
────そんなはずない。だって昨日この店で、なんて不気味なペンなんだと確かに手に取ったんだ。
そう思いながら文具店のハロウィンコーナーを見てみたが、昨日ペンが立っていた場所には、軸に可愛らしいカボチャが散りばめられたポップなデザインのボールペンが何本も立っていた。
だったらそもそも不気味なペンを見たこと自体も夢だったのかと思ったが、だとしたらそれが今知樹の手元にあるわけがない。
大体こんな気色悪いペンを、知樹はわざわざ買ったりしない。
寝る前までは無かったのだから、考えられるとしたら家族の誰かが知樹が寝ている間に置いたということくらいだが、フルタイム勤務の母親は大抵知樹より寝るのが早いし、父は二日前から北海道に出張中だ。
可能性は低いと思ったが、普段あまり言葉も交わさない五つ年上の姉に写真付きで「このペン知ってる?」とメッセージを送ってみると、数分後に「なにそのキモイペン」と顰め面の絵文字付きの返事が返ってきたから、どうやら家族の仕業でもないらしい。
だったらどうしてこのペンは今、知樹の手元にあるんだろう。
それに、今朝の夢の中で巨大カボチャに言われた言葉────。
『誰より親しい相手を惑わせ、私を楽しませろ』
誰より親しい相手なんて言われても、そもそも知樹には現在付き合っている彼女も居ない。……別に今に限らず、昔から一度も居たことはないけれど。
そんな自分にとって、誰より親しい相手なんて……。
そう思いながら自宅に帰り着いたとき。
丁度ほぼ同じタイミングで、通りの反対側から隣の家に帰宅したらしい相手とバチリと目が合った。
────あ、居た……。
思わず心の中で呟いた知樹に、同い年の幼馴染みである大島洸 が、「おかえり」と昔から変わらない無表情で声を掛けてきた。
「おかえりって、そっちも帰ってきたとこだろ」
「……そうか。じゃあ、ただいま」
「なんか、どっちも変な気する。ってか、珍しく早いじゃん。今日部活は?」
「三年が修学旅行中で、休み」
だから後で走りに行く、と洸はスポーツバッグを提げたのとは逆の肩を軽く回して見せた。
誕生日もほぼひと月違いで、生まれて間もない頃から一緒に育ってきた洸は、母方の祖父が北欧の人で、知樹と違って彫の深い整った顔をしている。
昔から背も高くて、少し前に聞いた時には195センチになったと言っていたから、知樹とはもう頭一つ分くらい差がある。
おまけに小さい頃からバスケが好きで、運動神経抜群だった洸は、幼稚園・小学校・中学校と同じだった間、とにかく女子から人気があった。
高校は洸がバスケの強豪校に進んだので別々になったけれど、きっと今でもモテているのだろうと、程よく鍛え上げられた体躯を持つイケメンの幼馴染みを見詰めて思う。
ただ残念なことに、洸は超がつくほどのバスケ馬鹿なので、他のことにはまるで関心がない。しかもバスケをしているとき以外は常に無表情で、何を考えているのかもよくわからないほどマイペースにボーッとしているから、折角モテるのに洸が誰かと付き合っているという話は、一度も聞いたことがなかった。
彼女が出来ない理由は知樹とは全く違うけれど、知樹にとっては歳の離れた姉よりも同い年で同性の洸と過ごす時間の方が長くて、特に思春期になってからは、家族にも話せないことを洸にだけは何度も話してきた。
高校に上がって話す時間は随分減ってしまったが、いつも静かに知樹の話を聞いてくれる洸の傍は、とても居心地が良かった。
────もしも夢で言われた言葉に従うなら、洸を惑わせろってことなのか?
夢の中で、しかもカボチャに言われた言葉に従うなんて馬鹿馬鹿しいにも程がある。頭ではそう思っているのに、制服のポケットに入れたままの不気味なペンの存在が、知樹の心に引っ掛かっていた。
そもそも、知樹が知っているだけでも十人以上の女子から告白を受けていながら、その全員を「ちょっとよくわからない」と容赦なくはねのけてきたくらい鈍い男だ。そんな洸を、どうやって惑わせろと言うのか。
「……? 知樹、どうかしたのか?」
思わずジッと洸の顔を見詰めて考え込んでしまっていた知樹に、洸がほんの少し眉を寄せて怪訝そうに首を傾げる。
「ああ……ゴメン、何でもない。ランニング、頑張れ」
真っ直ぐに見返してくる洸の視線から逃れるように、知樹はヒラリと手を振って、足早に家の中へ引っ込んだ。
いっそ自分が可愛い女の子、もしくは美人なお姉さんだったなら、さすがに付き合うことは出来なくても、洸を誘惑するくらいなら出来たかも知れないのに────。
そこまで考えて、待てよ、と知樹は顔を上げる。
惑わせるだけで良いのなら、ほんの一瞬でも洸の気を引ければそれでいいんじゃないのか。
だったら…と、知樹は急いで二階の自室を目指して階段を駆け上がった。
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