1 / 25

第1話 実は付き合ってます

 大学に入学して一年目の、とある秋の日。  バスケサークルの飲み会で、王様ゲームをやった。  そして俺は、大学一のクールビューティ黒崎佐波(さわ)と、キスをする羽目に陥ってしまった。    だが、何も問題はない。  俺、桜井大和と黒崎佐波は、恋人同士だから。  + 「はぁ? マジ引くわ。なんで俺が大和とキスせなあかんねん。キモ」  はい、ひどい!! いきなりひどい!!   王様から命令が降った直後の第一声がこれだ。仮にも付き合っている俺とのキスをここまで露骨に拒めるとは。佐波のやつ、なかなかの演技派だぜ……。 「……は、ははっ、だよな〜〜!! お、俺もそう思う!! どうせなら可愛い女子とチューしたいっつーの!」 と、おどけて見せつつ、俺はジロリと佐波を睨んだ。  俺としては『ちょっとくらいならいいかな〜、最近チューさせてもらってないしな〜』と王様の命令に嬉しみさえ感じてしまったが、佐波は露骨に嫌そうだ。俺は、軽くへこんだ。  大学内では付き合っていることは当然秘密、なんならゲイっていうことももちろん隠している。ただの部活仲間ってだけだったら、ノリでいくらでもチュッチュしてやっただろうが、相手は本物の恋人で、この微妙な反応ときた。  黒崎佐波の名前を、大学内で知らない人間はいないだろう。こいつはそれほどの有名人で、かつ、モノホンのセレブだ。  佐波は京都に本社を置く有名化粧品メーカーの御曹司で、自社のモデルをも務めている。  身長は172センチとそこまで高くはないけれど、中高とバスケットボールに励んで来たおかげか、ほっそりとしているくせに筋肉質。顔も小さくて、どんな服装でも着こなしてしまえるほどにスタイルがいい。  どちらかというと中性的な外見に、京都出身というやつの背景もくっついて、佐波にはどことなく雅やかな雰囲気がある。きめの細かい白い肌はさすがのようにきれいだ。鼻筋の通った凛々しい顔立ちに、物言いたげな目元を彩る長いまつ毛は妖艶で、黙ってそこにいるだけで絵になる男だ。  その完璧すぎる容姿のせいで、佐波を遠巻きに眺めることしかできない学生も多いらしい。そんな佐波だが、バスケサークルの中では、普通の学生らしい顔を見せている。 「だーめ、絶対ダメ!! いいじゃないかキスくらい! いいか君、イケメン同士のキスがどれだけ尊く目に麗しいものか分かるか!? ん!?」 「わ、分からないです部長……!! く、くるしい……」 と、テーブルを乗り越える勢いで身を乗り出し、俺の胸ぐらを掴んできたのは、バスケサークルの部長・和久井萌太(わくいもえた)先輩だ。  名前は可愛いが外見は引くほどのヤクザ面で、この人がジャージ以外の服を着ているところを俺は見たことがない。確か父親は警察官僚をしていると耳にしたことがあるのだが、息子がこの顔で大丈夫なのだろうか。酒癖も悪いし。 「僕は卒論で疲れてんの!! ねぇ可哀想だろう!! 不憫極まりないだろう!!? そう思うならほら、とっととチューのひとつでもぶちかまして見せなさい!!」  そう喚きながら、赤ら顔の三白眼で俺と佐波を見比べる眼光の鋭さたるや、まるで血に飢えたグリズリーのよう。  だが、四年生の部長相手にも佐波は負けてない。あたり一面が凍りつきそうなほどに冷ややかな目つきで部長を見据えつつ、佐波はキッパリとこう言い放った。 「絶っっっ対いやです。なんで男とキスしなあかんのですか。男とするくらいなら、便座にキスする方がマシやで」 「…………はぁ? おい待て。つーかそこまで嫌がらなくてもよくね!? 俺は便座以下だっつーのかよ!?」 「そうは言うてへんやろ。もののたとえや、たとえ」 「もっと他になんかなかったのかよ!?」 「しゃーないやろ思いついてしもたんやから」 「こんの野郎……」  佐波の冷ややかなセリフに、俺はふるふると拳を握りしめた。こんな冷血漢より、便座の方がよっぽど俺をあたたかく俺を包み込んでくれるってもんだ。そりゃ人前でするのは嫌かもしれないけど、仮にも付き合っている俺より便座がいいとか言うか普通!? そこまで言わなくてもいいと思うだろ!?   佐波は関西弁で刺々しいことをズケズケと言い放つので、俺もついつい喧嘩腰になってしまう。学内において『京都産クールビューティ』という微妙な二つ名を持つ佐波は、見た目通りかなりキツイ性格だ。  モデルまでこなす美人セレブと、しがない庶民の俺が、しかも男であるこの俺が、どうして交際できているのかというと——  俺と佐波は、SNSをきっかけに知り合ったメル友だった。  ゲイであることに孤独を感じていた俺は、高一のときにSNSのアカウントをつくった。そこでだけは、『ゲイの男子高校生』である自分をオープンにしたくて、救いを求めるような気持ちで。  あやしげな手合いの輩はすぐにブロックし、プロフ画や投稿内容に配慮して自衛しつつ、俺はそれなりに楽しいSNSライフを送っていた。  そんなある日、@saw_blackというアカウントからメッセージが届いた。  内容はあっさりと、『歳が近い人がいたから、声をかけてみました』というものだった。  @saw-blackのアカウントには投稿がひとつもなく、まっさら。ひょっとして、キモいおっさんがナンパ用のアカウントを作って俺を誘い出したいだけなのかと思ったが、やりとりを続けているうち、本当に同い年の悩める男子高校生なのだということが分かってきた。  やりとりが続く中、いつしか俺たちは好き合うようになった。  先に『好きだよ。付き合いたい』と告白したのは俺。すると佐波も、『俺もそう思ってた』って返事をくれた。  でも、想いを伝えあった後も、俺たちはずっとメル友だった。会いたいとは思っていたけれど、会ってしまえば何かが終わってしまうような気もしていて、『会おう』という台詞を切り出せなかった。  俺は東京住まいで、佐波は京都。高校生が飛び越えるにはなかなかハードルの高い距離だったし、お互い部活だなんだと時間もなく、俺たちは文字と月一程度の電話だけで、清い付き合いを続けていた。  でも、日に日に募る佐波への想いは熱を増す一方だ。  我慢ができなくなってきた俺は、軽い調子を心がけつつ『同じ大学を受けないか』と佐波に提案してみたのだった。すると佐波は、すぐにOKの返事をくれた。  そして俺たちは、励まし合いながら一緒に受験勉強を頑張り、見事同じ大学へ入学することに成功した。  初めて顔を合わせた時、俺は佐波のあまりの美しさに呆然としてしまった。こんなに綺麗な顔をした男を見たのは、生まれて初めてだったから。  しかも佐波は、俺でさえ名前を聞いたことのある化粧品メーカーの御曹司。これまで頑なに教えてくれなかった佐波自身の家庭環境について知ったとき、明らかな格差のせいでフラれてしまうのではないかと、危機感を覚えたものだった。  加えて、だ。文字とたまの電話では伝わってこなかったことだが、佐波は口が悪い上に、全身から放たれるキラキラセレブオーラの圧がすごい。  メールでは『大和と同じ大学に行きたいから、俺も頑張るね』とか『一緒にバスケしてみたいな』などと可愛くもしおらしいことを言っていたのに、蓋を開けてみれば、佐波はセレブな上に成績優秀、しかもバスケのほうも全国経験者ときた。  対する俺は、なんでもそこそこのただの庶民。これは破局秒読みかと不安を感じていたこともあったけれど、それなりにうまくやっている。    やっている、と思う……。  でも、佐波とのリアルな交際がスタートしてまだ半年。実は俺たちはまだ、キス以上のことをしたことがない。甘い雰囲気を醸し出すことが恥ずかしいと言って、佐波は頑なにツンツンしっぱなしだ。  そういう照れ屋なところは可愛いけど、半年も先へ進めないとなると、俺もちょっとだけ、不満というか不安というか……。  そんな状況下でこれだ。人前でキスをしろとは、なんという罰ゲームか。   「よぉし分かった。黒崎、桜井とできないなら僕とするか!?」  さらには、赤ら顔の部長がぐいぐい追い討ちをかけてくる始末。すると佐波は血に濡れた日本刀のような目つきで部長を睨みつけ、即座に「は? 嫌ですけど」とぶった斬る。 「拒絶早っ……刺さるわ、グサグサくるわ」 「それに、部長は彼女さんいてはるじゃないですか。俺、そういうん無理です。それやったら大和とする方がマシ……」 と、黒崎が言いかけてハッとしたところで、部長はベシッと自らの膝を叩いた。 「よおしよく言った!! はい、じゃあ、お願いしますッ!! ちょっとでいいから!! ちょっとチュッとするだけで全然おにーさん潤うから!! よろしくお願いします!!」  他の部員どもも「フゥ〜、人気者!」「お前らならいいよ、絵面もいいよ!」と囃し立て始めていて……のっぴきならぬ状況とは、まさにこのことだろう。  佐波も、これ以上退路はないと諦めたのだろう。ちら、と射殺すような目つきで俺を睨め付け、ぐびぐび〜〜っと細長いグラスに入った酒を一気飲みにした。そしてぐいっと男らしく拳で口を拭い、俺の方へと向き直る。……おお……ちょっと酔ってる佐波もめちゃくちゃ美人だぜ……。 「もうええ、一瞬で済ましたるわ」 「……マジでいいんだな」 「いいっつってるやろ。来い、大和」 「……お、おう……!」  そして俺たちは、部員たちの前で軽く唇を触れ合わせる。  この一週間(ひょっとすると二週間かも)一回もキスしてないから、久々の柔らかな感触だ。一瞬なのに気持ちいいし、佐波の体温が懐かしくて、嬉しくて…………ちょっと勃った。  だが、雄々しい歓声が沸き起こる中、佐波はすぐに身を引いた。  そして頬を赤らめつつ、困ったような怒ったような複雑な顔で、ぷいっとそっぽを向いてしまった。

ともだちにシェアしよう!