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第1話

 左頬に振動を感じ、穂積は自分が寝入ってしまったのだと知る。うつろな視線をそのまま左に向けると、真っ暗な闇の中にかろうじて木々が立ち並んでいるとわかる。常闇の中を疾走する車の持ち主は四月から入った派遣社員の男だ。名を浅川という。今年四十六になる穂積よりも一回り年下で、柔和な表情を崩さない穏やかな男だ。  穂積はこの浅川という男が苦手だった。出世コースから外され窓際に追いやられた穂積は社内で腫れ物扱いを受けていたが、外部からやってきた浅川はどういうわけか穂積を気に入り、事あるごとに穂積のデスクまで赴き、他愛もない話をして戻っていく。放っておいてくれたらいいのにと何度願ったことだろうか。 「まだ寝ててもいいんですよ」  運転席の浅川が前方を見すえたまま穂積に話しかける。キャンプに行きましょうと誘いを受けたときは心底驚いたが、浅川は他に穂積の上司も誘っていたため断る理由がなかったのだ。  浅川は歴が長い穂積よりも社内の人間との交流が深く、穂積の上司も浅川を気に入っていた。  しかし蓋を開けてみればキャンプ場を目指す男は浅川と穂積のふたりだけであった。穂積の上司に急な仕事が入り、キャンプどころではなくなってしまったのだ。  ふたりだけなら止めようと穂積は浅川に言ったが、もう予約してしまって今更キャンセルしたくない。特に星空を見るコースは人気だった為ようやく予約が取れたのだと強く反論されたので、いやいやながらも穂積は浅川の車に同乗した。 「ずいぶんと山奥に行くんだね」 「このまま進めばいずれキャンプ場に着きます。まだ時間がかかりそうなので、もうひと眠りしていてもいいですよ」 「だけど、せっかく誘ってもらった上に運転までさせてるから……僕としてはバツが悪い」 「誘ったのは俺ですから」  浅川は屈託のない顔で笑う。山道だというのに浅川の運転は滑らかで、心地よい揺れは穂積の眠気を誘うのに充分であった。

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