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――また負けた。 「私は相須(あいす)くんの発想、割と好きなんだ。次、期待してるよ」  そう言って、ポンと俺の肩を叩く部長に、何とか笑顔を取り繕う。 「ありがとうございます。がんばります」  言いながら、俺は悔しさに地団駄を踏みたい気分だった。  お偉いさんたちが会議室を出た瞬間、こらえきれず俺はがっくりと肩を落とした。  ずっと憧れ続けていた大手玩具メーカーに就職し、営業部を経てようやく希望の商品開発部に異動となってもうすぐ一年。  あこがれ続けた商品開発部。俺は頑張った。コンペがあろうがなかろうが、自分のアイデアをプレゼンしまくった。新商品、既製品の改良案、何でもござれだ。  だがしかし。悲しいかな、コンペではいつもいいとこまで行って敗北。商品化にこぎつけたことはいまだなかった。  今回もそうだ。小学生に莫大な人気を誇るキャラクターとのコラボ新商品案という、割と大きいプロジェクトのコンペティション。俺は何と最終選考の三名に残った――が、最後の最後でまた負けた。いつものあいつに。  そう、いつも、負ける相手は同じだった。 「相須さん」 「っ!」  会議室から廊下へ出た瞬間、名前を呼ばれ、俺はさっと背筋を伸ばした。  振り返れば奴がいる。そう、俺の永遠のライバル――那珂川(なかがわ)はじめ。先ほどのコンペを勝ち抜いた男だ。  年齢は俺より二つ下だが、商品開発部においてはやつの方が一年長く在籍している。俺が開発部に移ってこの方、こいつがプレゼンで負けるところを見たことがない。 「忘れ物です」  那珂川が差し出してきたのは俺のボールペンだった。テーブルに置き忘れていたみたいだ。 「どーも」  礼を言いつつ、ボールペンを受け取りながら、俺は『社会人として、大人として』と自分に言い聞かせた。 「……コンペ、おめでとう」  絞りだした声は少し震えてしまった。あと、顔もかなり険しくなってしまった。 「無理して祝ってくれなくていいですけど」  淡々と、那珂川が返す。その無感情な声に、こらえきれない悔しさが一気に沸き上がる。 「つーか!もっと喜んだらどうなんだよ!いっつも勝ってるから特にうれしくもないってか!勝って当然ってか!」 「もちろん、うれしいですよ。ただ俺、相須さんと違って感情外に出にくいんで」  その言葉通り、基本、那珂川は無表情だ。笑ったところも怒ったところも俺は見たことがない。そして俺は感情がすぐ顔に出てしまう。それは事実なのだが、那珂川に言われると馬鹿にされている気がする。 「ぐぅ……」  もう一言なにか言ってやりたい。でも言う言葉がない。すると、別の声が割って入った。 「お前ら、なに廊下で言い合ってんだよ」  声の方を向けば、会議室から同じ開発部の藤堂さんが出てくるところだった。 「別に言い合ってないですよ。じゃあ、失礼します」  俺が応えるより先に那珂川は言い放ち、さっさと立ち去ってしまった。 「相変わらず無表情だな、あいつ…」  那珂川の後姿を眺めながら、藤堂さんが呟く。  藤堂さんは俺より五歳上の先輩だ。先ほどのコンペで俺と同じく那珂川に敗れた一人なのだが、これまでいくつかの商品を生み出したことのある余裕か、彼は俺のように悔しがる様子はない。 「気にくわない!」  思わず口をついて出た言葉に、藤堂さんがにやりと笑った。 「気に食わないって…お前、あいつが理想なんだろ?」 「そ、それは……」  神様は不公平だ。だって、那珂川はギフトをたくさんもらいすぎている。  商品に関して枯渇することなくあふれてくるアイデアも、もちろん。那珂川は、見た目においても他より秀でている。整った顔、高い身長に程よく厚みのある体。すらりと長い手足。  特に顔においては、涼し気な切れ長の瞳に、高い鼻、形の綺麗な唇が見事にバランスよく配置されていて、それは俺の理想そのものなのだ。  なので、一度、酒の席でつるっと口を滑らせて藤堂さんに言ってしまったことがあるのだ。『那珂川は俺の理想、那珂川になりたい!』と。おかげで時折こうしてからかわれることがある。  しかし、理想の顔だからこそ余計に、いつも無表情でいなされて悔しさが倍増しているのだ。  何とも言えずに黙り込んだ俺に、藤堂さんはにやけを消して苦笑した。 「まあ、すぐ次があるんだから頑張れ。俺は次のコンペは別件があって出ないけど。お前、もちろんプレゼン申し込むんだろ?」  そうなのだ。落ち込んだり悔しがったりしている暇はない。すぐにまた、大きなコンペがあるのだ。  俺は大きく頷いて、ぐっとこぶしを握った。  まだ梅雨が明けたばかりだが、オレンジかぼちゃととんがり帽子のゴーストに思いを馳せる。  ――次こそは、絶対商品化! 「頑張ります!ハロウィン商戦!!」 ***  頑張ります、と部長にも藤堂さんにも宣言して数日。しかし、どうにもいいアイデアが浮かんでいなかった。  そもそもハロウィンのおもちゃやバラエティ商品は出尽くした感があって、目新しいものを生み出すのは難しい。既製のものに新しくオプションをつけるという手もあるが、それは他の人たちも多く出してきそうなアイデアだ。それに、那珂川はきっと、なにか斬新なものをプレゼンしてくるはず。  このままではまた負けてしまう。  俺には少し焦りがあった。異動して一年経とうというのに、結果を残せていなかったら、また営業に戻されるのでは、という心配もあるのだ。  そこで、俺は、考えた。ゲスなことを考えた。  昼休み、皆が昼食にばらけていく中、俺はまだデスクに向かっていた那珂川に声をかけた。 「那珂川」 「なんですか?」  パチパチとキーボードをたたいていた手を止め、那珂川が相変わらずの無表情で振り返る。 「お昼、一緒いかない?」  そう誘うと、無表情ながらも、わずかに眉が上がった。意外とでも思っているのだろう。那珂川の斜め前の席の藤堂さんも、びっくりした顔で俺を見ていた。  そりゃそうだろう、いつも気に食わない気に食わないと言っている俺が、那珂川を誘っているのだから。 「いいですけど……」 「じゃあ、外出ようぜ。俺、志乃屋のかつ丼食いたいから」  俺は有無を言わさず那珂川の腕を掴み、外へと誘いだした。那珂川はおとなしくついてくる。  そして宣言通り会社から出て志乃屋に行くと、俺はかつ丼二つを注文した。 「それで、何を考えてるんですか?」  出された水を飲みながら、那珂川が言った。 「そんなあからさまなたくらみ顔して、なにかあるからわざわざここまで連れてきたんでしょう」  バレているだろうと思ってはいたが、そんなに顔に出ていたか。まあいい。聞かれると切り出しやすい。俺はテーブルに少し身を乗り出し、対面の那珂川に顔を寄せた。 「あのさ……次のハロウィンプレゼン、合同で出さないか?」 「は?」  那珂川の動きが止まった。俺は畳みかけるように続けた。 「いやぁ、那珂川とだったらいいもの作れる気がして。な?二人のアイデア出し合ったら二倍いいもの作れると思わない?」 「……」  那珂川はうんともすんとも言わないが、無表情のまま俺をじっと見つめてくる。ここで引いてはダメだ。押して押して押し通す! 「とりあえず、来週お互いの案だしあって、そこから煮詰めて行こう!な?いいだろ、決まり!俺、来週会議室予約しとく、というか実はもうしてるんだよね。とういうわけで、来週木曜十四時から、第四会議室。よろしく!」 「……はぁ…」  かなりあいまいではあるが、今こいつ頷いたよな。よし、言質とったぞ。  ちょうどその時、タイミングよくかつ丼が二つ運ばれてきた。 「さ、食お食お。いっただきまーす」  俺はかつ丼に集中するふりをして、これ以上の話はしないように黙り込んだ。  那珂川はかつ丼を食べながらも、何か考え込んでいる様子だったが、こいつがこれから断りの言葉を吐こうとしようものなら、全力で聞かないふりをすると決めた。  ――勝てないなら、身の内に引き込んでしまえば負けることはない。  憎き那珂川に頭を下げるのは苦痛だが、これで最大のライバルはいなくなり、しかもこいつのアイデアを自分のものにしてやれる……。  プライド?そんなものは犬にでも食わせてやる。ゲスと呼びたきゃ呼べばいい。  とにかくとにかく、俺は勝ちたいのだ。俺の生みだしたものを市場に並べてみたいのだ。それを自信に変えて、次からは独りの力でコンペを勝ち取るのだ!  その後も那珂川から『お断りします』と言ってくる気配はまるでなく、週が明けて木曜日、十四時、第四会議室。二人きりで使うにはいささか広い部屋に俺と那珂川。 「打ち合わせを始めます!」 『第一回ハロウィンコンペミーティング』と書いたホワイトボードの前に立ち、俺は宣言した。  会議用の広いテーブルに一人きりで腰かけた那珂川は、黙ったまま俺を見るだけだ。 「ではまず!那珂川の案からどうぞ!」  言いながら、俺は那珂川の隣に腰掛けた。 「俺からですか」 「そう」  俺は大きく頷いた。那珂川の案を知るためにこの会議を開いているのだ。はやく見せろと俺はせっついた。 「じゃあ、これ……」  那珂川は持っていたファイルからレジュメを取り出し俺へと差し出してきた。俺は飛びつくようにそれを手に取った。  見せてもらおうか、コンペ連戦連勝のアイデアとやらを!  しかし、そこに書かれていた文字に、俺は目を丸くした。 「へぇあ?コスプレ衣装?」  思わず、間抜けな声が出た。 「はい、コスプレ衣装です」  那珂川が頷く。  コスプレ衣装なんて、それこそ出尽くしまくったありきたりなバラエティグッズだ。那珂川の案が、それ?  がっかりしている俺に気づいているのかいないのか、那珂川は淡々と説明を続けていく。 「子供用じゃなくて、本格的な仮装をするには少し金銭面に制約がある女子中高生から女子大生をターゲットにしたものです。おどろおどろしいものでなく、とにかく可愛さを追求した魔女の衣装です。それくらいの年代は、双子コーデとか、お揃いのものを着る傾向があるので、ひとつのグループでの複数買いを狙います」  確かに、日本じゃ仮装して練り歩くのはお子様ではなくそこら辺の層の方が多いという現状だ。お揃いが流行っているというのも分かる。納得できる理由だ。  でも、那珂川にしてはいやに堅実的な案だ。いつも、こっちが嫉妬してしまうくらい斬新なアイデアを持ち出してくるのに。 「で、試作品がここに」  那珂川が紙袋をテーブルに乗せた。俺は目を瞬いた。 「えっ試作まであんの!?」  それほど、那珂川はこの商品に本気ということか。  づいっと俺の方へと紙袋が押し付けられた。 「はい。というわけで、着てください」 「え?」 「実際人が着てみないとイメージわかないでしょ」 「なんで俺が。お前の案なんだからお前が……」 「俺じゃ入るわけないでしょ」  確かに、那珂川の体型で女性向けの服が入るとは思えない。しかし、俺でもぎりぎりだと思うのだが…。 「相須さんなら入ります。ほら早く、さっさと着る」 「……わかったよ!」  いやだ、と言おうと思ったが、那珂川がここまで推すくらいだから、この衣装自体になにかあっと驚くアイデアが詰められている可能性もある。  俺は勢いよくスーツを脱いだ。

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