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1.星の河

「おお~……」  思わず声が出る。  まさしく降るような星空が、そこにあった。  漆黒の天空にちりばめられた幾万の星屑。光る砂粒はある場所で密集し川のようにも見える。 「ぅ~……」  唸るような声が漏れたのは、やはり見事だと思ってしまったからだろう。  文学的な語彙には乏しいが、これこそ美しいというものなのではないか、などと考えながら天を仰ぎ続ける加賀谷泰史(やすし)は、キャンプサイトの端っこにいた。川を見下ろす位置にある腰高の柵に背を向け両手で横木をつかんで、半ば反り返るように空を見上げている。  人里離れた山の中にポツンとある宿泊施設。研修や学生の合宿などに使われる場所ではあるが、併設されているキャンプ場や、釣りのできる清流、山歩きコースなどもあり、週末ともなれば家族連れやレジャーを求める人々も集まる。  が、4月半ばの平日である今日はそんな賑やかさはなく、駐車場からかなり歩いて至るキャンプサイトの、さらに川沿いである端っこ。街灯はあるが誰も来ないだろうからか、点灯していない。  周囲全体から湧き上がるような虫の音や川流れ、合間に漂うような葉擦れが、この場にただ自分のみがいると感じさせ、少しホッとする。唸る声すら消え失せた半開きの唇からは、深いため息がこぼれ落ちた。  今日は学校行事、交流合宿の一日目。  名前の通り、交流すべき場なのだが、夕食後に始まったイベントについて行けず、こっそり抜け出して、ここで時間を潰しているのだ。  泰史の通う東陵学園高校スポーツ科にはスカウトで集められた生徒が多い。特に体操は優秀な指導者が少数精鋭主義で指導していて、全国や世界レベルで活動してる選手も排出しているのだが、その次に多いのが陸上、長距離である。  東陵大学の駅伝部は箱根駅伝に何度か出ている。ここ数年は出場を逃しているが、箱根で走る十名に選ばれるチャンスを得るため、ここだけではなく全国にいくつかある関連高や附属高には長距離競技専攻の学生たちが集まる。泰史もそんな一人だった。  ほんの幼い頃、祖父の膝に乗ってテレビの前で見つめ、憧れ、そこからひたすら練習を重ね、そしてこの高校に。効率よく走る事。それだけ考え、そのためだけにここまでやってきた。  ────駅伝に出たい。  小学校に入った年、少しだけ大きくなった気分になって、絶対箱根に行く! と、泰史は初めてくちに出した。そして粘り強く、というかしつこく親に言い続けた。 「箱根に連れて行って」  めったにおねだりをしない息子が言い続けたのに閉口したか根負けしたか。両親はまだ幼い弟や祖父母も一緒に箱根へ行った。もちろん温泉旅館に泊まりに、である。  だが泰史の頭には走ることしかなかった。移動の車から沿道を見ながらワクワクして張り切っていた。けれど当然のことながら、車の行き交う道を走れるわけもなかった。  ────そうか、ここで走るのは特別なことなんだ。  そう理解し、いつか走るのだと心に決めた小学生は毎日山道を走りまくったのだが、やたらと走りまくっている息子を心配したのか、父が陸上クラブに連れて行ってくれた。そこで大人に混じって練習するようになって、たくさんのことを学び、本格的に長距離を走ることを意識してトレーニングのようなものを始めた。  ただ走れば良いのではない、頭を使え。そう言われてもよく分からずモヤモヤしながら走っていたのだが、やがて学んだ物理の原理が頭に漂っていた霧を晴らした。  物理の原理を意識して体を動かすのだ。  足の蹴り方、腿の動き、手の振り、呼吸の仕方。そのために有効なことは。どのようにすれば思うような動きができるか。効率的な身体の使い方……考えることは山ほどあった。  思うように動かない自分に気づき、原理を実践できる身体を作ることを考え始めた泰史は、人体の構造に興味を持ち、栄養学や解剖学などの本を手当たり次第に読みまくる。母に食事の内容を指示し、くちに入るものに神経を使い、入浴後にストレッチをして睡眠時間も意識する。  なにも考えずに人より優れた結果を残すことなどできるはずが無い。頭を使って身体を動かすことはトレーニングの一環であり、日常である。  そうやってここまで来た。  ひたすら思索に向き合い、黙々と走り続ける少年。小学校では浮いていたが、成績は良かったしスポーツ含めなんでもそつなくこなすので、小学校では一目置かれる存在だった。  中学では陸上部に入り、実践的なトレーニングを重ねて参加可能なロードレースに出まくり、中体連では全国で成績を残した。  中学卒業を控えた泰史の元に来たスカウトは一人や二人ではなかったが、最終的にこの高校に決めた。理由は家から近いこと、コーチの考え方が肌に合うと思ったから、ではある。だが最も重要だったこと。この高校には寮があったのだ。  幼い頃は美しいと思っていた母が、いつのまにかやつれてみすぼらしくなっていた。泰史はなんとも思っていなかったのだが、父が「おまえ、ばばあになったな」と言ったとき、いつも優しい母がキレた。そのくちからほとばしり出た言葉に、母にかなりの負担を強いていたように思い、反省していたのだ。  自覚はなかった。  だが完璧主義の泰史がニコリともせずに要求する食事やコンディションを守るためのあれこれを、母は必死に整えてくれていたのだ。弟が生まれてしばらくしてから仕事に復帰していた母には、かなりの負担だったのだろう。  気づかなかったでは済まされないような気分になっていた。しかし箱根に行くためにやるべきことを削るわけにはいかない。  そんな時、スカウトにきた東陵学園高校のコーチから最近気になっていることを聞かれてポロッと零していた。するとコーチは頷きながら言ったのだ。 「うちの寮なら食事もスポーツ科の生徒中心に考えられた栄養バランスの良いものだし、寮に入ればお母さんの負担を減らせるんじゃないか」  だが寮に入ると言った泰史に、最も抵抗を示したのは母だった。 「通えない距離じゃないでしょう、なんで寮に? 家から通えば良いじゃない」  通学時間が無駄だ、なるべく顔を出すようにすると言い、心配はかけないと説得を試みると、母は最終的に納得した。くちに出したことは翻さない泰史をイヤというほど知っているからだろう。  そうして入学してから、かなり納得できる一年を過ごせたように思っている。  昨年はインターハイで上位をキープできた。  約束通り時たま実家へ帰り、今までやつれたような表情をしていた母が髪を染めたりオシャレしているのを見ることもできた。やはりこの選択は間違っていなかったと満足している。  幼い頃から黙々と走り、知識を高めることに集中していたせいか、元々の性格か、泰史は致命的にくちが重い。その上ちょっとした会話でも緊張してしまうのだが、そのとき顔が怖くなるらしい。  ほぼ外で走ってるからか、周りからは『孤高』的な感じで遠巻きにされてきた。  そんなつもりは無いのに「睨むなよ」「おっかねー」とか言われてしまう。中学までは、まさしくぼっち。  それも致し方ないだろう。趣味は筋トレとストレッチ、身体のコンディションを整えること。言葉は常に足りないし、目つきも悪い上に、常に黙って走っているストイックのカタマリ。周囲の印象は推して知るべしである。  自分が親しみやすい人間ではない自覚はあるし、寂しいかと問われれば「そうでもない」と答える。けれど友人が欲しくないのだなと言われたなら否定するだろう。そんなこと言われたことはないが。  だが高校は寮だし、期待していた部分も少しはあった。今までより友人を作りやすいのでは。それは正しく報われたと思う。  去年、この交流合宿で先輩たちが世話してくれて……というかウザいくらい構われて、強制的に同学年の連中の渦に叩き込まれ、結果、何人か友人らしきものができている。……と思う。  ……確信はないが。  こっちが一方的にそう思ってるだけで、連中は友人だなどと思っていないかも知れない。  なので泰史は、心情的には(いま)だにぼっちの感覚なのだった。  一人きりだと気が緩んでいたのだろう。 「加賀谷、さん」  いきなり耳を打った声に、ビクンとしてしまった。  低めの聞き慣れない声。 「…………ですよね」  反射的に顔をおろす途中で、目に入ったのは、キラリと光る、ああ、メガネのフレームか。  まだ見上げた状態なのに、顔が目に入る。 (……でかい)  自分より優にアタマ一つ分背の高い、制服を着たやつが、そこに立っていた。

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