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第1話

何が怖いかって、目に見えないものほど怖いものはない。 いる筈のないやつがいるんだぜ! 俺、霊感なくてほんとよかった、見えたら今頃気絶してるから。 「だから絶対のはいないと思うんだ!」 午後ののどかな学内のカフェでそう息巻く相手に向かって(ゆずる)は小さくため息をついた。 この支離滅裂な友人に、何をどこからどう突っ込むべきなのか。もっとも、突っ込みたいのは寝ぼけた発言に対してばかりではないけれど、まだそれを伝える時期じゃないと思っていた。 食べかけのケーキの事も忘れて真剣な顔で主張しているのは、いかにもスポーツが得意そうな筋肉質の男だ。アッシュグレイに染めた短めの髪が、少し子供っぽさの残る甘い顔を引き締めている。 引き結ばれた唇の端に付いたクリームが誘っている様だと思いながら、ここは大学構内のカフェでまだ昼間だから、と譲は自らを自制した。 「気絶したらいたずらされるかもな、それでもいいのか?」 はっとして顔をあげた牧田(まきた)の皿にフォークが伸びてきて、オレンジ色のパンプキンケーキを削り取ってゆく。 「あ!何すんだよ!」 「見えたら気絶するんだろ?」 「何が?」 「やつ」 「な!今ここには人間しかいないだろ、吸血鬼とか妖怪なんていないはずだっ!」 吸血鬼と狼男じゃなくて、妖怪? 妖怪と吸血鬼はフィクションと言う意味では似ているかもしれないが、それ以上の共通点はない。いや、牧田を怖がらせる、という点ではどちらもいい選択肢かもしれない。 「もう少し食わせろよ」 見た目に似合わず甘党な牧田がケーキを守ろうと中途半端に浮かせた左手を下から掬い取り、自分の方に引き寄せると色っぽい匂いが微かに香った。 嗅覚が敏感な牧田は絶対に香水の類や匂いの強いシャンプーを使う事はない。ハンドソープですら台所用の無臭のもので統一する位なのに。 「珍しい、香水でもつけてんの?」 「いや?何だろう……もしかして満月が近いからかな」 何をどうしたら満月が近いという話になるのか分からなかったけれど、頭は悪くない癖に時々独自の理論で話をするのはいつもの事だ。 掴んだ手を自分の顔の間近まで引き寄せ、手の甲を走る血管を堪能してから、譲は相手の手首をちらりとみた。ごつい手首に血管と骨がくっきり浮かび上がっている。思わず吸い寄せられるようにぺろりと舐めた。 「いい血管してんな、ピキピキ張ってる」 「なっ!この血管マニア!」 文句を言う牧田の顔を横目で見ると真っ赤だ。そのくせ手を引っ込めようとしない。わざと冷たい目で見つめながら微笑みかけると、更に赤くなった。

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