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第2話

どれだけ血の気が多いんだ、こいつは。 恥じ入っている身体に流れる濃くて甘い体液を想像すると、譲は急にのどの渇きを催した。それを相手に悟られないようにそっと唾を飲む。 「帰り道、俺のところで献血しにこいよ」 口を開いて手首に吸い付き、犬歯を薄い皮膚に押し当ててやると牧田の喉が上下した。 傷つける気はない。そのまま舌先で舐り上げると「くぅん」と鼻から抜ける様な情けない声がした。 「お前は犬か?」 いつも温厚な牧田を怒らせる唯一の言葉はこれだ。聞いた途端鼻の穴膨らませて真剣な顔で睨みつけてくる。 「犬言うな!あんな、誰にでも尻尾振るような動物と俺を一緒にするな!」 こんな言葉を何度も真っ向から否定するあたりが律儀な犬っぽい。 牧田は声を上げ興奮して立ち上がりかけたが、幸い授業時間のせいか客も少なく、大して注目も集まらなかった。 テラス席には大学構内にある動物病院に行った帰りらしき女性がそのまま会話を続けている。しかし椅子の横で大人しく伏せをしていたミニチュアシュナウザーとフレンチブルドッグが何かを察知したように身体を起こした。 グルルルルルルル……という声こそ聞こえないものの、歯を剥いて唸っているのが分かる。 飼い主は会話に夢中で気が付いていない。 犬を見た牧田のつぶらな瞳が一瞬金色に光ったように見えた。睨まれた子犬は固まり、すぐに尻尾を股の間に挟んで耳を下げて椅子の下に潜り込んで震えている。 キュウ~ン、と言う哀れな声が聞こえてきそうだ。 「お前さ、人当たりいいくせに犬にだけはきついな。そんなに嫌いなのか?」 別に怒ったわけでもないのに、その言葉に牧田はしゅんと肩を落とした。 本当に犬みたいだな。耳と尻尾があれば絶対に垂れててかわいいはずだ。 頭の中でこっそりとしょげる大型犬を想像した譲は、手を伸ばして筋肉質な腕を引き、図体の大きな友人を席に座らせた。 基本誰にでも親切な牧田が犬と仲良くしている所を見たことが無い。そもそも、犬猫含め哺乳類にはあまり好かれていない。 理学部化学科の譲と獣医学部の牧田は、大学に入ったばかりの時合コンで知り合った。タイプこそ違うけれど女受けのよい二人は、あちこちで合コン要員リストに加えられており、何度か顔を合わせる内に仲良くなっていた。 一度、飲み会で気の合った女の子たちと一緒に動物園に行ったことがある。 入ってすぐいたのは象やカバだったからよかったけど、周るにつれて牧田がいろんな哺乳類から威嚇されたり怯えられたのだ。 始めは笑っていた女の子たちも、コアラやレッサーパンダが猛ダッシュで走り去るのを見て、流石にドン引きしていた。 動物に好かれない癖に獣医学部とか、受け狙いで入ったとしか思えない。 そう譲が揶揄うと、動物病院に行くつもりはないからいいんだ、と牧田はふてくされていた。 「ボルゾイとか、ウルフハウンドとかの大きな猟犬以外なら好きなんだけどな」 「ああ、大きい犬は怖いな」 譲の反応に一瞬戸惑った表情を見せたが、牧田は言葉をのみこんでうなずいた。 ブブブブ……、とテーブルの上に置いた電話が振動しながらアラームを鳴らす。 あ、と言う顔をして譲が手に取って時間を確認した。 「そろそろバイトに行くわ、お前は?」 「あ、俺も授業だからもう出る」 しなやかな筋肉のついたアスリート体形の牧田と、華奢ながらも腰の位置が高くすらりとした手脚を持つ譲がそろって立ち上がると店の中にいる店員とぼちぼち増えてきていた客から自然と注目が集まった。 伸びかけた黒髪をかき上げながら鞄を手に取ると、譲は先に立って歩き始めた。牧田はいつものようにおとなしくついて行く。 共通の知り合いの間では、譲は牧田の「飼い主」だと言われていた。 「お前そろそろ血が余ってんじゃないか?さっきも言ったけどな、世のために早く献血に来いよ」 「ああ、来週にでもいくよ」 バイト先の献血ルームへ向かう譲を見送り、牧田は次の授業に出席するために学部の校舎へと戻っていった。 

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