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第11話
いくら疲れていても寝不足でも、毎朝同じ時間に目覚めてしまうことに感心すればいいのか、ぞっとすればいいのか分からない。正確無比の体内時計には、いったいどんな部品が組み込まれ、どんな構造をしているというのか。とにかく今朝も6時半に起床した。
大きな欠伸をしながら圭一郎は半身を起こし、少しだけぼんやりとする。覚醒したところで、全身の倦怠感と頭の中の重々しい燻りに、思わずため息をついた。
ふと横を見れば、昨夜縺れるように一緒にベッドに入ったはずのリョウの姿はなかった。いつもならまだ眠っているはずなのに、どこに行ったのだろう。圭一郎はベッドから抜け、スウェット姿で寝室を出た。
トイレだろうと思ったのだが、ハズレだった。リョウはもう台所に立っていた。ダイニングテーブルに朝食が並んでいるのはいつものことだが、いつもより30分早かった。いつもは7時過ぎに、リョウが作ってくれる朝食をふたりで食べていた。
今朝はどうしたのだろう。昨夜は色々あって、眠るのがかなり遅かった。それなのにリョウは早起きをして、食事の準備をしてくれている。……俺の体内時計が狂ってしまったのかと眉を寄せ、壁時計を見たが、そんなことはなく、いささか驚き混乱していると、リョウが振り返り、寝室のドアの前で立っている圭一郎に気づき、真夏の太陽のような眩い笑顔を向けてきた。
「おはよー」
「……おはよう」
「朝ご飯できてるよ。冷めないうちに食べてねー」
「……あぁ」
ひとまず、顔を洗おうと洗面所へ向かった。戻ると、リョウは鍋の中のものをかき混ぜながら、何やら愉しげに流行りの曲らしきものを歌っていた。名前を呼べば振り返り、依然目を細めてしまいそうになる笑顔で、何かを手にしてこちらにやって来た。
「はい、これ。持って行って?」
そう言って、リョウは紺色の魔法瓶をこちらに差し出した。蓋は開いたままだった。それを受け取ってみると、ふわりとコンソメの香りが鼻腔を通り、目を見開いた。
「これは……」
「野菜スープ。えっと、じゃがいもと玉ねぎと人参と、かぼちゃと生姜があったから、それで作ってみた」
魔法瓶の中を覗けば、白みがかった橙色の水面が見えた。うっすらと立ちのぼる湯気には、確かにそれらの匂いも染み込んでいる。何とも健康的で、食欲をそそる匂いだった。
「切った野菜だと底に溜まっちゃうから、ペーストにしてコンソメスープで伸ばしてみたんだ。赤ちゃんの離乳食っぽいけどね」
リョウはくすくすと笑う。「これだったら飲み物だと思って怪しまれることもないだろうし、栄養も取れていいかなって思って」
「……全部、朝起きてから作ったのか?」
顔をあげて訊ねれば、リョウは台所で調理器具を片づけ始めていた。こちらの声が聞こえていないのだろう。その後ろ姿からの反応はなかった。圭一郎は魔法瓶の蓋を閉め、ダイニングテーブルに置くと、彼の背後に寄って小さな痩身を抱きしめた。
相手にとっては突然のことだったのだろう、「うひゃっ」と素っ頓狂な声をあげて肩を震わせ、目を丸くした顔をこちらに向けてくる。
「……びっくりした」
「そんなに驚かれるとは思わなかった」
くすりと笑い、リョウの左胸に手を置く。手のひらに心臓の速い鼓動がぶつかってくる。昨夜の自分もきっと、こうだったのだろう。また笑い、抱擁する腕の力をやんわりと強めた。
「ありがとう」
耳元に囁けば、リョウは強ばっていた顔を途端に綻ばせた。まなじりに細やかな皺を作り、「どういたしまして」と囁き返してくる。そんな彼を見て、胸のうちにこみあげていた愛しさが勢いよく溢れ出し、同時に寂寥感に苛まれてしまった。
圭一郎は腕の中のぬくもりを噛みしめるように抱擁を続ける。そしてしばらくして、ぼそりと言った。
「仕事に行きたくない……」
「……うん」
「お前といたい」
「うん……でも行かなきゃ」
その通りだ。自分もリョウも、仕事がある。圭一郎は苦笑し、彼から身を離す。けれども名残惜しくて、ゆるやかな笑みを浮かべる唇にちゅっと吸いついた。彼は表情にほんの少し寂しげな色を混ぜて、圭一郎からのキスを受け容れていた。
「今週を乗り切れば、早く帰ってこれるから」
「……今週末は?」
「問題がなければ、土日とも休める」
リョウの表情が晴れた。身体ごとこちらに向け、ぎゅむっと抱きついてくる。「良かったぁ」と嬉しそうに言われ、圭一郎も嬉しくなった。
「頑張るよ」
「うん、応援してるね?」
見つめ合い、笑みを深くする。四十路の大台が見えてきた身体には疲労が蓄積され、重い眠気が頭の芯を支配している。仕事は山積し、考えるだけで鬱々とする。それでも、心は奮い立たされていた。
早くも、昼休憩が待ち遠しい。コンビニで買うコロッケパンと鮭のおにぎりと一緒に、リョウお手製の野菜スープを飲めるのが、職場での唯一の楽しみだ。
とりあえずは朝食だ。「先に、一緒に食べよう」とリョウの手を引き、ふたりで食卓についた。
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