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杏文と杏
「女みたいな顔だな!」
「ちっせー!」
「オカマー」
小さい頃から心無い言葉をぶつけられてきた。今となっては取るに足らない出来事なのにあの頃は酷く心を揺さぶられ、悲しみを感受していた。
母親似の中性的な顔に染めてないのに亜麻色で柔らかそうな髪の毛。大きな目を縁取る長い睫毛。柔らかくキメの細かい白い肌。あの頃は身長は低く華奢でスラリと伸びた手足。
初見で男に見られたことなんてなく、男の子用の服を着てても女の子に間違えられた。
好きでこの顔なわけでも、好きで背が低い訳でもないのに、どうして人はこうも残酷なのだろう。いくら考えても分かるわけは無かったけれど、いつもいつもそんなことばかり考える毎日。
「杏文は可愛いから何でも似合うわよ!」
「これを着なさいな」
「私のもあげるわ」
「杏ちゃんに似合うと思って買ってみたの~」
母親も姉達も俺の事を可愛い可愛いと言っては女物を着せて楽しんでいた。唯一、男としての俺を喜んでいた父親は出張が多くあまり家に帰らなかったので誰もそれを止めることは出来ず俺はどこからどう見ても素敵なお嬢さんとなった。
しかし外に出かける時だけは断固として男用を着ていた。まぁ、少しだけ残った男のプライドってやつだったと思う。
タンスの中は8割女物だったが……
ギリギリプライドを保てていた……多分。
そしてあの事件は起きた。
プルルルル、固定電話が空気を揺らした。
「お母さん電話だよ」
あの日、母親と2人で料理をしていた俺は揚げ物をしていた母に声をかけた。
「は~い、でま~す。」
ことっと台を降りて受話器に向かう母。ちなみに背が低いのは母の遺伝だと思う。
「はい、香月です~…………え?はい。そうですが。…………え!?文華が!?……………………すぐ行きます!!」
じゃがいもを潰す手を止めて母を凝視する。こんなに慌てた母を見るのはその時が初めてだった。普段天然で柔らかい印象の母が顔を凍りつかせかすかに震えていた。
子供にも分かった。なにか良くないことがあったのだと。電話を切った母は火を止めてエプロンを乱雑に脱ぎながら俺に声をかけた。
「杏(きょう)ちゃん!文ちゃんが!事故にあったって!直ぐに病院に行きましょう!」
いても経っても居られなくなって俺もエプロン(ピンクの花柄)を脱ぎ捨てて直ぐに母と車に乗った。
「あれ?お母さんに杏文?どうしたの?」
駆け込んで行った病院の入口でちょうど文華、もとい俺の姉とばったり出会った。手首に包帯をまいてるだけで特に何も問題なさそうなごくごく普通の姉と。
結論から言うと、一応ぶつけられ(自転車)転んで頭を打ったので精密検査を受けることになったから、時間がかかると思い看護師さんに家に連絡を入れて置いて欲しいとお願いしたのだという。そして
香月文華が(自転車との)接触事故によって怪我(軽い擦り傷)をしたので今病院にいて今から(一応)検査をすると言う端的な物を伝えた結果。母の壮大な勘違いを生み出したのだった。
当時俺は5歳だったが、凄く脱力し、これから全力で母を支えていこうと思ったのを覚えている。
ちなみに、俺の言う事件というのは文華の事ではなくこの後の事だ。お母さんはお金に関して加害者の人と話し合うと言って、俺は文華と帰ることになった。(この頃はまだお姉ちゃんと呼んでいた)
「杏文、買い物して帰ろーか!」
「…………うん、」
文華はよく言えば自信家で、悪く言えば強気で頑固者だった。確かに美人でスタイルも良く、聡明な文華に反発する者はあまり…いや、全く居なかったが何にしても文華は自分の思い通りにならないと嫌なのだ。
文華と買い物なんてすごく嫌だったが、5歳だった俺は帰り方も分からないので着いていくことにした。
「これ可愛い!買お!……あー。こっちもいいかな!んー、買お!これは…………いーわ。」
「……お姉ちゃん、帰ろー?」
文華との買い物の途中に俺は自分の格好が女だということに気がついた。青と黄色の花柄のワンピース黄色のカチューシャ、右側をハートのピンで留めている。俺らをチラチラ見ながらヒソヒソ話す人達の視線を意識してしまったら、速く帰りたくて仕方なかった。
「んー、ダメよ!まだ途中だもん!
杏文もこれ買う?可愛いわよー!」
ダメだこいつ。
目線を服や装飾品から外すことなく返事する文華に呆れながら俺はそっと店を出た。
ガラスを通して文華を眺めているとドン!と誰かにぶつかった。
「あ、ごめんなっ、ヒュ」
謝ろうとして喉で息がなった。そこに居たのは俺を虐めていたやつだったのだから。こんな格好を見られたらもっともっと酷くなる。不意に涙が滲んで泣きそうになった。どんな悪口を言われるだろうと思っていると
「ごめんなさい!!」
顔を赤くしながらそいつが応えた。
…………え?
俺は無だった。何も考えられずにただボーっと前を見ていた。
そいつはとととーとどこかにかけて行った。
よくよく聞いていると、皆俺を見て非難しているわけではなく、「可愛い」「美人」と褒めていた。
コンプレックスだった女顔
否定され続けた男としての俺は「女」としてなら何の問題もないのだと。
女としてなら俺は生きていけるのだと。
「てな感じでーきづいちゃったんだよね。
女装してれば幸せに暮らせんじゃね?って」
「……ごめん。何回聞いても何でそうなったのかよくわかんねぇよ。」
それからは「杏文(杏文)」ではなく「杏(あん)」として素敵なお嬢さんとなり、暮らしていた。幸いだったのは体毛が薄かったことと、声変わりがそんなに激しくなく、中性的な声のまま育った事だった。
確か、出張から帰った父は泣き崩れていたけれども。そんな事は恐怖から開放された俺にとってはどうでもよかったのだ。
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