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午前零時から早朝5時まで。

10月31日。 日付が変わるのを俺は暗がりの中で、じっと待っていた。 犬を祖と仰ぐ遺伝子が組み込まれた獣人には待つのが苦にならないタイプが多い。もちろんそれは俺も一緒、・・・だった。 まぁ、それは過去の話なのだけれど。 過去と現在では持つべき感情の色が違う。 はじめはそれに馴染めず、持ち主と周りには随分と迷惑をかけた。不幸なのは。感情に振り回されたこの暗黒期を、ことのほかお気に召した彼らが簡単には忘れてくれるつもりがない点で。ことある事にそのネタは持ち出されては突っつかれるので、俺は羞恥という感情に、毎回全身を真っ赤に染め、内心ごろごろと暴れ回る。 ごく最近の、組織の新人たち中心で開催された、気軽なはずの飲み会に、俺の醜態を知る雲の上の、ありえない人が飛び入り参加したせいで、小さな居酒屋に手隙な古参がぞろぞろと集まって来てしまって、最後は無礼講になった時も、 「いや〜あの時も、今もスゲー変わらずかわいいけどさ。ちょっと脅かしただけでシクシク泣かれて、お兄さんたちマジ焦ったわ」 「・・・頭を殴ったら忘れてくれますか?」 「こんな感じでイチャイチャしたら、すぐに思い出すけど?」 雛の時期が過ぎたというのに、簡単に抱き上げられる屈辱。それを甘受しなければならないことに喉の奥で唸り声をあげていると、瞼の上から鼻の頭、唇の端にチュッチュッされた。それでも、むすっとしている強情な俺を見下ろし、端正な顔をした人間の上司は悪辣に嗤い掛けた。ヤバイと電気信号を受け取るのと同時に、一瞬でブワッと全身の毛が逆立つ。もちろん、反抗の意思はそれだけで終了ではなく、真剣に逃走しようと暴れたのだが。男の巧妙な体術で簡単にいなされた挙句、敏感な・・・俺の密かに自慢にしているピンと立った黒いケモ耳は弄りたおされ・・・、 「目がトロンってしてるよ。かわいいねぇ。食べごろかなぁ?ちょっと味見しよっか」 顎を掴んだ手は、しっかりと俺と視線が交わるように調整。 ぐったりとした俺の状態に気をよくした彼は、周りの囃し立てる声に便乗し、ぬらぬらと唇を舐め回し、舌を突っ込んできた。弱い上顎を攻撃され、きゅんきゅん啼くほど甘い唾液を飲まされてしまえば、彼らの狙いであった身体は発情の疼きにあっさりと降伏し、気づいた時には古参たち全員の膝に呼ばれるままに乗っかっては、酒の味のする甘い唇を強請る痴態を晒していた。・・・新人達を前にして、権力者たちを恐れさせる有名殺し屋集団の先輩としての威厳が吹っ飛んだ瞬間だった。 なぜか王のお膝元に作ることが許された、あらゆるお愉しみが集まるヴァリーン・カンナ不夜城。その名は王が代替わりするたびに変わるらしい。現王になってから一度も代替わりしたことがないので、ここ100年はずっとヴァリーン・カンナだ。噂によると王は不死者らしい。 現在午前2時。 深夜にも関わらず人々が捌ける様子はない。賑やかな音も聞こえてきそうな眼下の酒処は、どこも盛況で千鳥足にそぞろ歩きする男衆は多い。男女、男男、女女カップルたちはイチャイチャ仮宿に消えたり、楼閣に所属できるほどの魅力を備えていない、肌も露わな見るからに個人営業な娼妓たちが、桜蘭通りを流れる酔客に必死に誘いを掛けていた。 それから15分ほど時間が過ぎてからやっと、500メートル先、スコープの中に映った古風な歴史を感じさせる馬車を確認して、待ちに待ったターゲットが来たことを知る。 「はぁ・・・」 隷属感情から解放されたのは果たしていい事だったのか?その考察はいったん脇に置き。 本日、はじめのお仕事に頭を切り替える。ゆっくりと呼吸を整え時間をかけて吐き出すのは慣れ親しんだ感覚を呼び起こすためだ。 『武器は考えるな』 この瞬きほどの時間。呪いのように頭に浮かぶ、いつもの冷たい声。 『ただ従え。私の美しい人形。飽きたら壊してやろう』 そう言われた時から随分と経つが、未だに俺の手を包み込むように上から覆った乾いた肌の感触や、様々な教えを忘れる事が出来ない。檻のように沈殿した不甲斐ないという感情から抜け出そうと足掻き、ふらふらと体調を崩してはベッドに伏せるただのお荷物な役立たずと化した俺を、それでも見捨てず、彼らは身に染み付いた感覚だと割り切れば許容できるのだと何度も教え込んだから、今がある。 2秒で頭の中の雑音を抑え込む。 眼前では初老の貴族が気取った様子で娼館の入り口に降り立ち、同じく紅玉通りでうろつき今夜の遊び場所選びに熱心な男たちの視線を集めた。 普通ならば歓楽街でお遊びをしようものなら、貴族の男にとっては致命的な醜聞沙汰で間違いなく、強請りのネタだ。俺はそれまでの常識から離れた行動が理解できずに内心、小さく首を傾げる。娼妓8人、男女4人ずつの歓迎団体は流石に派手で、人の口に登るのは確実だろう。幼い禿たちに至っては10人以上は居そうだし。金払いの優秀な男はかわいい禿たちに菓子を配るのが普通なので、この人数になったのだろうけど。 貴族の男は禿ひとりひとりにお菓子を渡し、唾つけなのか、なんなのか揃いの濃紺に染め抜かれた甚平に包まれた幼い肢体をイヤらしい手付きで撫で回している。どうやらあの貴族には幼児性愛の趣味も少しあったらしい。禿らは撫で回されるのに慣れているのか一瞬嫌な顔をするが、それでも菓子を貰うまでは大人しく動かない。 目的のために耐える。その姿勢をすごく尊敬する。 当然、目的の菓子を貰った途端に禿たちはいなくなったが、8人の娼妓たちはその場を動かない。最後のトリの登場を律儀に待っていたのだ。高級楼閣の正門の年輪がたっぷり100年以上はありそうな縦3メートルは余裕でありそうな黒木柱の間に、スポットライトに照らされたように、かがやくばかりに美しい男が出てきた。・・・あきらか過剰演出であるように思えたが、あれが俺のお目当ての5番目の愛人だ。12人いる愛人で一番のお気に入り。その美貌に狙いをつけ、ゆっくりトリガーを引き・・・かけ、注文内容を思い出して、慌てて指の力を抜く。 『汚くて殺せ。あいつの心が折れるくらいが丁度いい』 心を折る? 俺には、まだよく理解できないとわかっているのに。あの人は試しているのだろうか? 汚く殺せばいいのなら、弾丸はダーティーボムに決まり。当たれば内側から弾け飛ぶので。兎に角、ホラー映画真っ青で凄い。 身体の真ん中・・・腸が超飛び出すのもインパクトがあるよね? 小柄でまだ幼さを感じさせる素朴な雰囲気の愛人がしずしずと着物の裾を揺らして貴族の男に近づき、その腕に親密そうに片手を掛けた瞬間、決めた。 つまり。美しい顔が好きなんだから、それを潰して貴族にぶっかけてやろう。血液の熱さと目前で完璧な造形が崩れる様に心が折れるのでは? 帰宅時間午前5時。王都でそれなりに名の通った殺し屋たちの集団、“テン”のアジト。 ぱっと見、広々とした正方形に近く作られた一階平屋建て。実際はその下に同じ大きさの地下空間が存在し、個室に区切られ分かれているのだが、仕事がない時は、気づけばその中心に作られたプレイルームと呼ばれる広間に、自然とみんな集まっている。新顔の雛は精査が済むまでは地上階から降りることを禁止されている。 アジトというからには秘密めいて、なんとなくいかがわしく、身内がコソコソ出入りするイメージがあるのだが、数年前に新築された頃から風向きが変わった。不死者の王の城を中心に考えて2時間ほど移動した東側に広がる森の、一部を切り開いた土地にぽっかり現れるお洒落な宿屋風な外観。つまり、とても好意的な角度から眺めるに、貴族の道楽で建てられた隠れ家的なお宿に見える。 その好感度を実証するように、精霊の棲む場所と噂のある森の横断に慎重派の旅人や商人たちが、普通に宿屋だと勘違いし、両開きの飴色扉は面白いほど何度も叩かれた。なぜかそれにたいそう気をよくした俺たちの長は、彼らを追い返すことを選択せず、快く受け入れ続けた結果、口コミで宿泊施設テンとして一般に認知されるに至る。 従業員が殺し屋という、丁寧な接客で評判の、知る人ぞ知る名宿泊所の擬態は意外に有効で、 長の後付け主張だとしても、国々の間を渡り歩く彼らは貴重な情報源なうえに、アジトで必要な日用品を沢山持っているしで、街までわざわざ買い出しに行かなくても、そのまま補充できるメリットに文句もでない。本業の仕事がない時は宿屋の方のチップで十分稼ぎになる利点もあるのでここに来て日の浅い雛たちには特に喜ばれている。 殺し屋は夜のお仕事が多いせいか、日中に比べ建物内部の気配が少ない。一番人気を感じられるのは西側の雛たちの住むエリアだ。 少し離れた巨木の上に立って、アジトの様子を伺うのは、身に染み付いたクセのようなもので、前庭に幌馬車が3つほど並んで止められ、焚き火を囲んだ3人の護衛が荷番をしているのを眺め力量を測る。屋内の泊まり客は彼らの顧客だけなのだろう。とそれを確認して、やっと自分を縛る檻に向け足を踏み出した。 眠い目を擦りながらも警戒中の護衛の横を走り抜けることは出来たが、焚き火の横でだらりと身体を伸ばす犬には通じず、頭がしなるように鋭く動いて俺は正確に補足されてしまう。焦らず指を振って敵意がないことを知せて挨拶すれば。渋々、上がった首が元の揃えられた両足の間に収まり、俺にわかるように鼻を鳴らした。 建物内部に入ると、森との空気の重さから解放されて自然と肩から力が抜ける。早朝ということもあって当然チェックインカウンターは無人。マス目に区切られたボックスをざっと視線でなぞってどれだけ部屋が埋まったのかを確かめるのは、従業員としての癖が身についている証拠だ。 陽光を多く取り入れるために、広々としたロビーは天井に届きそうなほど大きな窓ガラスが並んで、丁寧に手入れされた庭がそこから一望できる。いつもは宿泊客がのんびり寛ぐことのできるソファーが横一列に並べられているのだが、今日は全てが片付けられ大きくスペースを開けられていた。 そこかしこに見受けれるオレンジと黒の飾り付け。ニタニタ嗤うかぼちゃの頭に黒色の先折れ帽子。その数は全部で新顔の雛の数だけあり、そして、すべてが彼らの手によって作られたものである。ハロウィンパーティの裏側ではテンにとっても特別な儀式が進行するのだが、そんなことは一般人には関わりのないことで。 だから、毎年この時期は、アジトは居心地が悪い。 嫉妬や、羨望という視線。仕事がなくても外に出ていたいけれど、数時間もすると、毎年盛大な仮装大会を目当てに客室が全室埋まるほどに宿泊者が集まるだろうからそうも言っていられない。 残された僅かな睡眠時間が仮眠できるくらいしか残っていないのに、ため息をついて。重い摺り足で地下の寝床へと向かった。

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