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第8話
偽の情報が交錯している今、たった一つの判断が命取りになる。那智の事を信頼していても、確かめずにいられないくらいには、神も慎重になっているという事だろう。
そんな神に、那智が珍しくニコリと満面の笑みを向けた。
「厄介な情報屋さん」
名前を出さなくても、神には誰の事を言ったのかわかったらしい。納得したように小さく頷いた。
「昼間なのによく居場所がわかったな」
神の言葉はもっともなものだ。なにせ、セイに気に入られている那智でさえ、蘭に聞かなければ居場所を掴めなかったのだから…。
「もちろん昼間のあの人の居場所なんて俺にはわからないよ。蘭さんに教えてもらっただけ」
簡単な種明かしだ。神も納得したのか、それに関してはもう何も言わずに口を閉ざした。
けれど、そう簡単に済んだのは神と那智の二人だけ。
会話に登場した蘭という名前から情報屋が誰なのかわかったらしい宗司は、体が萎むんじゃないかと心配になるくらい深い溜息を吐きだした。
「ちょーっと待ってよ。なんかもうありえないから、その会話…」
那智がチラリと隣を見ると、その甘いマスクを「うはー」っともったいなくも歪めた宗司の顔が視界に入る。
「どうしたんですか宗司さん。顔が残念な事に…」
「…一言余計だよナッちゃん」
恨みがましい眼差しで那智を見返した宗司は、疲労感たっぷりの投げやりな態度で片手をヒラヒラと振った。
「あのモンスター2人と対等に会話しているお前ら二人の非常識さを、もっと自覚してほしいのよお兄さんは…」
呻くような言葉と共に、片手で額と目元を覆って深い溜息を吐きだしている。
那智は、そんな宗司を見て思わず笑いをこぼしてしまった。どうやら、蘭とセイの事をモンスターだと思っていたのは、自分だけではなかったようだ。
「あの二人の事はどうでもいい。早く本題に入るぞ」
「そうだね」
「………」
蘭とセイの事を、「どうでもいい」と言い切った神と、「そうだね」で済ませた那智に、もう宗司は何も言えなかった。
……―――――
―――――――………
「……なるほどねぇ…、つくづく腹が立つやり方だなそれは」
那智が全てを話し終えると、背もたれに思いっきりもたれ掛かっていた宗司は、呆れた表情をしながら顔を仰向けて嘆息した。
「くだらないバカを相手にする事ほどつまらん事は無いな」
更にボヤくように呟いている。
宗司の気持ちもわからなくはない。自分達がのし上がる為に卑怯な手で相手を潰そうとするやり方が、この裏高楼街で通じるはずもないからだ。
自分達の持つ実力をもって周囲を認めさせ、そして上にのし上がり、君臨する。
この裏高楼街のアングラ世界は、実力主義で派閥が成り立っているのだ。卑怯だろうがなんだろうが勝てばいいというものではない。いや、そもそも実力がなければ勝てない。
たぶんVercheは、そういう事すら知らない、権力志向の強い馬鹿者達の集まりなんだろう。
裏高楼街にいるアウトロー達に、頂点に君臨する事を認めさせるのは容易な事ではない。実力も無いくせに頭を出そうとすれば、すぐに潰される。アングラ世界に住む人間達から、かなり手痛い方法で。
本当だったら、潰される事が目に見えている派閥など相手にしなくてもいいだろう。だが、今回はコケにされたのがBlue roseとMoonlessの二大巨塔だ。甘い制裁で済ませる事は出来ない。
これから出るかもしれない第二のVercheのような存在を叩き潰す見せしめの為にも、少々手荒くしてわからせた方がいい。
それは、ここにいるBlue Roseの幹部4人の一致した意見だ。
「京平、和真を呼んで来い」
上体を前に屈め、開き気味に座っていた両膝に腕を乗せて顔を俯かせた神が、低くボソッと呟いた。
それまで壁に寄りかかって静かに立っていた京平は、一度那智の横顔を見てから何も言わずに部屋を出て行く。
扉の向こうに京平が姿を消した途端、それまで顔を仰向かせて天井を見ていた宗司が、静かに顔を戻して横目で那智を見た。
何やらその双眸に揶揄じみた色が見えるのは気のせいだろうか…。
那智は目を眇めていぶかしむように宗司を見た。
「…なんですか宗司さん…。目付きが危ないんですけど…」
「だって今の見た?京平の奴、出てく時にお前の顔を見てから行ったんだぜ。気付かなかったのか?」
「京平…ですか?」
さっきまで京平が立っていた壁際に視線を向けて少しだけ考える素振りを見せる那智だったが、すぐさま首を横に振る。
「…まったく気付きませんでした。…でも、それが何か?」
そう問い質した途端、宗司が「はぁやれやれ」と年寄り臭い呟きと共に両肩を竦めた。
なかなか馬鹿にした腹の立つ態度だ。これが宗司でなければ、那智の足が瞬殺の如く隣にあるそれを踏みつぶした事だろう。
実際そんな宗司に向けられたのは、単に怪訝な表情だけだったが。
「那智。和真に闇への伝達をさせる」
那智と宗司のやりとりなど気にも留めてないのか、俯かせていた上体を起こした神がいつものように淡々と指示を繰り出す。
それは、蓮に渡す文書を用意しろと言う事か。
小さな頷きで了解を示した那智は、傍らに置いたバッグの中から薄いモバイルタイプのパソコンを取り出した。
黒色をしたそれを膝の上に乗せ、電源が立ちあがるまでの間、神にいくつかの質問をしたあと、文書ソフトを開いて素早く文字を打ち込んでいく。それを横から宗司が興味深そうに覗きこむ。
那智の指がキーを打つ音だけが響きわたってから数分後、静かな音をたてて扉が開いた。
視線を向けたのは宗司だけ。那智と神は見向きもしない。入ってきたのが誰なのかわかっている前提での態度。
「失礼します!」
相変わらずの元気が良い声。和真だ。
和真の後から入ってきた京平は、また元の定位置である壁際に身を寄せ、腕を組んで寄りかかる。
何も言葉を発さず表情も変えず、更に気配も消している京平は、人間としての存在を感じさせない、まるで警戒心の強い動物めいた空気を醸し出している。こういう部分が、「狂犬」と例えられる所以の一つでもあるのだろう。
「俺は何をすればいいんですか?」
那智達の座るソファの中央にあるガラステーブル、その横に背筋正しく立つ和真は、若干緊張はしているものの、瞳には強い喜びの色を浮べていた。
上の人間から直接指令が下ることが嬉しくてたまらない。そんな顔つき。
「あ~、コホン。和真クン。君にこれから重大な任務を与えよう」
「はいっ、なんでもどうぞ!」
…ふざけているようにしか見えないのは俺だけか?
宗司と和真のやりとりを、那智が胡乱な瞳でジーッと見つめる。
神に至っては、さっきから完全無視だ。自分が呼んだにも関わらず、会話に加わりたくないといった心情がありありと表れている。可愛い後輩なのだが、いかんせん暑苦しい。
そんな2人の様子に気づいているのかいないのか、宗司と和真のやりとりは尚も続く。
「君には伝書鳩になってもらいたいのだよ、和真二等兵」
「はい!わかりま……伝書鳩?」
流れに乗って返事を返すつもりだった和真は、結局流れに乗り切れずに躓いた。けれど、既にその体勢だけはきっちりと片手を額に当てて敬礼の形になっていたものだから、かなり間抜けだ。
おまけに、自分が「二等兵」だと下級扱いされたのにも関わらず、否定もしない。実際はこうやって幹部や神と直接話せる立場なのだから、そんなはずはないのに…。
宗司が「ブッ」と噴き出したのは言うまでもない。
さすがの神も無視できなかったのか、呆れたように短く溜息を吐いた後に視線を向けた。
「蓮に渡してほしい物がある」
「…………、蓮って…まさか…」
いまだ敬礼の態勢のまま、神を見つめた和真の顔が少しだけ引き攣った。
無理もない。神と同等の力と立場を持っている相手の元へ、単独で乗り込めと言われたのだから。
だが、さすがとも言うべきか、伊達に今の立場に就いているわけではない和真は、すぐさま立ち直ると、「わかりました!任せてください!」、そうハッキリ言いきった。
やっと敬礼の体勢が日の目を見た瞬間だった。
それと同時に那智の方も文書の作成が終了し、スロットにSDカードを差し込んで作成したばかりの文書をコピーする。
「和真。これを明日中に確実に蓮本人に渡して。たぶん、こっちの事を色々聞かれるだろうけど、誘導尋問に引っ掛かるような馬鹿な真似はしないように」
スロットから出したカードを渡しながら、那智が怜悧な眼差しで警告を出した。
ブンブンと勢いよく首を縦に振りまくる和真。
普段は穏やかな那智がこういう眼差しを向ける時は、絶対に失敗が許されないという事。
肝に銘じて行かなければ!と、熱い思いを胸に刻んだ和真だった。
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