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第9話

†  †  †  † 翌日、土曜日。 幹部達から重大な任務を仰せつかった和真は、ジーンズのポケットにSDカードを忍ばせて、地下鉄のホームに立っていた。 平日であれば、夕方に蓮の高校前で彼が出てくるのを待っていればよかったのだが、土曜日である今日、学校は休みだ。 「…あ~…、どこにいるのかなー、あのお方は…」 ブツブツ呟く声は、反対側のホームに入ってきた電車の走行音にかき消され、周囲に聞こえた様子はない。 とりあえず自分の知り合いを回って、情報を仕入れるしかない。 本当なら那智に聞けばその類稀な情報網を使ってすぐさま居場所もわかったのだろうが、頼らなければ伝達任務すらまともに果たせない男だと思われたくない和真は、自分の力だけで任務を全うしようと心に決めていた。 こんなところが、和真が幹部達に信頼される所以なのだろう。 普段はご主人様を慕う子犬のような雰囲気を醸し出している和真だが、任務となるとその雰囲気が一気に変わる。 至極真面目で、隙の無い表情。目元も油断無く鋭い光を放っている。 きっともう少しでこちら側のホームにも電車が入り込んでくるだろう時間になって、そんな和真のジーンズの尻ポケットに入れてあった携帯がヴヴヴと震動をはじめた。 取り出してディスプレイを見ると、昨夜のうちに連絡をしておいた長年の友人の名が表示されている。 派閥には属していないものの、一匹狼で夜の裏高楼街を楽しんでいる人物だ。結構名も知られている奴で、情報力にも長けている 「もしもし」 『お~、和真?オレ~』 「あぁ、悪いね達っちゃん。何かわかった?」 携帯の向こうの相手に話しかけながら、内容が周りに聞こえないようにホームの隅へ移動する。 『確かな情報じゃなくて悪いんだけどさ、さっきオレの知り合いが羽純さん見たってよ』 「羽純さんって、闇のNo.2の?」 『そうそう。王子様の顔は知らなくても、羽純さんの顔は知ってるって奴からの情報だから間違いないと思う。“なんか知らんけど私服で静高(じょうこう)の正門にいた”って』 「静高に羽純さんが?…って事は、今日土曜日だけど学校にいる可能性が高いって事か…」 『そゆこと…、って、あれ?…和真、王子様の学校が静高だってよく知ってたな?』 「うん。この前偶然そこの制服着てるあの人を見た」 『あ~なるほど。でも王子様が昼間に出歩くなんてレアだなそりゃ』 「ビックリして叫びそうだったよ俺…」 『あはははははは!まぁ気持ちはわかるわそれ。王子様あまり外に出ないから』 「だろ?…でも、サンキュ、助かった。今から行ってみる」 『はいは~い、頑張って~』 のんきなその声を聞いてから通話を終了した和真は、手がかりを掴めた安心感に、ハァと肩の力を抜いた。 顔を周知されていない相手を探すのは本当に大変だ。それも、蓮レベルの人間の情報はほとんど流れないから余計に。 表高楼街などの一般生活においては、顔写真どころか、個人情報まで簡単に出回っている。だが、アングラである裏高楼街に属する者の情報は、そう簡単には流れない。 重要な情報ほど、裏高楼街の実力者しか知らないからだ。そして、裏高楼街の実力者達に馬鹿はいない。だからこそ、裏高楼街の情勢を左右してしまうような人間の情報は、そう簡単には流れない。 知りたければ自分で探し出せ、という事。裏高楼街は実力主義世界だ。情報がほしければ、自分でなんとかしろ。なんとかできないなら、所詮それまで。 和真にしてみても、神や那智の事だけを考えれば、簡単に情報が流れないのは大歓迎。だが、自分が探している相手に関しては、大歓迎とも言っていられない。 …って、そんな都合良く事が運べば誰も苦労しないよなぁ…。 今は情報を手に入れられたんだからよしとしよう。 気持ちを切り替えて顔を上げると、ちょうどホームに電車が入り込んできた。 確かあの人の学校は、次の次の駅で降りればいいんだよな。 頭に地図を思い描いて歩き出し、電車に乗り込む。 ドア脇に立ってポールに寄りかかりながら、徐々に込み上げる緊張感を楽しむように、走り出した電車の揺れに身を任せて目を閉じた。 電車を降りて駅から15分程歩いた場所にある共学の進学高校。静廉(じょうれん)高等学校。 ここが、Moonlessの筆頭である蓮が在籍している高校だ。 今日は土曜日で学校自体が休みのはずだけれど、部活動が盛んな為か、校庭の方からは活気ある声が聞こえてくる。 正門脇に立った和真は、ここで待っていればいずれ蓮が出てくるだろうと考えた。 …10分前までは…。 よく考えてみれば、羽純がここの正門前にいたという事は事実として聞いたけれど、だからと言って蓮がここにいるという保証は無い。全くといっていいくらいに無い。 もしかしたら蓮には関係なく、この学校に蓮以外の羽純の知り合いがいて、そいつを訪ねてきたのかもしれない…という事もありうる。 それに、もしいたとしても、あれから時間が経っている。もういなくなっているかもしれない。現に、羽純の姿は無い。 ………えぇー………。 自分の馬鹿さ加減に顔を青褪めさせた和真。途端に正門前のスロープで、ウロウロと小回りに回り始めた。その様子は、さながら動物園によくいる「檻の中の熊」だ。それも「小熊」。 傍から見ればとても怪しいはずなのに、当の本人はそれに全く気付いていない。 そこを、学校内から出てきた長身の二人組が通りかかった。 それまで普通に会話をしていたと見られる二人組は、正門前のスロープでクルクル小回りに歩いている怪しい人物が視界に入った途端、さすがに足を止めた。 立ち止まった二人はお互いに一瞬顔を見合わせ、その交わった双眸に意味ありげな光を浮かべたが、自分の考えに没頭している和真はその二人に全く気付いた様子がない。 ようやく気付いたのは、その二人が自分の両脇に立ち、挟まれた形になってからだった。 人の気配に気がつきギョッと顔を上げた和真は、真横にいる二人の顔を見て更に目を見開いた。 「…お…王子と姉御…」 和真を挟んで左右に立っていたのは、探し求めていた蓮と羽純の二人だった。 心の準備が全く出来ていなかった和真の対応がおかしくなってしまったのは、仕方のない事だろう。 そんな和真とは対照的に、蓮は全く反応を見せずに無表情な眼差しを向け、羽純に至っては、『王子と姉御』というのが誰を指しているかわかった時点で腹を抱えて大笑いしている。 「…オレが姉御なのはともかく、蓮が…蓮が王子…!」 ヒーヒーと涙を流しながら大笑い。言葉もオネエ言葉ではなく素に戻ってしまっている。 そんな羽純の激しすぎる反応に、固まっていた和真も徐々に呆れた表情を浮かべはじめた。 …俺、ここまで笑われるほど変な事言った…? 暫しの間、その場には羽純の笑い声だけが響く事となった…。 数分後、ようやく笑いがおさまったらしい羽純が顔を上げたのを見て、それまでの間に心の準備を整えていた和真は、改めて二人に向きなおった。 「不躾に申し訳ありません。Moonlessの蓮さんと羽純さんですね」 真剣さを前面に出した和真の言葉に、最初から一言も口を開かない蓮はともかく、羽純はその顔にニヤリした笑みを浮かべた。 「そうよ~、正解!さすが和真クンね。ゼロの幹部候補と言われているだけあって、蓮の顔を知っているなんてさすがだわ」 「…それは…どうも…」 自分の名前を知られていた事にも驚いたけれど、それより何より、オネェという人種と会話をする事が初めてだった和真の口元が、僅かに引き攣る。 羽純の場合は、実際は言葉と髪型がオネエなだけであって、性質自体は完全なる男だ。だが、そんな事を和真が知るはずもない。 おまけに、さっきから何もしゃべらない蓮からの無言の圧力が、隣から痛いほどに突き刺さる。 早々に話をして帰りたい…。内心でそんな事を思う和真だった。 「それで?アナタが私達に会いに来るなんて、何か重要な話があるんでしょ?」 「あ…はい」 チラリチラリと蓮を気にしている様子の和真が可哀想になったのか、早速、羽純が本題を口にしてくれた。 これ幸いとばかりに、那智から預かったSDカードをポケットから取り出して目の前の二人に差し出す。 どちらが受け取るか判断がつかなかった為に、とりあえず二人の中間地点に差し出したのは、和真の性格ならではの行動だ。 「この中に、伝達内容が全て入っています。出来れば今日中に目を通して下さい。その後にどうするかは、そちらで決めてくれて構わないとの事です」 これで用件は全て終了した…と、和真の顔に安堵の表情が浮かぶ。 差し出されたSDカードを受け取った羽純は、一度蓮に視線を向けると、また和真に視線を戻して思案深い静かな口調で呟いた。 「…ねぇ、和真クン…」 「はい、なんですか?」 「このSDカードを作成して、そして私達に渡せって言ったの、…ダレかしら?」 その羽純の言葉に、初めて蓮が反応を示した。いままで微動だにしなかった顔の表情、片眉をピクリと動かして隣に立つ羽純を横目でチラリと見る。 そんな蓮に気がついた羽純は、一瞬だけ小さく頷いた。 彼らのやり取りを不思議に思った和真が、暫し口を閉ざす。 那智の事を言ってもいいのか…、言ったとしても、名前を出していいのかどうか…。 この二人が、Blue RoseのNo2が“那智”という名前だということを知っているかどうかすらわからない。 流れた沈黙を破るように、正門前の道路を車が通り、走行音が響き渡った。と同時に、和真の考えも決まる。 那智の事は言うべきじゃない…、と。 「それを伝える事は俺の任務に入っていません。うちの幹部からの伝言である事は間違いないので信用して下さい。そしてこの件は、当たり前ですが、神さんからの指示です」 ハッキリ言いきった和真を見て、羽純が残念そうに嘆息した。もうこれ以上は聞き出せない事を悟ったのだろう。 「はいはい、わかりました。余計な事は何も言うつもりがないって事ね」 片手をヒラヒラと振って「いいわよいいわよ」なんていじける様子を見せる相手に、和真の顔が緩む。 これでいざ真剣勝負となれば、鬼神の如き冷酷な戦い方をするというMoonlessのNo.2なのだから、人は見た目だけではわからない。 とにかく、これでもうここにいる理由はなくなった。 さっきから本当に一言も言葉を発さない蓮の様子も気になるが、それよりも、誘導に引っかかって変な事を口走る前に退散した方が身の為だ。 そう判断した和真は、「それでは俺はこれで」と挨拶すると、まだ何か話したそうな羽純の様子に気づかない振りをして、ペコリと頭を下げてからその場から歩き去った。 和真が去った後の静廉高校正門前。 二人きりになって暫くたち、今まで黙っていた蓮が、羽純の手元にあるSDカードを見て口を開いた。 「その作成者は間違いなくアイツだな」 「そうね、私もそう思って和真クンから話を聞き出したかったんだけど…」 そこで一呼吸置いた羽純は、フッと笑って肩を竦め、「さすがに簡単に教えてくれなかったわね」と、楽しげに呟いた。 そして、指で挟み持ったSDカードを顔の前で左右に揺らす。 「この中身は何かしらね~…、ラブレターだったら嬉しいんだけど…、たぶん、例の件ね」 「…だろうな」 二人でSDカードを見つめたまま暫し口を閉ざした。 それでも、羽純の視線は時折チラチラと蓮の横顔を窺っている。 SDカードの中身を考えているようにも見えるけど、これを作成したであろうBlue RoseのNo.2の事を考えているようにも見える蓮の横顔。 …罪つくりねぇ、ゼロの至宝ちゃんは…。 内心で密かに微笑む羽純であった。 その後2人は、SDカードの中身を見る為に、まだ陽は高いにも関わらずいつも自分達が拠点としているバー『Grimoire』に足を向けた。 「それじゃ、開けるわよ~」 Grimoire内の一番奥、壁際のソファに二人並んで腰を下ろし、羽純が目の前のテーブル上に置いたノートパソコンにSDカードを挿入する。 自動的に立ち上がるデータフォルダ。それをクリックすると現れる1ページのWord文書。 【Moonless 各位】 まず最初に目に入った一行目は、宛先。 薄暗い店内で、パソコンのディスプレイから発せられる青白い光に照らされた二人は、そのまま無言で先を読み進める。 羽純が、カーソルを下に動かした先に現れた本題。 【この度の、BlueRoseが引き起こしたとされる奇襲の件。当方でも、時を同じくしてMoonlessを名乗る数名に奇襲をかけられた事実あり。】 そこまで読んだところで、僅かに目を見開いた羽純が横にいる蓮を振り向いた。蓮は、その双眸を鋭くしてディスプレイを見つめたまま。 先を急ぐように、視線を戻した羽純が更にカーソルを下げていく。 【当方では、これが第三者によって仕組まれた罠だという情報を、信頼できる然るべき人物から得ている。よって、一週間後の夜、双方の幹部会を極秘裏に開催したい意向をここに記す。もし合意を頂けるのであれば、何らかの形で明後日までに返事を頂きたい。】 本題はそこで終了。 更に下に一行、【BlueRose】とある。 念のためプロパティを確認してみたが、予想通り作成者の名前はunknown(不明)。 2人の間に暫しの沈黙が落ちる。といっても、ここに来てから言葉を発していたのは羽純だけ。蓮は最初から沈黙したままだ。 少したってから羽純が嘆息し、SDカードを取り出してパソコンの電源を落とした。ディスプレイの灯りが消えた事により、Grimoire内に暗さが戻る。 「…第三者って…、」 「ヴァーチェだ」 「そうね、私もそう思うわ」 前屈みになって膝の上に肘を着き、その上で組んだ手の甲に口元を押し当てて黙る蓮をチラリと見た羽純は、手にしたSDカードを閉じたパソコンの上に置いた。 「どうする?…私は、いい機会だから久し振りに派閥幹部会を開いてもいいと思うけど」 「………」 羽純の言葉に目を伏せた蓮は、そのまま暫しの間沈黙を貫いた。こういう時の蓮は、たいがい何かの打開策を考えている。 肯か否か。果たして蓮はどちらの答えを選ぶのか…。 羽純はワクワクした思いで蓮の言葉を待った。

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