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第12話

数秒続いた沈黙の後、神は更に後押しするべく、ある人物の名を告げた。 「情報元はセイ。蓮と羽純、お前ら二人ならこの名の意味がわかるだろう」 「それは…間違いないわね…」 羽純が溜息交じりに呟くと、Moonless側の幹部の一人が納得出来なかったのか訝しげに、 「羽純さん。それだけで証拠になるんですか?ただ単に情報屋の名を騙っているだけかもしれないじゃないですか」 そう言い放った。 さっきの子供らしさが抜けない声の持ち主とは別の人物。 どことなく落ち着きのない様子と発言内容から、この人物は直哉と同じく幹部になったばかりの人間だろうと那智は推測を付けた。 何故なら、セイの名を騙る事など絶対に不可能だという事は、ある程度上にいる人間の間では周知の事実だからだ。 そんな事をしたが最後、裏高楼街を歩くことは出来なくなる。 それを知らないという事は、幹部に上がってまだ日が浅いのだろう。 あの、草の根元に落ちている物すら知っているような恐ろしいまでの情報ソースを持つセイに、バレない事などない。 プライドが高く、自分が気に入った人間以外とは視線すら合わせないような人物の名を騙るなど、ありえない。 存在を抹消されたいのなら別だが、そうでないなら軽々しく名を呼ぶ事すら憚られる。それがセイという人物。 疑問を持った彼以外の者は、それをよくわかっているからこそ、Blue Roseの名を騙って騙し討ちを仕掛けた第三者がいるという事実を受け止めた。 声を発しはしないが、蓮も否定をしないという事は了承したのだろう。 そんな新人幹部に、羽純が多少呆れたように溜息を吐いた。 「あのねぇ…、あの情報屋さんの名前を騙るなんて出来るわけないでしょ。そんな事したら明日の朝には海に浮いてるわよ、死体が」 「…え…」 羽純のふざけたオネェ口調が、こんな時は逆に言葉の真実味を濃厚にする。 真剣に言われれば、それは少し大げさだろう…と疑ったものを、こうまでいつもの調子で言われれば信じるしかない。 Moonless側の新人幹部は、今度こそ口を噤んだ。 「…神。そっちにはお前の他にもう一人、セイに気に入られている奴がいたな」 突如として聞こえた低く抑揚のない声。 耳元で囁かれたのなら、たちまち全ての女性が顔を真っ赤に染めあげるだろうと思われるほど艶を含んだ声。抑揚がないのにここまで色気を感じさせる声を持つ者など、Moonlessにただ一人しかいない 蓮だ。 だが、どれほど色気のある声だとしても、那智の胸内に響き渡るのはうるさいほどの警鐘の音だけ。 蓮が言っているのは間違いなく自分の事。 吝かではあるが、いざとなれば姿をさらす事も仕方ないだろうとは思う。だが、それは今ではない。 自分の存在は隠密であればあるほど有効なものだとわかっている。 さて、どうしたものか…。 那智が様々な思考を組み立てること数秒。静かな動きで京平の耳元に唇を寄せた。 「…………」 周囲に聞こえない程の囁くような小声で京平に指示を出す。 そして、何事も無かったかのように元の位置、京平の背後に控えた。 「雑談はそこまでに。こちらからも早急に確認したい事がある」 那智の指示を受けた京平が、さらりと言葉を放つ。 全員の意識が、蓮の戯れの問い掛けをすり抜けて京平の言葉に寄せられる。 そんな状況が読めたのか、神は微かに口端を引き上げて楽しげな表情を浮かべた。 京平に指示を出した那智の思惑に気付いたらしい。 簡単に蓮のペースに乗せられてたまるか。それを出し抜く事が楽しくてたまらない。 あまり人には知られていない神の中の子供っぽい一面が、一瞬だけ表に浮かんだ。 そして、京平の言葉に、蓮も無視する事は出来ない何かを感じたのか、暫し沈黙した後、応えの声を発した。 「…なんだ」 自分が戯れにかけた言葉よりも、まずは本題が先だと判断したのだろう。那智の思惑通りに話の流れが変わっていく。 「同じくこちらのメンバーにも仕掛けてきた奴らがいる。そいつらが、自分達は闇の人間だと名乗ったという事実は、この前渡したSDにも記した通りだ。…が…、ここでハッキリさせてもらいたい。それもやはり騙りの第三者と見て間違いないな?」 京平の言葉に、Moonlessの幹部2人が動揺の気配を見せた。 どうやらNo持ちではない彼ら2人は、Blue Rose側も襲われていたとは知らなかったらしい。 その反応を目の前で見て改めて裏付けが取れた那智は、一瞬だけ満足そうに目元を緩ませる。 これで敵は確実に一つに絞れた。 Vercheだ。 あとは、彼らがただ勢いだけの集団なのか、それとも何か裏に潜むモノがあるのかを見極めるだけ。 「俺達が今さらお前らに不意打ちを食らわすような襲い方するわけねぇし。そんなの偽物に決まってるだろ」 この場にそぐわない軽い口調の返事。これには京平もつい最近聞き覚えがあった。 先日Trinityを訪れたMoonless側のNo.3、孝正だ。 相変わらず軽い口調だが、今回の言葉は真実だろう。 お互いに濡れ衣を被せられそうになった事は、これで明らかになった。 裏高楼街の均衡が崩れるであろう無用な争いを避けられるだけでなく、妙な動きを見せる第三の勢力に神経を注ぐ事ができる。 敵を包囲する最初の布陣は敷けた。 Blue RoseとMoonlessが二大派閥と認められてからというもの、中小派閥同士の小競り合いは多々あっても、この二つの派閥だけはほとんど動きがなくなっていた。 高楼街の三分の一を占める東区を治めるBlue Roseと、同じく高楼街の三分の一を占める西区を治めるMoonless。 そして、二つ合わせてようやく高楼街の三分の一を占める程度の小さな北区と南区を、他の中小派閥が争っている。 それが定着化されつつある現在、久し振りの抗争が始まりそうな予感に、たぶん那智だけでなく、この場にいた全員がなんらかの感情を持ったに違いない。 …楽しくなりそうだ。 無意識化でほんのわずかに那智の口角が上がる。 暗闇の中でもそんな那智の表情に気付いた京平は、何を思ったのか目を細めた。 「…という事は、これでお互いの濡れ衣は晴れたわけですね。偽の情報に踊らされる事なく無用な争いが避けられたのは喜ばしい事です」 那智は、見つめてくる京平の視線を感じつつも、Moonless側の幹部が放った言葉にチラリと視線を向けた。 先程と同じMoonlessの新人幹部。彼にはもう少し教育が必要だろう。この状態の何を見て喜ばしいと思えるのか。 確かに、二大派閥の意味のない争いは避けられた。だが、何か厄介な事態が裏で起きている可能性も浮上している。事はそう単純ではない。 通常であれば、敵である相手に塩を送るような親切心は持ち合わせていないが、今回に限っては、Moonless側が馬鹿な真似をした場合、Blue Rose側にも被害が及ぶことが考えられる。 他者の愚かさに巻き込まれるなんて冗談じゃない。 やはりここは裏にある危険性を告げておいた方がいいだろう…と結論付けた那智が、声を発しようと口を開いたその瞬間、 「物事はそう単純じゃねぇよ。そっちが考えなしに油断して足元を掬われるのは勝手だけどな、こっちに迷惑掛けてくれるなよ?」 宗司が言葉を放った。 言い方は違えど、那智が伝えたかった内容そのものだ。 思わぬ事に目を瞬かせてその後ろ姿を見つめると、視線に気づいたのか少しだけ顔をこちらに向けた宗司が、茶目っけたっぷりにパチンと片目をつぶって見せた。 「………」 あまりに場にそぐわないその緩い態度に、今度は深く溜息を吐いてしまった。 「あまり甘くみないでほしいわね。裏で何かが起きてるって事はわかってるわよ。そっちに迷惑を掛けるような真似はしないから安心しなさい」 羽純の言葉に、那智の肩から少しだけ力が抜ける。当たり前かもしれないが、いらぬ世話だったようだ。 そして、どうやらそろそろ幹部会終了の時がやってきたという事を、この場にいる全員が感じとっていた。 緊迫した空気が徐々に綻び始める。 それぞれから発せられる気配がざわついて、張り詰めた糸が緩んだ事がわかる。 「今夜の派閥幹部会はこれまでという事でいいな?」 神の掠れ気味の声が静かに問うと、 「……あぁ」 蓮からは肯の応えが短く返ってきた。少し間があったのは何を思っての事なのか。 灯されていた懐中電灯の明かりが一つ消え、二つ消え…。 倉庫内に夜の闇が戻ると共に、Moonlessの幹部達は倉庫の裏手にある扉へ。 那智達Blue Roseの幹部は倉庫正面の扉へ歩きだす。 そしてようやく第五倉庫に通常の静けさが戻った。 †  †  †  † 「…失敗しただと?」 「すみません。…あいつらの中に妙に感のイイ奴らがいるみたいで…、こっちの考えに気づかれました…」 深夜1時。 高楼街北区の僻地にある寂れたクラブのボックス席で、スーツ姿の30代前半の男と17~8歳の少年が2人、張りつめた空気の中で危ういやりとりを繰り広げていた。 明らかに分が悪いのは、その場に立ち尽くしている少年側。 大柄な体を精いっぱいに折り曲げて、目の前のソファに座る相手に平謝りしている。 男は、一度「チッ」っと舌打ちをした後に煙草を深く吸い込み、その煙を嫌がらせのように少年達の顔に吹き付けた。 少年達は咳きこみたいのを堪え、僅かに眉を寄せるのみ。 「まぁいい。こっちもあれだけでどうにかできるなんざ思ってねぇよ」 そう言った男の気配が緩んだ途端に、少年たちの体からも力が抜ける。 …危なかった…。 そんな言葉が聞こえてくるような安堵の表情。 「当分は警戒されるだろうから大人しくしてろ。また次の指示を出すまでは下に潜っとけ」 「…わかりました…」 男に逆らえないが為に大人しく頷いたものの、少年達の(はらわた)の中は、面子を潰してくれた二大派閥に対する怒りがグラグラと煮えたぎっていた。

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