14 / 63

第13話

†  †  †  † 藍桐学園(あいとうがくえん)。 通称、藍学(らんがく)と呼ばれるこの高等学校は、県内でも屈指の進学校として知られている有名校だ。 毎年、最高学府と言われる日本一の大学への進学率が他のどの高等学校よりも高く、必然的に藍学自体への受験倍率も年々高くなっている。 「また明日な!」 「後でねー」 「あー…マジで今日の難しかった…」 那智の在籍しているクラスでは、HRも終わり、いつものように放課後特有のざわめきが教室内を覆い尽くしていた。 部活に行く者、委員会に行く者、まだまだ教室内で友達と話している者。 そんな中、那智は近くの数人に適当に挨拶をして、一人教室を後にした。 昇降口へ向かって歩きながら、肩から斜め掛けにしている通学バッグの中に入れてあった携帯を取り出す。 【新着メール1件】 画面に表示された通知を見て、なんの気負いもなく受信フォルダを開いた。 【from】宗司  【subject】学校終わったか? 【本文】ちょっと早いけど、学校帰りにそのままこっちに来いよ 読み終わると同時に画面を消してまたバッグの中へ。 昇降口で靴を履き替えながら、外の明るさを見つめて唸りそうになる。夜の訪れにはまだもう少し時間が必要だろう。 Blue Rose関係の場合、空が明るい時間に動く事は出来るだけ避けたい。 まだ顔が判別できるこの明るさの中、Trinityに入るところを誰かに見られてしまえば、自分がBlue Roseの№2だとばれてしまう恐れがある。 いつかは知られてしまうだろうと覚悟はしているが、今はまだその時ではない。 チャリララン♪ またも聞こえるメール受信の音。 なんとなくイヤな予感がするものの無視するわけにもいかず、また携帯を取り出して画面を開いた。 【from】宗司  【subject】言い忘れてた 【本文】目立つなよ? 「………」 …ならこんな時間に呼ばないでくれ…。 ワザとなのか天然で言っているのか。 相手が相手なだけにどっちとも取れるメールの内容に、諦めの溜息を吐き出して歩き出した。 昇降口を出て、野球部員の声が響くグラウンドの横を通り、正門へ向かう。 授業時間中は閉じられている正門が、今は下校の為に清々と開かれていた。 …わざわざ呼び出しをかけてくるなんていったい何の用なのか。 考えながら正門を潜った那智の双眸が、一瞬だけ僅かに見開かれた。 止まりそうになった足を、意思の力によって無理やり動かす。 動揺するな。向こうは俺を知らない。俺も向こうを知らない。 心の中で自分に言い聞かせる。 正門を越え、そこから道路までの間に広がるポーチを抜けようとした所で、正門横の壁に寄り掛かっていた制服姿の人物が那智に向けて声を発した。 「おい、待て」 無愛想な割に魅惑的なその声。つい最近、この声をごく間近で聞いた。 明らかに那智に向けてかけられた声を無視する訳にもいかず、何気ない風を装って足を止めて振り向いた。 「…俺、ですか?」 「あぁ、そうだ」 寄りかかっていた壁から背を起こして近づいてくる相手。隙の無い長身と鋭い眼差し。 その身に纏っている空気は明らかに普通の人間とは違う。 Moonlessの筆頭、蓮だ。 静高(じょうこう)の制服である濃いチャコールグレーのブレザー姿からすると、学校帰りにそのままここに来たと思われる。 静高から藍学までは、バスや地下鉄を使ったとしても20分はかかる。今ここにいるという事は、最後の授業を抜け出してきたとしか思えない。確か、静高と藍学は授業数がほぼ同じだったはず。 …いったい何をしにきたんだ。 溜息を吐きたい気持ちをこらえて、単純に疑問をもっているという風の表情を作って相手に向きなおった。 「なんですか?」 「名前は」 「はい?」 「お前の名前だ」 「………」 なんだろう、この傍若無人な態度は…。 見知らぬはずの他人に突然名を訪ねる不自然さを感じてもいない様子の相手に、二の句が告げられなくなってしまった。 …いや、もしかしたら、薄々感づかれているのかもしれない。いくらなんでも、たまたま話しかけただなんて偶然が、そう転がっているとは思えない。 予測はしていたが、この前の幹部会で良い実と悪い実の両方を実らせてしまった可能性がある。できれば悪い実の方はそのまま朽ち果ててくれないだろうか。 今の不穏な動きを潰すために、清濁あわせ飲むくらいの覚悟が必要だとすれば、ここで名乗るべきだ。…だが…。 「………」 「………」 思考にふける那智が答えない為に、その場に不自然な沈黙が流れる。 正面から注がれる強い眼差しは、眼鏡で隠されている那智の素顔を暴きだそうとでもしているかのよう。 問われるままに名を告げるべきか、それとも、見知らぬ相手に教える必要はないと拒否するべきか…。 どちらにしても、少し対応を間違えれば事態は良からぬ方向へ流れてしまう事が想像つくだけに、いつも以上に慎重になる。 蓮は気が長いのかなんなのか、那智が黙ったままでも一向に苛つく様子も見せず、ただひたすら視線を注ぐだけ。 仕方なしに、意味が分からない風を装った那智は、首を少しだけ傾げた。 「あなたこそ誰ですか。見ず知らずの人に名前を教えたくないんですけど」 「…見ず知らず…ね…」 明らかに含みを持った蓮の物言い。 悪い実は、朽ち果てずに瑞々しく熟してしまったのか…。 先日の会合よりも前、本屋で隣り合った時にはもう芽が出ていたのかもしれない。 表向きには、何を言っているんだこの人は?とでも言いたげな戸惑っている表情を作り、内面では冷静に思考を巡らせる。 もし蓮が何らかの確信を持って近づいてきていたとしても、今はまだそれに反応せず、何も知らない振りをしてこの場を切り抜けた方がいいだろう。 はっきりと肯定さえしなければ、相手の持つ疑問は100%の確信には至らない。たぶんこれは様子見のはず。 ここまで来たという事は、ある程度の検討はついているのだろうが、今日のところは惚けさせてもらおう。 面白みも何もあったものじゃないけれど、たぶん今の状態ではこれが一番無難な選択。 「あの、俺急いでるので、この学校に何か用があるなら他の人に聞いてもらえますか?」 眉を寄せて怪訝な表情を向けて言い放ち、蓮の反応を見る前にさっさと踵を返して歩き出した。 那智が歩きだしてすぐ、その後ろ姿を見送る形となった蓮の双眸が無表情に眇められる。 正門のスロープを進み、右方向へ曲がっていった細身の後ろ姿は、数秒後には完全に塀の向こう側へと消え失せた。 それと同時に、やはり下校しようと正門まで来た女子生徒2人が、蓮を見てコソコソと声をひそめながら通りすがっていく。「あの人かっこいいね」そんな声が耳に届いたが、蓮の意識は、今しがた言葉を交わした相手だけに向かっていた。 背は平均的。体格は細身。容貌は、俗物的な言い方をすれば美人。 涼しげな目元とすっきりした鼻筋。艶やかな黒髪は、清廉とした色気すら感じさせる。 一見した感じでは、アングラ界になど関わりを持たずに過ごす優等生タイプだ。 だが、蓮の琴線に触れる何かがある。 以前、駅ビルの本屋で偶然隣あった時に、あとから来た人物が呼びかけた「那智」という名前。 そして、その「あとから来た人物」と言うのが、Blue Rose幹部候補の和真と呼ばれている人物だった事は確かだ。 更に、先日の第五倉庫での幹部会で、いちばん最後尾にいた姿の見えない人物。 あの狂犬と呼ばれているBlue RoseのNo.4が、微妙にその人物を守ろうとしている姿勢が見てとれた事から、それこそが「ゼロの至宝」と呼ばれているNo.2だろうと言うことは、すぐに予測がついた。 Blue Roseが絶大なる力を持って裏高楼街に君臨していられるのは、神の存在が最大の要因である事は間違いないが、ゼロの至宝と呼ばれるNo.2の軍師がいる事も重要な要因の一つとなっているのは、各派閥の幹部クラスなら誰でも気づいている事だろう。 持っている情報網が桁違いであり、それを扱う能力も高い。 神一人でも相当な切れ者なのに、そこに最高峰の軍師が付けば、またとない強力な派閥となるのは当たり前。 そしてその事実は、二人が潰れれば、Blue Roseという組織はそれまでの力を全て失うという事を示している。 まぁ、それを誰も成し遂げていないからこそ、Blue Roseは巨大な派閥として君臨しているのだろうが…。 そこで、蓮の口元が不敵な笑みを刻んだ。 神を潰すのは99%の確率で無理だろう。それならば、至宝を探し出してそちらを潰すのみ。 これまで均衡を保ってきた二大派閥。 そろそろ大人しくしている事にも飽きてきた頃だ。裏で何かが動き始めている今、それがちょうどいいきっかけでもある。 先日の会合で、無用な戦いを避けられたのは喜ばしいとほざいた奴がいたが、生ぬるい考えだ。 身を置いているのは地下世界(アンダーグラウンド)。平和など望んじゃいない。 久しぶりに戦いを始めてみようか。 蓮の瞳に、それまでは無かった炎の揺らめきのような何かがユラリと立ちのぼった。

ともだちにシェアしよう!