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第14話
「おっ、那智、早いじゃん」
「…呼び出した本人がそれを言いますか…」
Trinityに着いた那智を迎えたのは、相変わらずの飄々とした態度の宗司だけだった。それ以外に人の気配は無い。
地上に通じる扉から地下にある店内へと続く階段を降りきったところで、視線を巡らせる。
「もしかして宗司さんだけ?」
「えー、俺と二人きりじゃ不満?」
「…………」
奥にあるボックス席のソファに深々と座る宗司を見つめた那智は、じゃれつく言葉には答えず、ただ薄らと笑みを浮かべた。
笑顔なのに恐怖を感じさせるのは、那智ならではの芸当。
さすがの宗司の笑いも、ハハハと引き攣る。
「…こんな時間に呼び出すなんて珍しいじゃないですか。どうしたんですか?」
L字型のボックス席にたどり着くと、宗司の斜め前のソファに腰を下ろし、肩に掛けていた通学用バッグを傍らに置く。
そして眼鏡を外して胸ポケットへ。
学ランのファスナーを上から3分の1程緩めて、シャツのボタンを2つ外し襟元をくつろげる。これが那智のBlue Roseでのスタイル。優等生から軍師への早変わりだ。
たったこれだけの事なのに、那智の醸し出す空気が変化を起こす。
それを眺めていた宗司の口から、何やら感嘆の溜息が零れおちた。
「…なんですか」
何か言いたげな宗司のそれに、那智が怪訝そうな眼差しを向ける。
「あー…、いつも思うけど、お前が裏高楼街に関わってんのが不思議のようで、実はものすごく似合っているような…。…なんだろな?この妙な感覚」
「俺に聞かないで下さい」
呆れた口調で返す那智に、宗司が笑いながら「そりゃそうだな」と肩を竦めた。
その時不意に、Trinityの扉がカタン…と小さな音を立てて開かれた音が聞こえ、会話をピタリと止めた二人が同時に視線を向ける。
階段を降りてくる靴音からなんとなく予測がついていた那智は、警戒する事もなくソファに座ったまま。
そして姿を見せたのは予想通り、那智達が絶対の信頼を置いている人物。神だった。
確か、神と宗司は同じインターナショナルスクールの3年だ。それなら同時にここに辿り着いても良さそうなものなのに、何故別々に?
那智の冷やかな眼差しが宗司に突き刺さる。
「あ…、や…、別にサボった訳じゃないからな?HRがかったるくて先に帰らせてもらっただけだから」
「…宗司さん…」
…それを俗に「サボり」と言うんじゃ…。
言外の言葉を感じ取ったのか、宗司は誤魔化すように笑って横を向いてしまった。
そんなやりとりをしている内に、いつの間にかすぐそこに来ていた神が、那智の隣にドサッと身を投げ出すように座った。
そして少しだけ腰を浮かせ、ジーンズの尻ポケットから煙草とライターを取り出して目の前のテーブルに置く。
「話したのか?」
「いや、まだこれから」
宗司の返事を聞いた神は、先ほどテーブルに置いた煙草のケースから一本抜き取り、それを口端に咥えてチラリと那智を見てきた。
「なんの事?」
那智が問うと、フイっと視線を外して煙草に火を灯した神はそれを深く吸い込み、心地良さ気に目を細めて紫煙を吐き出すだけ。
宗司に聞けという事か。
付き合いが長い分、神が何も言わなくても大体の事がわかってしまう自分が、この“無言で物を伝える悪癖”を増長させてしまっているのはわかっているけれど、それでも、もう少しまともに言葉を発して欲しいと思うのは、我儘な言い分ではないはずだ。
既に話す気がまったくない神を諦めて視線を移してきた那智の言外の気持ちがわかったのか、肩を竦めて笑った宗司はそこでようやく本題に入った。
「ここ最近、深夜の街に出た事はあるか?」
「ないです。ヴァーチェの件から、深夜出はなるべく控えてますから」
ここで宗司が言う『深夜』の時間帯とは、0時を過ぎてから朝日が昇るまでの事を指す。
太陽が落ちてから0時までの間は単なる『夜』とだけ言う。
宗司に答えたとおり、Moonlessとの幹部会でVercheの怪しい動向が浮き彫りにされてからは、那智は深夜の裏高楼街を歩く事を避けていた。
単なる殴り合いレベルならば、勝てる自信はある。そこまで弱くはない。
だが、今はまだ裏で何がどういうふうに動いているのかハッキリとわかっていない。ということは、相手がどんな行動を取ってくるのかがわからないという事。
特に相手はVercheだ。卑怯な手段には事欠かないだろう。
自分のせいで周りに迷惑をかけたくないと思う那智は、0時以降の街歩きをやめていた。
ただし、本当に「深夜」の街歩きに関しては…というレベルだ。「夜」という時間帯はそれに含まれていない。
それをわざわざ聞いてきたという事は、何かが起きたのだろう。もしそうならば、出るべきだったのかもしれない。
「何かあったんですか?」
斜め前に座る宗司の眉間に僅かだが皺が寄っているところを見ると、あまり良くない事らしい。
そして、隣に座っている神が、まだ半分程残っているタバコをガラスの灰皿にギュッと捻じ込んだ。
「草とアイス」
「……まさか…」
神の口から零れた言葉に目を見張った。
『草とアイス』
『草』とは大麻を、『アイス』とは覚醒剤を示している。人に寄っては覚醒剤の事を『S』や『冷たい物』と呼ぶ事もある。
それが裏高楼街で出回っているとでも言うのだろうか。
BlueroseとMoonlessが頂点に立ってからというもの、裏高楼街におけるそれらの出回りは完全に締め出されていた。
例え相手が誰であろうとも、この双壁が崩れない限り、裏高楼街で好き勝手な真似は出来ない。
…それなのに…何故。
その時不意に那智の脳裏に、とある派閥の存在が浮かび上がった。
…まさか…。
「神。宗司さん。もしかして、これは…」
「あぁ…、だろうな」
「この流れとタイミングからすると、アイツらしか考えられねぇわ」
三人の唇が同じ音を踏んだ。
『Verche』
Blue RoseとMoonlessをぶつけさせるだけではなくドラッグまで流すなど、いったい何をしたいのかわからないが、犯人が奴らだという事は間違いないだろう。
「あれらを扱うにはルートがあるはず。そこを洗い出さないと完全には潰せません」
那智がそう言うと、深い溜息を吐きだした宗司が疲れたように背もたれに寄りかかった。
神に至っては珍しく苛立たしげに「チッ」と舌打ちをする始末。
溜息も舌打ちも両方したい気分に囚われた那智だが、結局表情には何も出さず静かに座ったまま。
そしてTrinity内に訪れた暫しの静寂。
それを破ったのは、脱力気味にソファに埋もれて嫌そうに眉を寄せていた宗司だった。
「ヨッ」と小さく声を上げて勢いよくソファから立ち上がり、それを目で追った那智の視線に気づいてニッと笑んだ。
「取りあえず知り合いに色々と聞いてみるわ。また連絡する」
そう言うと、黒のエンジニアブーツの踵を鳴らし、それまでとは打って変わった楽しげな面持ちでTrinityを出て行ってしまった。
結局なんだかんだ言って、騒ぎが起きるのが楽しいらしい。
どこを切っても宗司さんは宗司さんだ。
脳裏に、宗司の顔の金太郎飴を思い描いてクスリと笑った那智だった。
宗司が出ていくと、Trinityには那智と神が二人きり。
途端に神は、体勢を変えてソファに仰向けになって寝転がり、その頭を那智の大腿に乗せて目を閉じた。
他の人間がいる場所なら絶対に見せない、神のくつろいだ姿。
「何かあったのか?」
「…え…?」
目を閉じたままの神が発した一言に、那智の呼吸が一瞬乱れた。
視線を下に落として神の顔を眺めるも、そこにはいつもと何も変わらない整った容貌があるだけ。
カマ掛けではなく本当に何かを感じ取ったのだろう様子に、那智の口から小さく呻き声が零れた。
「…なんでわかった…?」
「気配がいつもより張りつめてる」
「………」
狂犬と呼ばれる京平よりよほど動物的だと思えるこの感覚には、もはや脱帽するしかない。
フゥ…と嘆息した那智は、気の赴くまま、自分の大腿の上にある神の髪の毛を指でつまんで軽く引っ張った。
ブリーチで傷んでいるかと思いきや、意外な程に柔らかく触り心地の良いその髪に、癒されるような心地で何度も指を潜らせる。
「…くすぐったい」
言葉の割には神も本気で嫌がっていない。
どうでもいい口調で形だけ那智の行動を窘めるが、止める様子は微塵もない。
那智だけに許される、この距離感と親密さ。
暫しの間そんな穏やかな時間が流れた後、神の手が、髪を弄る那智の手首を優しく掴んだ。
気づけば、さっきまでは閉じられていたはずの神の瞼が開き、下から那智をジッと見つめている。
…そろそろ話せ…と言う事か。
神の髪を弄る手の動きを止めて、ヒタと視線を合わせた。
「今日、学校に蓮が来た」
その一言に神の片眉が引き上がる。これは、不本意だったり苛立った時の表情だ。掴まれた手首に更なる力が加えられる。
「神、痛い」
那智のそんな非難の声も気にせず、神がダルそうな動きで上体を起こした。それでもまだ手を離すつもりはないらしい。
…俺が悪いわけじゃない、…はず。
何やら機嫌が悪くなりそうな神の空気に、那智の口から溜息が零れた。
前にも神のこんな空気を感じた事がある。あれは確か3か月前の事。
深夜の裏高楼街を、Trinityへ向かう為に一人で歩いていた時、男専門のホストクラブにスカウトされた事があった。
「キミなら絶対に上位に入れるよ」とかなんとか言われた気がする。余計なお世話だ。そんな事に興味はない。
その出来事がどんな経路を辿ってか神の耳に入った時、やはり気に入らないとばかりの空気を醸し出され、結果、スカウトマンを探し出して軽い仕置きをくらわせたという。
それが本当に“軽い仕置き”だったのかどうかは誰も知らない。
一つわかったのは、それ以来、そのスカウトマンの姿を街で見なくなったという事だけ。
神はあまり物事に動じず口数も少ない所から、冷静で感情が薄いと思われがちだが、それはとんでもない勘違いだ。自分の懐に入れた物に対する執着は誰よりも激しい。
「俺の事について何か感づいた様子だったけど、適当にはぐらかしたから確信は持ててないはず。まだ当分は大丈夫だよ」
とりなすように言った那智だが、自分でさえそんな甘く済む話ではないだろうと思っているのだから、神に至っては当たり前に否定してきた。
「アイツが疑いを持った時点で、逃れる事はほぼ確実に無理だ」
「…わかってる…」
蓮を過大評価しているわけじゃない。それが蓮の実力だという事。
大方、Blue Roseの参謀であるNo.2の那智を見つけ出して潰すつもりなんだろう。
Vercheの件で触発されて、とうとうMoonlessも動き出すか…。
厄介な事になったな…と思う反面、ザワザワと血が騒ぐのも事実。
Blueroseが裏高楼街のトップだという事を周囲に知らしめるには、いい機会かもしれない。
そろそろこの裏高楼街から「双璧」という言葉を消してみようか。
那智の口角が、微かに笑みの形を描いて吊り上がった
「お前は当分表に出るな」
「…え?」
神の言葉と同時に掴まれていた腕を引っ張られた。
那智の上半身が倒れこんだ先には神。
抵抗する間もなく、那智を抱き込むようにその腕が肩に回された。
行動の割には特にそれ以上何かしようとする気配の無い神の様子に、那智も大人しくされるがままになる。
敵にとっては凶器となる神の腕も、那智にとっては頼りがいのある、そして従うに値する強さを持つ信頼出来る腕。
たまにはこんな距離感も悪くない。
「事が明確になるまでは、実的な行動は他の奴らに任せろ。お前はここで指示を出すだけでいい」
「…わかった」
抱き込まれた胸元から直接響く神の声に一言返した那智は、多少の不満はあるものの、それが最善の策だと判断がつけば反対することもなく。
神は、そんな那智の返答に僅かに目元を緩めると、目の前にある髪の毛を優しい手つきでクシャリと撫でた。
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