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第15話

†  †  †  † 『もしもし、宗司?』 「あぁハイハイ、なんでしょうか高志くん」 Trinityまであと数メートルの時点で鳴った宗司の携帯。 歩きながらジーンズの尻ポケットから取り出して応答すると、電話の向こう側の相手から伝わってきた空気が少しだけ急いたものだという事に気がついて、ピタリと足を止めた。 すぐ横に、道路と歩道を隔てる為の丈の高い花壇がある事を眼で確認し、そこの縁に浅く腰を掛ける。 耳に携帯を当てなおして「どうした?」と問うと、先ほどよりも僅かに声を潜めた高志の声が耳に届いた。 『いまディスカスの交差点近くだけど、ちょっとヤバイ奴を発見した』 「…ヤバイ奴って、もしかして」 宗司の脳裏に浮かぶのは『売人』の存在。そしてその予測はピタリと当たった。 『一般人を装ってるけど、どうみても鴨(買人)になる奴を物色してる。さっきもそいつに声をかけられた奴が一人裏通りに連れてかれた。たぶんそこで売買してると思う』 「わかった。とりあえずそいつの人相覚えといて」 『もう携帯で顔撮った。って言っても大部分はサングラスで隠れてるからわかり辛いけどな』 「だろうなぁ…」 お互いに笑いあうと「じゃあまた後で」という言葉を合図に通話を終了した。 花壇から立ち上がり、先程よりは幾分か早い足取りでTrinityに向かう。 上手くいけば今夜中に何か尻尾を掴めるかもしれない。 早々に幹部を集めて対応を考えなければ…。 いつもはヘラリと緩んでいる宗司の顔が、今ばかりは鋭く引き締まったものになった。 そして辿り着いた場所、Trinity。 「あれ?宗司さん今日は珍しく遅いですね」 店内に入って早々に声を掛けてきたのは、最近幹部に上がったばかりの直哉だった。 それに軽く手を上げて「おう」と短く返しながら店内を見渡す。 奥のボックス席には京平。高志は外にいるからここにはいない。 「大将と軍師殿は奥?」 カウンター前のスツールに座っている直哉に尋ねると、考えるように首を傾げたあと、 「神さんは奥ですけど、那智さんはまだ来てませんよ」 という答えが返ってきた。 現在の時刻は23時。 確かに深夜ではないけれど、売人の存在も明らかになった今、この時間帯に那智が外を歩いているのはあまり喜ばしい事ではない。 …迎えにいくか? 宗司が眉を顰めてそんな事を考えた時、奥の方から静かな声がかけられた。 「和真が迎えに行ってます」 相変わらずの無表情でそう告げたのは、ボックス席のソファに座って目を閉じていた京平だった。 顔を向けると、そこでゆっくりと開いた京平の双眸と視線が合う。 寝ていたのか起きていたのかはわからないが、その瞳は凪いだ海のように静かだ。 「…和真がねぇ…」 んー…と唸るように呟いた宗司の言葉に、言外の意味が分かったのか直哉がクスリと笑った。 「ちょっと抜けてますけどあれで結構頼りになるし、大丈夫ですよ」 「…まぁ…な」 直哉の言葉に苦笑した宗司は、もう一度「そうだな」と独り言のように呟き、カウンター前に並んでいるスツールの、直哉から一つ分離れた場所に腰をおろした。 「那智さーん、できればもう少し早い時間から行動して下さいよー」 斜め後ろを着いてくる和真が何やら情けない声を上げているけれど、それには何も返さずにマイペースな足取りで歩みを進める那智。 ”深夜”に出歩くのは控えるとは言ったが、”夜”出歩かないとは言ってない。武闘派ではないが、そこまで非力でもない。 要は、何も問題を起こさず、首を突っ込まず、Trinityまで無事に辿り着けばいいという事。 今のところ、こちらを窺っているような怪しい気配は感じ取れない。 チラリと背後を見ると、眉をハの字にした情けない顔の和真が、辺りにさりげなく視線を巡らせながら後を着いてきている姿がある。 しっかりした行動の割に情けないその表情に笑いそうになるも、それをなんとか抑えながら尚もゆったりと歩を進める。 その時不意に、二人の前に立ちはだかるように、ヒョロリとした体格の20代中頃の青年が姿を現した。 ダメージジーンズに黒のTシャツ、そして頭には深くかぶったニット帽というよくある格好。 夜だと言うのに大きなサングラスをしている為、顔はよくわからない。 それでも、得体のしれない雰囲気を醸し出しているこの青年が、ただ道を聞く為に立ちはだかった訳ではないという事はわかる。 咄嗟に、那智を背後にかばうようにして和真が前にでた。 「…なんだよアンタ」 警戒心全開の和真の態度に、男がニヤリと笑った。あまり品の良いものではない笑い。 「アイスあるけど、お兄さん達買わない?」 「…は…?アイス?」 場違いな男の言葉に、和真が虚を突かれたようにポカンと目を見開いて問い直した。 それとは逆に、那智の表情は何も映さず無表情になる。 …売人か…。 これが、神と宗司が言っていた違法の薬売りだろう。「アイス」という事は覚醒剤の方か…。 和真の後ろから注意深く男の人相を探るが、やはりどう見ても派閥関係の人間ではない。 それに年齢もいき過ぎている。派閥関係者で20代はありえない。 …という事は。 当たってほしくはないが、那智の脳裏にある一つの考えが浮かんだ。これは早くTrinityへ行って幹部を集めた方がいいかもしれない。 イヤな予感に溜息を吐き、和真行くぞ、そう那智が声をかけようとした瞬間。 「お兄さん、アイスって何味があるの?」 何やら瞳を輝かせた和真が、売人の男に話しかけ始めたではないか。 これはどう見ても、『アイス=アイスクリーム』と勘違いしている様子。 幹部候補生のくせに隠語もわかっていないその様子に、ジワジワと怒りが込み上げてきた。 確かにこの売人はプロだろう。これだけの人混みの中、和真みたいにカモに出来そうな奴をピンポイントで見いだせるのだから。 自制する間もなく思わず手が出た。 「安くしてくれるなら買…、ってぇ!」 固く握りしめた拳を遠慮なく和真の後頭部に振り下ろし、言葉途中で頭を押さえながら勢いよく振り向いた相手にニッコリ微笑みかける。 「買い物してる暇は無いだろ?」 「………ハイ…」 涙目になった和真が大人しく頷いた。 目線だけで頷き返した那智は、売人の男がジッと見つめてきている事を感じ取っていながらも、それを完全に無視して横を通り抜ける。 言葉を交わす必要もないからだ。 相手も、売っている物が売っている物なだけに、しつこく食い下がる事もしない。 そんな那智の様子に、和真も慌てて後をついてきた。 「ちょっと待って下さいよ~、そんなに怒らなくてもいいじゃないっすか」 「…お前、後でお仕置きだからな」 「ぇえ?!」 本気でビビっている和真の声にまたも笑いそうになるのをなんとか堪えながら、足早にその場を過ぎ去った。 「お、那智。お帰り」 「…た、だいま」 Trinityに入った途端、向かって右手にあるカウンターのスツールに座っていた宗司からおかえりと言われた那智は、戸惑いながらも挨拶を返した。 まるで自宅かのような対応をされて言葉につまってしまったものの、まぁいいか…と宗司の元へ歩み寄る。 その数秒後、勢いよく開いた扉から和真が姿を現し、これまた勢いよく階段を駆け下りてきた。 「那智さん、置いてくなんて酷いですよ!」 あっちこっちに意識を向けて歩く和真が、足早に歩く那智に置いて行かれたと気づいたのはほんの少し前。 那智の姿がTrinityの扉に吸い込まれるように入ったのを見た瞬間に猛ダッシュしたのだろう。肩を上下させてゼーゼーと息を切らしている。 「和真ー、お前やっぱり番犬には向いてないな」 「ぇえっ?!立派に務めは果たしましたよ!」 …どこをどう見れば『立派に務めを果たした』んだろう。最初のうちは良かったのに、売人とのやりとりで台無しだ。 和真を見る那智の目が呆れの色に染まった。 宗司の隣のスツールに浅く腰を下ろしてワザとらしく溜息を吐く。 「売人にホイホイと着いていきそうになったのは誰だったかな?」 「…売人…?」 那智の言葉に、立ち尽くしたままの和真が首を傾げた。 いったいどこに売人がいたんだ?とばかりの反応。 宗司と直哉は、那智の言葉と和真の様子を見てだいたいの事を察したのだろう、遠慮なく爆笑し始めた。 奥にいた京平に至っては、不機嫌さを醸し出して和真を見ている。…いや、睨んでいる。 ほんの僅かでも、那智に危険を及ぼす可能性がある行動をとった和真に、苛立ちを覚えたといったところか。 「お前なぁ、もう少し裏の事情をお勉強した方がいいぞ?」 「え?!裏のお勉強?!…っ痛~~~!」 スツールから立ち上がった宗司は、笑いながらも加減しない力で和真の脳天に拳を落とした。 容赦ない宗司のお仕置きは相当痛かったらしく、頭を押さえて床にしゃがみ込んだ和真の眼に涙が浮かんでいる。 「那智さんといい宗司さんといい…、さっきからヒドイっす…」 俯いてブツブツ言っているその言葉を聞いて、宗司が那智に意外そうな眼差しを向けた。 「那智も…って。お前も殴ったのか」 「つい手が」 ニッコリ笑って答えた那智に、宗司も苦笑い。いくらなんでもNo持ちの幹部二人に殴られたとあっては、たとえ和真でもへこむだろう。 「って事は、那智も会ったんだな?」 「…も?」 売人の事を示しているだろう宗司の言葉に肯定を返す前に、逆に問い返した那智。 「も」という事は、自分達以外にも既に誰かが遭遇しているという事だ。 近くのスツールに座っている直哉と、奥のボックス席にいる京平に視線を流していると、目の前に立つ宗司がヒラヒラと軽く手を左右に振った。 「違う違う、こいつらじゃなくて高志。さっき電話があった。ディスカスの交差点で怪しい奴がいるって」 その言葉を聞いた瞬間、しゃがみ込んでいた和真がハッとした様子で顔を上げた。 どうやら思い当ったらしい。それまでの情けない表情を一変させ、真剣な眼差しを那智に向ける。 さすがにそこまで鈍くはなかったか…。 ホッとした那智は、表情を緩めて和真に頷き返してから宗司を見た。 「場所からして、高志さんが言っていた人物と俺達に声をかけてきた奴は同じですね」 「…そうか…。って事はやっぱり、奴らの存在は噂だけじゃなくて事実だって事だな」 宗司の呟きに、それまで奥で身動ぎひとつしなかった京平が動き出した。足音を立てずにしなやかな動きで歩み寄ってくる。 「奥、行きますか?」 「あぁ、幹部会。招集だ」 頷いた宗司の言葉を受け取った京平は、那智が何も言わずに奥の部屋へ向かって歩き出したのを見てその背後に付き従うように移動し、一緒に扉の向こうへ姿を消した。 「和真、高志を呼び出しておいてくれ。俺達は先に始めてる」 「了解しました」 それまでの緩い空気を払拭し、宗司と直哉は那智達に続いて神のいる奥の部屋へ。和真は携帯を取り出して、アドレス帳にある高志の番号を呼び出しはじめた。

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