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第16話

「神、今から幹部会を開くよ」 通路奥にある黒の扉をノックもせずに開けた那智は、神のいるソファまで歩み寄ってそう告げた。 部屋の中央にあるテーブルを囲うように設置された黒のレザーソファ。 三人掛け用のソファに長い手足を悠々と伸ばして寝転がる神の姿は、金色の髪型とそのしなやかな肢体も相俟って、孤高の獅子を思い起こさせるような野生的な魅力が溢れている。 それでもどこか品の良さを感じさせるのは、神の容姿が端正だからこそに他ならない。 いつもの見慣れている光景だとはいえ、その度に同性として羨む気持ちになる那智の心を神は知っているのか…。 無意識のうちに嘆息した那智は、ゆっくりとした動作で上体を起きあがらせた神の隣に座った。 那智の後から入ってきた京平は、いつものように右手奥の壁際に立ち、そこに背を寄り掛からせ腕を組んで目を閉じる。 「例の件か」 ハスキーな声でそう呟いた神は特に那智の返事を待つでもなく、テーブルの上に置いてあった煙草のケースから一本を抜き取り、気だるげな仕草でそれを口端に咥えた。 燻し銀のジッポで火を灯す際に、僅かながらに瞳を細めるその様がとてつもない色気を見せつけてくる。 金色の前髪の隙間から見える双眸は、今は感情も湛えず静かにたなびく紫煙を見つめるだけだが、ここに冷たい炎が揺らめいた時、自分でさえもその眼差しを正面から受け止める事はできないかもしれないと那智は思う。 「…なんだ」 「べつに」 真横から見つめてくる那智の視線が気になったのか、咥えていた煙草を口元から離して言葉を発した神に、なんでもない…と首を横に振った。 そんな二人の様子を眺める京平は、外側からは何を考えているのかわからない無表情そのもの。何も言わずに壁際に寄りかかっているだけ。 「高志もすぐ来るけど、先に始めようぜ」 再び開いたドアから姿を現してそう言ったのは宗司だ。後から続いて入ってきた直哉と並んで、神と那智の正面のソファに座った。 まだ神を目の前にすると緊張するらしい新人幹部の直哉は、背筋を正してチョコンと座っている。 それとは真逆に、宗司はやはりいつものように背もたれに寄りかかって深々と座っている。 個々に座っていればなんとも思わないのだが、こうやって並んでしまうと、その対照的な姿があからさま過ぎて思わず笑ってしまう。 「…なに笑ってんの、なっちゃん」 「いえ、なんでもないです」 本能的に自分が笑われているとわかったらしい宗司が、拗ねたようにジロリと睨んでくる。 那智はポーカーフェイスを保ってそれをかわすと、一度咳払いをして誤魔化した。 「俺と和真が、ディスカスの交差点で例の奴に声をかけられ、宗司さんの携帯にも、そいつを見かけたという高志さんからの連絡が入った。…これはもう間違いないと思う」 那智が落ち着いた声でそう言うと、紫煙を吐き出した神が無言で頷いた。それにより、室内の空気がピシリと張り詰める。 “完全追放決定“だ。 裏高楼街には、暗黙の了解的な掟が存在している。 その内のひとつが 『裏高楼街においての銃器・薬物売買の全面禁止。見つけ次第追放』 というものだ。 何年か前までは、裏高楼街でも普通に薬物売買が行われていたらしいが、当時の初代カリスマと呼ばれていた蘭がそれを禁止する方向で動き出し、その後に現れたBlue RoseとMoonlessという二大派閥が裏高楼街に君臨してからは、薬物売買の禁止は絶対の掟として確実に守られる事となった。 基本的に、神と蓮が慣れ合う事は皆無だ。だが、この件に於いては互いに異存はなかったらしい。 トップであるこの二人がそういう考えだからこそ、現在の裏高楼街では薬物や銃器の売買が完全になくなっている。 それがここ最近、どういうルートを使ってか、また薬物の売人が現れるようになった。状況から見てVerche絡みなのは間違いない。 …さぁ、どうしようか…。 室内に沈黙がおちた、その時。 ガチャリと音を立ててドアが開いた。 「遅くなって悪い!」 外にいた高志だ。和真からの連絡を受けて走ってきたのか、呼吸が乱れている。 「先に始めてるぞ」 宗司の言葉に頷きだけ返した高志は、そのまま直哉の隣に身を投げ出すように座った。 宗司と高志に挟まれ、更には正面に神と那智。 最近になってようやく幹部としての立場に慣れてきた直哉にしてみれば、息のつけない並びとなってしまった座り位置。 さっきよりも背筋に力が入っている事がありありとわかる様子に、正面で見ていた那智は思わずフッと笑いをこぼした。 「那智、なに笑ってんの」 「いえ、なんでもないです」 不思議そうに聞いてきた宗司に軽く首を横に振って答えると、那智はそれまでの緩い空気を払拭し、背筋を正してその場にいる全員を見渡した。 幹部が全員揃ったところで、本格的な話し合いの始まりだ。 「高志さんがディスカスの交差点付近で見たと言う人物ですが、俺と和真も会いましたよ」 「あ、マジで?アイツ絶対そうだろ?」 那智の言葉に、高志が少しだけ身を乗り出した。それに対して「はい」と肯定を返した後、 「派閥の人間じゃないですね」 「派閥の人間じゃなかったな」 那智と高志が同時に同じ言葉を口にした。 宗司と直哉は、二人がそう言いきる理由がわからずにキョトンとした表情を浮かべている。 ただし、神だけは二人の言葉から正しい答えを導き出していた。 深く吸い込んだ紫煙を宙に吐き出し、煙草を灰皿でギュッともみ消すと同時に、 「…年齢外、の奴か」 そう呟いた。 那智が頷いた途端に、ようやく宗司と直哉が納得した様子を見せる。 裏高楼街の掟として、こういうものがある。 『派閥に属する事ができるのは、13歳~19歳までの少年のみ。それ以外は認めず』 というものだ。これを破る事は許されない。 派閥内に規定以外の人間がいる事が判明した時点で、そこは裏高楼街の派閥として認められなくなる。 派閥としての行動ができなくなる、要は潰されるという事。 そこから考えると、Vercheのメンバーが直接的に売人をしているのではなく、どこか別の組織が売人をやっているという事になる。 それならば、Vercheは関係ないのでは?と思う者もいるかもしれないが、長く裏高楼街にいる者ならわかる。 この街で派閥に頼らず何かをしでかすのは、例えそれがヤクザ関係だとしても、現実的に無理だと。 裏高楼街は、そこに存在するいくつかの派閥が絶対的な縄張り権限を持っている。 それは誰がどうこうしようとしても覆る事はない。骨の髄まで染み込んだ消す事の出来ない掟。 だからこそ、どこかの派閥の力添えが無い限り、裏高楼街に売人を置く事など出来るはずがない。 Verche以外の派閥の動きをほとんど把握している那智にしてみれば、怪しいのは一つだけ、いまだ動向が掴みきれない新設派閥のVercheのみに絞られる。 室内に暫しの沈黙が落ちた。皆それぞれの考えを巡らせる。 その沈黙を破ったのは、それまで一言も口を開かなかった京平だった。 組んでいた腕を解いて壁から背を離し、静かな足取りで那智の座るソファの横に立つ。 皆がその動きに注目する中、本人はソファの肘掛けに浅く腰を下ろし、ちょうど自分の胸元にくる那智の頭を優しく抱きよせた。 これに驚いたのは直哉だけ。ギョッとしたように目を見開いて京平の行動を見つめている。 「…京平、どうした?」 自分を抱き寄せるその腕を軽く叩きながら言った那智は、僅かに身じろいで間近にある京平の顔を見上げた。 「一人で動かないと約束して下さい」 「………」 真摯な瞳で見つめられてそんな言葉を言われても、那智には約束する事は出来ない。 意識的に前面に出ようとは思っていないが、裏側では那智がいちばん動き回る事になるのは想像するまでもないからだ。 そうなれば、必然的に単独行動、場合によっては表舞台に出る事にもなる。 京平を大人しくさせる為にここで簡単に「大丈夫だ」と言う事はできる。できるけれど、実際にその約束は破られるだろう事がわかっている那智には、嘘でも頷く事はできない。 「失敗はしないという約束はする」 そうキッパリと言い切った那智に、宗司と高志がニヤリと笑った。 “失敗はしない”それは、絶対的危機に陥るような事にはならないと言ったも同然。 “一人で動かない”という事に約束はしないものの、その奥底にある“危険な事はするな”という思いに対しては約束したという事。 那智らしい遠回りで的確な言葉に、その場にいた全員が「さすが京平の飼い主…」と感心の眼差しを向けた。 「…とりあえず、一週間は売人を張って、ある程度の行動を調べた方がいいだろ」 宗司がテーブルにあった神の煙草ケースから一本拝借しながらそう言うと、直哉を挟んでその隣に座っている高志が、 「そして、裏が取れれば大元に突撃、…だな」 片側の口角だけを器用に引き上げながら、ニヤリと笑った。 そしてその間も自分の胸元に那智を抱き込んでいた京平は、話がまとまったところでようやく腕を離して肘掛から立ち上がった。とりあえずは納得したらしい。 「…一つだけ気をつけろ。もし他の地区にも売人が現れたとなれば、動くのは俺達だけじゃない」 その場にいる全員に視線を流して言った神の言葉に、直哉と高志がハッと息を飲んだ。 Blue Roseが仕切る東区域だけの話ならば簡単に事は運ぶが、これがもし他の区域、例えばMoonlessが仕切る西区域にまで売人が現れているとなれば話は変わる。 派閥同士が共同戦線を張る事は滅多にない。売人の大元を潰そうとする意思は同じでも、自分達の縄張りを荒らしている奴らを潰すのは自分達だ、という強い自負がある分、もし潰す敵が重なるとなれば、そのメンツにかけて派閥同士で敵の奪い合いとなる事がある。 神が気をつけろと言っているのは、その状態になった時の事。 中堅レベルの派閥であれば、Blue Rose相手では自分達に勝ち目が無いとわかりきっているだけに、不服ながらも権利を譲ってくるだろう。 だが、相手がMoonlessとなった場合、確実に激戦となるのは目に見えている。 もしもの場合を考えると、いち早く情報を集めた方が有利だ。 先程よりも僅かに緊張感の増した空気の中、既に那智の脳内では、それらに関する様々な思考が張り巡らされていた。

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