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第21話
† † † †
セイから確かな情報を得た翌日。
那智は早速Blue Roseの幹部会を開く為に、昼間の内に各幹部達へメールを送っていた。
そして夜22時。
いつものようにTrinityの扉を開けて階段を下りて行った那智の目に映ったのは、いつもとは違う光景だった。
「…何してるんですか、宗司さん」
「お、那智!いいとこに来た。ちょっとコイツ押さえてて」
満面の笑顔を浮かべ、力技で羽交い絞めにしている和真を示して言う宗司に、那智が戸惑ったのも無理はない。
誰がどうみても和真は本気で抵抗し、背後から伸びている宗司の腕から必死に逃れようとしているのだから。
「宗司さんいい加減に離して下さいよ!」
「無理無理」
「それは俺のセリフですってば!」
「………」
暫くの間そんな二人のやり取りを無言で眺めていた那智は、何やら楽しそうだから放っておこう…と、二人の横を通り抜けた。が、そんな那智に気づいた二人から、再度声がかけられる。
「那智さん助けてくださいよ!」
「おい那智どこ行くんだ。こいつを押さえてろって」
…なんで俺が責められてるんだ。
二人の必死で恨みがましい眼差しが、同時に那智に向けられている。
まるで、今この場でいちばん悪いのは那智だと言わんばかりの視線。
どうしたものか…。
腕を組み、口元に指を当てて考えるていると、突然背後から誰かの声がかけられた。
「放っておけよー、那智」
「…高志さん」
カウンター前のスツールに座り、フルートグラスに入ったシャンパンらしきものを口に運んでいた高志が、呆れた眼差しで二人を見つめていた。
「この人達、いつからこんな事してるんですか」
肩にかけていた通学バッグをスツールの一つに置いてカウンターの奥に入り込み、棚から取り出したロンググラスを手にして問いかける那智に、
「30分前から」
そう答えた高志は、もう既に悟りの境地に辿り着いているような表情を浮かべていた。
ここで言う悟りの境地とは、「見ざる言わざる聞かざる」の事だ。簡潔に言えば、「存在無視」の一言。
グラスに炭酸水とカシスリキュールを注いでいた那智は、それをバースプーンで軽くステアし、またカウンターの表側に戻った。そして、高志の隣のスツールに腰掛ける。
その間も、まだ宗司と和真は果てない戦いを繰り広げていた。
よくもまぁ飽きないものだ。
「あの二人って兄弟っぽくないですか?」
「あぁ、馬鹿でヘタレっぽいとこがそっくりだ」
馬鹿でヘタレという部分に、那智が笑ったのは言うまでもない。
どうやら二人は那智を仲間に引き入れる事を諦めたらしく、本格的にプロレス技を繰り出し始めた。余裕の表情を浮かべている宗司とは逆に、和真の顔は必死そのもの。額に汗が滲みだしている。
「宗司さんってアレですよね、構い過ぎて嫌われるタイプ」
「…那智…」
真顔で毒を吐いた那智の言葉に、高志はホンの少しだけ宗司に同情の眼差しを注いだ。
その内に京平が姿を現し、更には神が姿を現すと、そこでようやく宗司と和真の戦いに決着がついた。
結果、当たり前だが宗司の圧勝。戦いの総時間50分。ある意味凄い。
時計の針が23時を指し示した頃、事実上Blue Roseを動かしているトップ幹部6人は、和真を留守番として店内に残し、奥の部屋へ移動した。
「それでは、今後の方針を一言でお願いしますよ、参謀殿」
それぞれが定位置に着き、空気が落ちついた頃合いを見計らって宗司が口火を切った。
相変わらず背もたれに思いっきり寄り掛かって座っている宗司と、正面に座る那智を楽しげな表情で見ている高志。そしてやはりその二人の間に座る事になってしまった直哉は、さすがに慣れてきたのか、いつもよりは緊張感を緩めて座っている。
京平は、右手奥の壁に寄りかかって立ったまま。
その四人を見渡し、最後に、隣にいる神に目を向けた那智は、チラリと横目で流された鋭い眼差しに軽く頷きを返した。そして、
「Vercheを完全に排除する」
硬質な声色で、そう一言告げた。
「やっぱり草の陰にVercheが潜んでたか…」
高志が溜息混じりに呟けば、宗司は両肩を竦めて「大方バックに何かをつけてんだろ」と、何気に鋭い事を言い放つ。
思わず那智の目元が緩んだ。
そんな那智の反応を見た直哉は、「もしかして、宗司さんの言う通りだったりして?」と恐る恐る口を挟む。
「あぁ。宗司さんの言う通り、Vercheはバックにどこかの組をつけてる。そこがVercheの手引きによって、物を売り始めた」
そこで那智は、持ってきていたバッグの中からモバイルパソコンを取り出して電源を入れ、暫くしてからたち上がったデータを開き、皆に見えるようにディスプレイを正面に向けた。
「…これは…高楼街の地図か」
高志の呟きに那智が頷く。
「この地図上に、不審人物を見たと報告を受けた場所に印をつけると、…こうなります」
逆向きからキーボードを操作して、再度ディスプレイを見せる。
高楼街の地図上に現われたいくつかの赤い点。そしてその印の付き方に、ある偏りが生じている事に全員が気付いた。
北区寄りに不審人物目撃の印が集中している。そして、北区と隣り合っている東区と西区の境目にも印が目立つ。
これが示している事はただ一つ。北区の人間が動いているという事。そして、今の北区で一番動きを活発化させているのは、言わずもがな…、Vercheだ。
「間違いないな。…どうする?宗司」
「掟破りはいかんでしょう、高志君。警察のオジサン達に隙を見せたら、裏高楼街自体が破滅しちゃうんだから。なんの為の掟だよ。ここで遊びたいなら守ってもらわなきゃね~」
直哉を間に挟んでふざけた調子で言葉を交わす二人に、神が迷わず指示を出した。
「宗司と高志はバックについた組がどこかを探しだせ。くれぐれも向こうにはバレないようにな。京平と直哉は、和真と幹部候補を集めてVercheの頭の動向を見張れ。那智は俺の名前で裏高楼街中にVerche排除の通達状を。……開戦だ」
普段はあまり表情を変えることのない神が、鋭い眼差しを眇めて微かに口角を引き上げた。
眠る獅子が目覚める。解き放たれた闘神の気配に、直哉が慄くように身を震わせた。
隣に座っている那智など、熱さえも感じる程の強烈な気の圧力に我知らず喉を鳴らす。
久し振りに感じる神の覇気に、快楽にも似たゾクリとした何かが奥底から湧き起こった。
「裏高楼街の掟における薬物取扱い違反、ヤクザとの癒着違反、利益収得違反。…那智は気付いてるだろうが、バックについている相手によっては、薬物取締法違反以外に暴対法違反にも触れている事になる。掟に背き、裏高楼街に警察介入の隙を与えるような派閥は必要ない。一気に叩くぞ」
鋭い口調で言い放った神の言葉に酔いしれる思いで、那智はその双眸を静かに閉じた。
「それじゃあ早速、虎の捜索に出かけるとしますか、スケさんや」
「そうしますかね、カクさんや」
幹部会を終えたあと、そんな事を云い合いながら、宗司と高志は二人仲良くTrinityを出て行った。
ちなみに今回の役どころは、スケさんが高志で、カクさんが宗司らしい。似た者コンビだ。
…こっちの二人は、兄弟は兄弟でも双子だな。
内心で那智がそんな事をふざけたことを考えているとは露知らず、直哉は二人が姿を消したドアを見つめて意味不明だとばかりに口を開いた。
「…虎の捜索?」
本気で不思議がっているその様子に、那智はヒントを与えた。
「ちなみに、Vercheは狐だ」
「…狐?………、…あぁ!なるほど!」
虎 の威を借りる狐 。
カクさん…もとい、宗司の言った虎の意味がわかったらしい。直哉が楽しそうに笑いだす。
「直哉さん、俺達も狐の足跡を探しに行きましょう」
「了解」
抑揚のない声で京平が直哉を促す。
本来ならNo持ちである京平が直哉に対して敬語を使う必要はないのだが、直哉の方が1つ年上という事もあって気を使っているのか、「タメ口でいいよ」と言っても敬語での対応をやめない。
最初はNo持ちの京平に敬語を使われる事に恐縮していた直哉も、最近では諦めたようで大人しく受け入れているようだ。
いまだ笑いの名残を消せない直哉は、それでも神から与えられた任務を全うすべく、軽いフットワークで歩きだした。
「行ってきます、那智さん」
フワリとした優しい仕草で那智を抱きしめてきた京平。その背を軽く叩いて送り出した那智は、自分も書面を作成するべく奥の部屋へ足を戻した。
部屋に戻った那智は、携帯で誰かと連絡を取っている神の正面のソファに腰を下ろした。
実は、先程の幹部会では口にしなかった気にかかる事が一つだけある。それを神と話し合ってからでなければ、Verche排除の通達状を作成する事はできない。
それは何かというと、
『このままいけば、確実にMoonlessとぶつかる』
という事。
もしそうなれば、自分達だけではなく、裏高楼街全てを巻き込むものとなるだろう。
この世界に身を置いている以上、抗争を憂いる気持ちはない。それも、全くもって無いと言っていい。
もちろん無意味な抗争は避けるべきだ。無駄な疲弊に良きことは一つもないのだから。
ただ、今回は違う。裏高楼街にとって毒となる叩き潰すべき敵がいる。これで血が騒がずにいられようか。
緊迫感と抗争を失くした裏高楼街など、魅せられる要素が一つも見当たらなくなる。
だからといって、派閥の存続を念頭に置いて行動するならば、慎重に行かなければならない。好き勝手に暴れていては、未来にあるのは裏高楼街の破滅だ。
暫く経ったあと、通話を終えたらしい神は携帯をテーブルの上に置き、灰皿に乗せていた吸いかけの煙草を口端に咥えて那智に視線を向けてきた。
「…言いたい事はわかってる」
チラリと流すような視線の後にそう呟いた神は目を伏せ、顔を横に背けて紫煙をフッと吐き出すと、まだじゅうぶん長さのあるそれを灰皿に捻じ込んだ。
「わかってるのに言わないって事は、それを承知の上での行動だと理解するけど」
「あぁ、そうだ。たまには刺激を与えないと緩むからな、ちょうどいい機会だ。…それと…」
「…何?」
「お前の駒、闇の内部に潜り込ませてるだろ」
「………」
何気ない口調で言い放った神の言葉に、那智は目を見張った。
まさか知られているとは思わなかった。それは誰にも言った事はないし、駒である本人にも、那智から連絡を取るまでは絶対に何もするな、Moonlessの構成員として徹底しろと言ってある。
これにはさすがに参った。向こうにも気づかれていないというのに…。
さすがは神、としか言いようがない。
那智にしては珍しく本気で肩を落とし、深い溜息を吐き出す。
「神には、俺のプライベートまで全て筒抜けっぽくて怖いよ」
那智の軽口に、神はフッと目元を綻ばせた。
「俺に秘密が通用すると思うなよ、那智。お前は俺のものだ、それを忘れるな」
「わかってますよ、我が主殿」
表情を緩め冗談めかして返した那智は、神が何故いま駒の事を口にしたのか理解していた。
Moonlessとの抗争が始まる。その駒を使う時が来た、準備をしておけ。
そういう事だろう。
本気でMoonlessとやりあう…と、神がそれで構わないと言うならば、那智に異論はない。
今のBlue Roseならば、Moonlessに対する勝算も少なからずある。6:4の割合でBlue Roseが有利だろう。
那智は早速パソコンを手元に引き寄せ、組んだ足の上に乗せた。
裏高楼街に存在している全ての派閥に通達する【Verche追放状】の作成。
派閥各位へ、表題は【追放状】
那智は、その顔から全ての感情を消し去り、まるで氷の如く冷やかな…、そう…、『ゼロの至宝』と呼ばれるに相応しい厳格な空気を纏って、止まることなくキーボード上の手を動かしはじめた。
「和真。BLUEMOONに、四神 を集めてくれ」
Trinityを出てすぐ、京平と直哉は、和真を伴ってBlue Roseの一般メンバーが集まるバー『BLUEMOON』へ足を進めていた。
その途中で、時間が惜しいとばかりに京平が和真に指示を出す。
「了解です!」
相変わらずテンションの高い和真は、京平の指示を受けてすぐさま一人だけ雑踏の中へ走り出していった。
それを見送った直哉は「確かに、彼らを使った方が早く動きが掴めるね」と納得したように呟く。
『四神』とは、幹部ではないが、幹部候補という立場にいる四名を示している。
基本的に、No持ちの幹部はもちろんの事、No持ちではない高志と直哉も、下の人間と直接関わる事は少ない。その代わりに、指示を受け、実質上、下の人間をまとめているのがその四名だ。
今は、幹部候補筆頭の和真が、幹部から四神への伝達を一手に引き受けてくれている。
「直哉さん、俺達は先にBLUEMOONに向かいましょう」
「うん」
地下鉄の駅に向かっている京平の半歩後を追うようなかたちで、直哉も足を速めた。
【Blue Rose内部組織図】
神―那智―宗司―京平(No持ち幹部4名)
その下に、高志、直哉(幹部2名)
ここまでがBlue Rose事実上のトップ集団。
そしてその次にくるのが、
和真(幹部候補筆頭)
その和真とほぼ同等の権力を有するのが、Blue Roseが治める高楼街東区の各区域責任者。通称、四神 と呼ばれている四名。
東区内を四つに分け、東区域を青 、南区域を朱里 、西区域を白斗 、北区域を須黒 と呼ばれる人物達が治めている。
そしてその下に、多少の上下関係はあるものの、一般派閥員が多数。
先程、京平が和真を使って呼び出しをかけたのが、その区域責任者である四神だ。
「…こうやって図にして改めて見ると、京平君って凄いよね」
BLUEMOONに着いた京平と直哉は、四神が到着するまでの間、ソファに座って寛いでいた。
自分の隣で直哉が何やら紙に書き出していたのは気付いていたけれど、まさかBlue Roseの組織図なんかを作っているとは思わなかった京平は、直哉が差しだしてきたその紙を見て数度目を瞬かせる。
「凄いって、何がですか?」
「高一でこのBlue RoseのNo持ちだよ?凄すぎだよ」
「…そう…ですか…」
感心したように呟いて手元の紙をマジマジと見つめている直哉を見た京平は、やはり何がそんなに凄いのかわからず曖昧に頷くだけ。
本当に凄いのは、神と那智の二人だ。彼らだけはもう別格としか思えない。
いくら自分がNo持ちだとしても、あの二人とはそもそもの格が違う。隣に並び立ちたくても並べない。
追いつけない実力の差に歯噛みしたい思いを抱えたまま、それを顔に表すことなく黙り込んだ京平は、その後四神が到着するまで口を開く事はなかった。
一方、神からVercheのバックについた組を探せと指示を出されたスケさんとカクさん…、もとい、高志と宗司は、東区と北区の境目にある運動公園まで来ていた。
既に日付を越えそうな時間帯。
外灯はあるものの、木々の作りだす影の存在が大きく、辺りは暗闇に包まれている。
こんな時間にこんな場所へ来る人間はそういないだろう。
公園の中央にある噴水まで来て立ち止まった二人は、多少の警戒を込めて周囲を見渡した。
「今のところ、人の気配は無い、な…」
「あぁ、今のところは、な…」
宗司の言葉に、意味深に呟く高志。
噂によると、深夜過ぎにVercheのメンバーがここに集まっているらしい。
筆頭を中心に…という形態ではなく、頭が2人いるという2トップ形態をもつVercheのうち、ここに集まるのは下のメンバーだけだと聞いたが、それでも、彼らの行動から何らかの足がつけば、そこから上が釣れる可能性がある。
「とりあえず俺達は闇に身を潜めて待つか、ベラ」
「そうだな、ベム」
木々の影となる部分へ歩き出した宗司と高志。会話の内容はともあれ、その顔は真剣そのもの。
それから噂通りにVercheのメンバーが姿を現したのは、宗司達が影に身を潜めてから悠に2時間は経過した後だった。
既に待つ事に飽きた二人の殺気立った眼差しに、その姿には気付かないまでも、数人のVercheメンバーは嫌な悪寒を感じたという。
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