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インテリヤクザと甘い代償
違和感だ。
激しい違和感で、大輔は覚醒した。
身体中に痛みがあるのは、階段を転げ落ちたせいだ。
組織犯罪対策部に配属されて三年。
身体には生傷が絶えない。チンピラ同士の大小様々な諍いの仲介をしたり、そのための技術と体力をつける柔道稽古をするからだ。でも、他の刑事たちは大輔ほど頻繁にはケガをしない。つまり、大輔だけが無鉄砲なのだ。
本人は自覚していたが、自重する気はさらさらない。まるで暴力団の鉄砲玉みたいだと言われても平気だ。若いチンピラたちの同世代として、彼らに近い感性を期待されての部署替えだったから。
なのに、どうして、こんなことになっているのか、理解に苦しむ。
相手は、情報交換をしている大滝組の構成員。
イマドキのインテリヤクザで、目鼻立ちの整った顔を武器にして、OLや主婦相手に株式や外貨投資の小さな詐欺を繰り返している。
顔に当たる柔らかな枕に指をすがらせて、大輔はうなり声をあげた。
腰が痛い。変な体勢で寝ている。
うつ伏せで、腰を上げて。
器用だと自分を笑ったが、違うと思った。
違和感は腰だけじゃなかった。
のろりと顔をあげる。身体が泥のように重い。
視線の先に、鏡があった。細長い姿見だ。ベッドが、映っている。
その上に、腰を上げてうつ伏せている自分。
「はぁ?」
思わず声が出た。
大輔の腰に手を当て、下腹部をぴったりと押しつけている相手が鏡の中でにやりと笑う。くちびるには煙草が挟まっている。
「てっ、め……。灰が落ちるだろうが!」
突っ込むべきところはそこじゃない。
正しくは、なぜ、おまえが俺に突っ込んでいるんだ、というところだが、激しく、気が動転していた。
上半身裸になり、スラックスの前をくつろげた田辺は、くわえ煙草のシニカルな笑みのまま、腰をわずかに前へ進めた。
「……!」
大輔は息を呑んだ。
信じられない。
自分が、男に、ナニを突っ込まれている。
とんでもない質量が、入るわけない場所の粘膜を押し広げる圧迫感。身体全体が硬直した。
「痛いって、三宅さん」
煙草を挟んだ手が、大輔の腰を叩いた。
「じゃあ、抜けよ!」
初めての体験だ。田辺のモノを押し込まれ、切れてしまわないかと心配で身じろぎさえ恐ろしい。枕を掴んだ手に力を入れて平常心を取り繕った。
「あんたがくわえ込んでんだよ」
いやらしく笑われて、大輔の頭に血がのぼる。
「ふっざけんな! おまえが突っ込んでんだろ! ってか、強姦だろ、おまえ!」
「いやいや、準強姦でしょ」
のんきに答える田辺が、背骨を撫で下ろして腰をさする。
「どーでもいい! 灰が落ちる! 灰が!」
「どーいう神経してんだかねぇ」
そっちこそ、と叫び返さなかったのは、田辺が繋がったまま手を伸ばしたからだ。
ぐっと結合が深くなり、ただでさえ限界に感じている場所を質量が責めてくる。めりめりと割られるような気がして、大輔は息を詰めた。
「うっ」
かすかな痛みが走ったが、目を閉じてこらえる。
田辺は枕元の棚に置かれたアルミの灰皿を引き寄せて、身体を起こした。ここがどこなのか、大輔は思い出そうとした。会っていたのは、古いビルに囲まれた、これもまた同等に古いビルの外付け非常階段だ。
その雑居ビルの一室なのだろう。造りのそっけなさは事務所だが、味気ないベッドと鏡、それからサイドテーブルは、ビジネスには無関係に見える。かといって、住居として使われている気配もない。
灰を落とす田辺の腕が鏡の中に見える。まだ煙草を消す気はないらしい。
再び、くちびるに挟むと、空いた両手でおもむろに大輔の尻の肉を掴んだ。
無遠慮に開かれ、大輔は身体を真っ赤にして震えた。羞恥よりも、モノのように扱われた怒りが勝る。
「遠慮しろ! ちょっとは遠慮しろよ!」
目の前の木製のサイドテーブルをバンバン叩いて叫ぶ。そうでもしていないと、気がおかしくなりそうだった。現状に、理解が追いつかない。思考回路は上滑りして、考えようと思うたびに、考えたくないと逃げていく。
当たり前だ。田辺の手が、あらぬところをなぞっている。限界まで広がっているはずの、大輔の『秘部』だ。風俗の女の子に舐められたことはあっても、指さえ入れられたことのない場所を、よりにもよって、取り締まり対象である暴力団構成員のイチモツで塞がれている。
というより、もう、無理やりに、ねじ込まれている感じだ。
「ちゃんとオイルは塗ったから。ほらほら。大丈夫だよ」
情報を売るときと同じ気安さで、田辺は酒でも勧めるように笑った。
派閥には属さず、大滝組の資金源の一端を担う田辺は、組でも一目置かれる存在だ。それは根無し草を警戒する意味もある。
発言権は持たないが、田辺の動き次第で資金が大きく変動し、それに組の動きが左右されるのだ。
「大丈夫なこと、あるか! ムリだろ、ギチギチじゃねぇか。抜けよ! 抜けってば!」
プロレスマットの上でロープを求めるように、大輔は薄く筋肉のついた腕を伸ばした。引き剥がされたシャツの袖が虚しく絡んでいる。
そもそもおかしかったのだ。
問題を起こした田辺の舎弟分を、お目こぼしで助けてやったのがきっかけだったが、それにしても、情報源として金で繋いでおくには大輔が出してきた金額も低すぎた。
気づかなかったのは、経験不足のせいだ。
組織犯罪対策部の生活は過酷で、嫁は顔つきまで変わったと怯えた。それぐらい、必死に走ってきた。
先輩たちからも、弱みを見せれば食いついてくる相手だと、散々に脅されたから、ヤクザ相手に虚勢を張るにも度胸と根性が必要だった。息をつけば、足元をすくわれかねない。
逃げようとする大輔の腰を、田辺が両手で掴む。
「おもしろいよなぁ、あんた」
田辺はくちびるの端を曲げて微笑んだ。
やわらかなウェーブパーマのかかった髪がさらりと額にかかる。若いOLから熟年の主婦まで、そつなく手玉に取る二枚目だ。まるで王子様のようにキラキラした男前は、眼鏡の下の爽やかな笑顔に本性を隠している。今は隠そうともしていない、悪徳の色気だ。
「おもしろくない」
大輔はとげとげしく答えた。
「もっと、ノリがいいと思ったけど」
そんなノリの良さは持ち合わせていない。
どこの世界に、目が覚めたら男にハメられていて、ノリノリになれる男がいるだろうか。ゲイだって、もっと慎ましいだろう。
「性感マッサージの経験もないんだ?」
「ないよ! 悪かったな!」
と、答えたのは嘘だ。
「さっきは指でも勃ったけどね」
さらりと言われて、大輔はギャーと声をあげた。自分の知らない間に、男にケツをいじくられたなんて、腹立たしいうえにおぞましくもある。
「おまえは、ナニをするんだ。変態か! ずっと俺のケツを狙ってたんだな!」
「それはないんだけど。階段から転がり落ちて、のんきにぶっ倒れてる、マル暴のお兄さんがおもしろすぎて」
思い出したのか、くくっと笑い声をこぼす。
「悪い悪い。かわいすぎてさ」
「おもしろい方がまし!」
怒鳴り返しながら、どうにか逃げようとするが、がっちりと結合した部分の感覚は生々しくて、まさに抜き差しならない状態だ。身動きが取れない。
「ホントに、もう、抜けよ」
弱々しく訴えてみたが、田辺は答えない。その代わり、短くなった煙草を灰皿に押しつけて消した。
「愉しむってこと、覚えないと。この世の中、渡っていけないよ?」
言いながら、背中に覆いかぶさってくる。棚に灰皿を戻し、めいっぱい伸ばした大輔の手首を掴んだ。
一度はしっかりと握ってきた指が、するりとほどけて、肘へと肌をなぞる。ぞわぞわっと、怖気が走った。こらえようとしても、身体が震える。
「痛い……、痛いから……」
本当は痛くない。でも、痛めつけられそうで、心が萎える。抵抗もできないまな板の上の魚だ。もう包丁はぐっさりと突き刺さっている。
「こわくないから。任せて」
二の腕を撫で上げ、胸に手を回した田辺が、気味の悪いほど優しい声でささやいた。
大輔は目眩を覚えて目を閉じる。見透かされていると感じた。
痛みはある。かすかに。でも、それは田辺の言う通り、未知の感覚が呼び起こす恐怖心だ。抱いたことはあっても抱かれたことはない。他人に組み敷かれる不安や無力さを考えたことはなかった。
女を抱くとき、何を考えていただろうか。興奮に追い立てられ、濡れるようにと必死で手順を踏み、その瞬間には意気揚々と差し入れた。
相手のあげる声の、本当の意味なんて気にしたことはなかった。
田辺が腰を退いた。
瞬間、大輔は喉に息を詰まらせる。無抵抗な女を抱くときの感覚が淡く遠のいて、とても無残なことを強いてきたのだと、後悔が罪悪感にすり替わっていく。
オイルを塗ったと田辺が言ったのは、でたらめじゃなかったらしい。大輔の中で、ずるりと質量が動く。
めいっぱいに広げられた内壁をこすられ、違和感はまたたく間に絶望的な恐怖になる。わなわなと震える奥歯を噛みしめ、喚きたくなるのをなんとかやり過ごす。
繋がった場所だけがやたらに熱くなり、それを意識すればするほど、大輔の肌は汗ばんでいく。田辺は腰をゆらゆらと動かした。激しい動きでなくても、大輔には耐えがたく、こらえきれない呻きが喉から漏れた。
隠そうとすると、反対に大きな吐息になる。大輔は、顔を伏せていた枕を、力任せに叩いた。乾いた音が耳元でかすかにしただけだ。
「ほらほら、こわくないだろ?」
さも楽しそうに笑っている田辺が、ゆさゆさと揺れた。いつ、動きが大きくなるかと思うと不安でたまらず、大輔は内心で慌てふためいた。
「三宅さんの腰がついてきてる」
「……ッ」
怒る言葉も見つからない。
引いた後、押し込まれたくなくて、大輔の腰は確かに田辺の動きに従ってしまう。
「それじゃ、気持ちよくならないから」
耳元に息がかかる。濡れた舌に耳の裏を舐められて、大輔は枕に顔を押しつけた。息があがり、身体はガクガクと震える。
ヤクザ相手に弱みを見せてはいけないと強がっても、心を保てば保つほど、身体の制御まで理性が行き届かない。
「抜き差しするのが、気持ちいいんだから」
アナルセックスの悦さもよく知っていると言いたげな田辺の声は、女を懐柔するように甘く響いた。
気持ちよくなんて、なるわけがない。
心の中で抵抗した大輔は、枕の角を強く握りしめる。
腰の裏を撫でながら押さえつけた田辺の手は大きく、長い指が両方の腰骨をぐっと力強く引き寄せた。そして田辺は、ずるりと動く。
「……はっ、……く……」
大輔は、こらえた。
吐息と、怯えて漏れる小さな声を。
なのに、田辺は聞き逃さず味わうように、ゆっくりと腰を進めた。
ずくっと、硬い棒に掻き分けられ、大輔は挿入の衝撃に驚いてしまう。両手で枕を抱きしめた。時間が過ぎるほどに、心と身体が現実に慣れていく。
それが心を守るための人間の本能だ。
「き、気持ちよくなんて……、なるっ、か……!」
強がることができたのは、奇跡だ。
田辺がゆるく動くたびに、二人の間に潤滑油が回っていく。硬く太いモノの出入りはますますスムーズになる。
「ばっかだねぇ、三宅さん」
艶っぽい声が熱を帯びる。
大輔を組み伏せて這いつくばらせ、高く上げさせた腰を嬉々としてなぶる男は、やわらかな臀部の筋肉をもてあそぶように揉みしだいた。
「あんたじゃなくて、俺だよ。気持ちよくなるのは、俺の方だ。あんたの処女穴を使って、オナニーするんだよ……」
嘲笑が聞こえた気がした。
大輔の肌は怒りでいっそう赤くなり、そしてぶるぶると震え出す。
「あぁ……、いいな。いい締まり具合だ。硬い入り口のわりに、中はトロトロになってる。案外、いやらしいんだな」
まるで道具でも試すような軽い口調だ。
「殺す……。オマエ、絶対に、殺してやるからな!」
大輔は、最後の強がりを口にした。
だんだんストロークが強くなる田辺の腰の動きに内臓を掻き回され、息があがって、声がこらえられなくなる。
「ホント、刑事(デカ)って馬鹿ばっかりだね」
田辺の言葉もそれが最後だった。
ベッドが喘ぐように軋みを響かせ、大輔は鏡を二度と見なかった。
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