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第1話 出会い

 惚れっぽいのは自覚している。特に、綺麗系の顔には弱い。これは小さい頃からなので、三つ子の魂百まで、の言葉通り、直しようがない。 「うわっ、今の人、超美人~!!」  ミツキの声に、いつものように好みのバーテンを眺めていた俺は、緩慢に首を動かす。だが、しかし、フロアにそんな人物は見当たらなかった。諦めて視線を戻す。カラン、とグラスの中で氷が溶ける音がした。 「ね、今の人、見た?」  ミツキがバサバサと長い睫毛を揺らしながら問い掛けて来る。俺は素直に首を横に振った。 「お前より美人?」  問い掛けに問い掛けで応えると、ぷう、とミツキは頬を膨らました。すげえな、美人って何やっても美人なの、ホント、羨ましい。 「僕は確かに可愛いけどね! 相変わらず、トウマは無駄に天然雰囲気イケメンなんだから! ちゃんと聞いてた!? 美人、って言ったの、僕は!!」  天然雰囲気イケメンって褒め言葉かよ、でも、ありがとうございます。心の中で呟いて、俺はまたバーテン観賞に勤しんだ。ああ、今日もウィスキーの水割りが美味い。隣で呆れたように「もう!」と憤慨し続けるミツキは、無視した。  トウマ、と言うのは俺の偽名だ。多分、ミツキ、もそうなんだろう。ミツキだけじゃなく、ココに居るほとんどの奴等が。東上学(とうじょうまなぶ)、が俺の本名だ。単純に苗字と名前の頭を取った簡単な偽名にしたのは、本当は本名を呼ばれたいからかもしれない。なんて、単に面倒だったからだが。何はともあれ、このご時世、油断は禁物だ。お互い、後ろ暗い思いで来ているのは事実だが、何が何処からバレるか分からない世の中だ。堅実に行かなくては。  ユートピア。ココは、俺達のような出会いを求める男達が集まるバーだ。バーは、完全女人禁制になっている。何と言ってもココは、ゲイの集まりの場所だから。黒服は当然、バーテンも全て男。噂によるとオーナーも男らしい。俺達ゲイに取っては、本当にありがたいバーだ。  出会いの場、と言っても、俺はココで特に相手を探す事は無かった。ココに来るのは、綺麗な男達を観賞するのが目的だ。一番の好みの男がバーテンって事もあるけど、どっちかと言うと、リスクが怖くて、だ。バーで出会って直ぐにヤっちゃう奴等も居る事には居るが、そんな相手は、病気が怖い。そもそも、俺はネコの癖に処女だ。先ず、セックスが怖い。  ミツキも、口では色々言っているが、その口なのだろう。出会いよりも独りの夜の淋しさを紛らわしたい気持ちの方が強いのだ、と初めて会った夜に聞いてもいないのに教えられた。本当は、多分、病気を一番、警戒している。後、女よりも可愛い顔している癖にバリバリのタチだから、好みのネコが居ないって言うのもあるのかもしれない。自分より可愛い子が好き、なんて、お前より可愛い子、俺、マジで見た事ねえし。 「本当に、美人だったんだよ! 間違い無く、トウマ好みだと思う」 「タカシさんよりも?」  好みのバーテンの名はタカシだ。まあ、これも本名かどうかは分からないが。こくん、と愛らしく首を上下に振ってから、ミツキはにんまりと笑った。 「うん。アレでネコちゃんなら、僕がお持ち帰りしたいくらい」 「え、マジで!?」  ミツキの言葉に、思わず身体を捻ってフロアをもう一度眺める。それ程までに衝撃的な言葉だった。ミツキの好みは俺よりも厳しいのだ。だが、今日も変わらず、フロアは男だらけのむさっ苦しい空間だった。困った事に、ゲイにはマッチョが多い。俺の好みとは対極にあった。俺は、マッチョはマッチョでも細マッチョが好きなのだ。どちらかと言うと、痩せ型の方がより好みだ。 「何処に居んだよ。いつも通りのむささじゃねえか」  俺が席に座り直すと、ミツキが、何を思ったのかずいっと顔を近付けて来る。まじまじと見つめられて、息が止まるかと思った。顔小せえ、睫毛長え、唇真っ赤だし、肌なんてキメの細かさどうなってんの!? 「トウマがもうちょっと可愛かったら、僕が相手してあげるんだけどなあ」  飽きたようにぱっと離れると、ミツキはそんな事を言った。俺は、はは、と乾いた笑いを零すしかなくなる。いや、俺も、ミツキは果てしなくあり寄りの無しだけどよ。正直、ミツキとは、そう言う関係になりたくなかった。大事なゲイ友とでも言おうか。俺がこのバーに通い始めてからの付き合いだから、もう、三年程、この付かず離れずの距離を続けている相手だ。  俺は、何と言うか、ミツキに言わせると、雰囲気イケメン、らしい。自分では、可も無く不可も無くと思っている。確実に、可愛くは無い。もちろん、美人でも無い。ミツキは別にして、格好良いと言われた事も無い。体格も、ひょろくは無いが、ゲイが好むマッチョでも無い。社会に紛れれば、本当に、何処にでも居る、市民Aだ。ゲイだけど。  自分がゲイだと自覚したのは、俺の場合、まだ幼い頃だった。ゲイなんて言葉も知らない頃、八つのガキの頃だった。近所の綺麗で優しいお兄さんに、恋をした。初恋だった。今思えば、毎日毎日付きまとって、迷惑なガキだっただろう。それでも、お兄さんは、優しかった。案外、子供好きだったのかもしれない。将来は、お兄さんと結婚するんだ、と思っていた。ある日、お兄さんが、知らないおっさんと抱き合っているのを目撃して(残念ながら身体を寄せ合うとか言う可愛い物じゃなく、小学生にはキツい、本気の本番のアナルセックスだった。余りにもグロくて吐いた)、俺の初恋は、終わった。後から聞いた話では、お兄さんはヤクザ者の情夫だったらしい。それ以降、トラウマもあって、恋はしても、セックスはして来なかった。はっきり言おう、俺は、怖がりなのだ。 「今日も仲良く二人で午前様する?」  ミツキが身体を寄せて来る。ミツキのまとう甘い香りが鼻をくすぐる。本当に無駄に良い匂いがする男だ。 「いや、しねえし。俺は日付またぐ前には家に帰る」 「相変わらず、冒険心が無いね~、トウマは。まあ、別に、良いんだけどね」  つっけんどんな俺の言葉にもめげずに、ミツキは俺が頼んだピスタチオを横から掠め取った。ああ、最後の一個だったのに! 「ここ、良いかな?」  無言の睨み合い(正確には俺がミツキを睨んだだけだが)を割って、柔らかい、何とも言えない甘い声が響いた。どきん、と胸が跳ねる。俺は小心者で、初対面の人間は最大限に警戒してしまうのだ。 「他、空いてますけど……」  振り返らずに素気無く返す。事実、カウンター席は俺達の席以外、空いていた。ミツキが、まあまあ、と俺を宥めながら俺越しに相手を見て、目を見開くのが分かった。そして、ガタガタ、と音を立てて立ち上がる。 「あっ、えっ、あっ! 空いてます空いてます!!」 「ミツキ!」  俺が咎めると、ミツキはぐいっと俺の肩を押した。すげえ、痛いんですけど。こう言う所が、ミツキもちゃんと男なのだなと感じさせる部分だ。 「空いてるんだから、良いじゃん! あ、良かったら、こっちにどうぞ!」  自分の隣の席を指し示す親切っぷりに俺が訝しんで顔を上げると、ミツキは、頬を赤らめていた。何だかんだ言いつつ他人に興味の薄い、そして、容姿の採点が厳しいミツキが、ここまでなる相手が気になった。俺も、相手を確認する為に、振り返る。  俺の理想が服を着ていた。  頭が湧いてんじゃないかと思われるが、本気で、そう思った。綺麗な、本当に、綺麗な男だった。顔だけじゃない。何と言うか、雰囲気が、綺麗な男だった。程好く整えられた眉毛の下の黒々とした目は奥二重で、鼻筋は通っているが高過ぎはしない、唇はほんのり厚く嫌味じゃないくらい赤かった。ふんわりと整えられた髪型はツーブロックで、今風なのに、軽薄さは無い。全体的に見ても、如何にも日本人らしい顔なのに、何故かエキゾチックな雰囲気を持ち合わせていた。仕立てた物だかブランド物だか俺には分からないが、チーフが覗くスーツのジャケットがしっくりと来る体型をしていた。腕から覗く時計も、何処かほっそりと感じさせる腕を際立たせるアクセントになっていた。本当に、完璧な美が、そこには有った。 「君は、良いかな?」  首を傾げて問われても、俺は何も答えられなかった。それ程までに、目の前の男に見入っていた。目は確実にハートマークだっただろう。俺は、一瞬で、男に囚われていたのだ。 「トウマ! もちろん、良いよね? あ、座って座って!!」  ミツキに軽く肘打ちをされて言われても、ぼーっと見入る事しか出来なかった。いつの間にか、隣に腰掛けた男のほんの少しスパイシーな香りに、更に頭がぼーっとしてしまう。 「トウマ君、って言うんだ。俺は……ケイ。トウマ君、って呼んでも良いかな?」  ケイ、と名乗った男は、初めに感じた通り、何とも言えない甘い声をしていた。頭の中を声が侵して行く。と、不意に、痛みが臀部に走って、俺は飛び上がった。 「ってえっ! ミツキ何しやがる!」 「ぼーっとしてないで!」  犯人だろうミツキを振り返ると、確実に笑っているのに鬼の形相を思わせるミツキが居て、俺は途端に肝が冷えるのが分かった。ヤバい、本気でヤバい。今の俺、絶対おかしい。ちらっと後ろを振り返ると、そこには、やっぱり、俺の理想の男が居て。酔っていない筈なのに、ぼわん、と頭が揺さぶられる感覚がした。再び臀部に痛みが走る。 「ぃって、ミツキ!」 「僕の事は良いから! とりあえず、何か返事して!」  いや、良くねえし。マジでいてえし。けれども、怖い顔で促されて、俺はケイに向き直ると、小さく頷いてみせた。自然、視界が腰回りに行って、少し落ち着く。それにしても、この店の高いスツールからはみ出すなんて長い脚だな、と思った。 「良かった。俺の事は、ケイと呼んで」 「は、はい……」  どうかしていると思われるだろうが、俺は、この脚に、自分の脚を絡めたいと思っていた。それから、めちゃくちゃにされたい、とも。一度も男を受け入れた事が無いと言うのに、アヌスがきゅっと窄んで、切なく何かを求めている気すらした。 「何を、飲んでいるの?」  もう一度、問われて、喉がからからなのに気付く。グラスを唇に当て中身を含んで飲み下してから、口を開く。アルコールが喉を焼いた。実は、俺はそんなに酒に強くないのだ。 「ウィスキーの水割り」 「ふうん。ああ、彼と同じ物を、ダブルで」 「かしこまりました」  スマートに注文する姿もキマっていて。いつも目を奪われるバーテンのタカシも気にならない程、俺はこの隣の男に、ケイに、全神経を持って行かれていた。一挙手一投足が気になって、でも、怖くて見られない。こんな感覚は、初めてだった。 「じゃ、僕は、行くよ。頑張って! あ、僕、知り合いがあっちに居るんで、失礼しますね~」  ぽん、と膝を叩かれて、そんな事を耳打ちされ、俺は慌てふためいた。さっと立ち上がりあっと言う間も無くフロアに紛れてしまったミツキに、追い縋ろうとした手は空を切る。マジで、待って欲しい。俺は、多分、今、人生最大の危機に陥っているってのに。 「友達、気が利くね。実は、二人になりたいって思っていたんだ」 「そ、そう、ですか……」  ケイの匂いが近付いて来て、鼻からも脳を侵される心地がする。スパイシーでありながらスイートで何処かエキゾチックな香りだった。とん、と腕が触れる。それだけなのに、たった、それだけの接触だって言うのに、俺の身体は、俺の言う事を全く聞かず、勝手に熱くなった。どうして良いか分からなくて、手に持っていたグラスを勢いよく煽る。頭が上下に揺れた事もあって、くらくら、とした。 「行ける口かな? もう一杯、飲む? 奢るよ」 「い、頂きます……」  どうして良いか、訳が分からなくて、ただ事務的に応える。目の前に出されたグラスを手に取ろうとしたら、そっと、手に触れられた。白い、長い、綺麗な手だった。  俺のこの日の記憶は、そこまでしか、無い。

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