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第2話 ペントハウスからの逃亡

「マジ、かよ……」  がんがんと痛む頭を押さえて、俺は小さく呻いた。自分の声すら煩わしい。仄かに差し込む朝日すら恨めしくて、光を遮るように片手でひさしを作りながら辺りを見回す。まごう事無くベッドルームだった。キングサイズのベッドのシーツは、さらさらで、俺の身体を、直接、柔らかく包んでいた。ゆっくりと視線を巡らして、泣きたくなる。見覚えの無い、白い肩とそれに続く背中が、見えた。 「マジかよ……」  もう一度、同じ言葉を呟いてから、それどころでは無い、と慌てて身体を起こす。がんがんと相も変わらず頭は響いていたが、手と足は何とか俺の言う事を聞いてくれた。幸いにしてと言うべきなのか何なのか、身体は何処も汚れてはいなかったし、跡も無かったし、傷付いてもいなかった。アヌスにも違和感は無い。良かったのか何なのか、こんな時なのに、泣きたくなった。急いで服を身にまとい終えると、そろそろとキングサイズのベッドから離れる。静かに静かに、最大限の注意を払って部屋を後にすると、そこは、困った事に、広いマンションだった。いや、正確には、億ションと呼ばれる所だった。だだっ広いリビングダイニングの向こうは恐らく一面ガラス窓で、俺が出て来た反対側一面には幾つも幾つもドアが有った。ブラインドから微かに覗く大都会の景色に、意識が遠のき掛ける。 「何なんだよ……」  半べそをかきながら、俺は必死こいて広い部屋を渡り、玄関へと急いだ。やっと見つけたこれまた広い玄関には、俺の安物のスニーカーと高級そうな革靴があるのみだった。俺からすれば無駄に置いてあるデカい花瓶には、花が無造作に活けられていた。良し悪しなんて全然分からないが、余りにもここでは、自分が場違いだと言うのは分かった。異質さを際立たせるスニーカーを足に引っ掛けて、玄関をまろび出る。頭の痛みは最高潮だって言うのに、見渡しても一つしかない玄関を見て、もっと泣きそうになった。 「ペントハウス……って初めて見た……」  そんな超高級億ションのエレベーターをぶっ叩くと言う暴挙に出ながら、俺は、必死に身体を抱き締めていた。そうしないと、震えが止まらなかったからだ。ぽーん、と静かな、でも聞き慣れた音がして、エレベーターが最上階に止まる。こんな高級住宅でも、使われているのは同じエレベーターなのかと思うと、少し気が緩んだ。乗り込んでもう一度ボタンをぶっ叩くと、「待って!」とあの何処か甘い声が聞こえ、白い指先が見えた。一気に肝が冷える。閉じるボタンを連打して、俺は全部をシャットアウトした。幸い、ドラマのような展開にはならずに、エレベーターのドアは静かに閉まって、俺を地上の現実へと、スムーズに連れて行ってくれた。  外に出ると、当然ながら、全く知らない町並みで、本気で泣きたくなったが、俺は、幸いにしてズボンの右後ろポケットに入っていたスマホを取り出し、地図アプリを開くと、自宅までを検索したのだった。ちなみに、左後ろポケットにはちゃんと財布が入っていた。 「もう、しばらく酒は飲まない!」  痛む頭でそう自分自身に誓ったのは、仕方の無い事だった。

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