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第3話 冷たいシャワー

 ぶーぶーぶーぶー、と着信のバイブレーションが響いて、びくり、と身体が震える。恐る恐る画面を覗き込んで、俺はほっとして、そして、ほんの少しの、侘しさを感じつつ、ばしっと目の前の小さなテーブルを叩いた。 「って、親父かよ! びっくりさせるなよ!」  言いながら、発話ボタンを押す。 「もしもし?」 「もしもし、学か? 父さんだが」 「いや、分かってるし。何? どうかした?」  前半は聞こえないように小さい声で突っ込んで、大人しい息子よろしく返事をする。 「お前、今日はどうしているんだ? この間の連休も帰って来なかったが、今度の連休も帰って来ない気か?」  言われた内容に、治まった筈の頭痛がぶり返したような気がした。この親は、本当に何を考えているんだろうか、と思う。いや、何も考えていないのか。 「……あのね、連休ごとに帰る奴なんて居ないって」 「高子は帰って来たぞ」 「ねーちゃんは別だろ。実家大好きだし。俺は普通の一般的な男子なの。連休ぐらいぐーたらさせてくれよ」  言いながら、ぐでーっと寝っ転がってみる。部屋は、いかにも一般的な三十代男子の部屋だった。あの、だだっ広い部屋とは違って。広くも無く狭くも無い。幸い、台所と寝室だけは分かれている。いや、風呂とトイレも別だ。そこは、すごくこだわった。むしろ、そここそこだわってここに納まったのだが。何はともあれ、1Kは、本当に、理想的な部屋だった。普通、を装うには。 「あー、……変な事をしているんじゃないだろうな?」  一瞬の沈黙があって、ごほごほ、と咳き込んだ音が聞こえた後、唸り声が問い質して来る。 「変な事、って?」 「……その、女の子を連れ込むとか、そう言う事だ!」  ひやり、と汗が頬を伝う。むしろ、ついさっきまで男に連れ込まれていました、とも言えず、俺は押し黙るしかなかった。ぶるぶる、とスマホを持っていない手が震えていた。正確に言うと、全身が、だ。歯の根が合わず、必死になってぐいぐい顎を押した。 「だ、大丈夫か!? 何かあったなら、父さんの知り合いの弁護士に頼む事も出来るぞ!?」  俺の沈黙をどう取ったのか、焦ったような父親の声に、逆に、一気に冷静になれた。 「いや、大丈夫! そんな事にはなって無いから!」  言い返して、そうだ、と思う。少なくとも、身体は無事だった。痛みも跡も傷も何も無い。そう、何も、無かった。何も無かったんだ、と改めて思った。その瞬間、ぼろり、と目から何かが落ちた。それに、びっくりして、息を飲む。 「本当か? なら良いんだが。とにかく、母さんも心配しているし、連休で良いからまた帰って来なさい」  父親の声が、これ程安心出来る物なのか、と思った。けれど、これ以上電話を続けるのは危険だな、とも思った。声を最大限抑えて出す。 「……うん、じゃあ、切るから」 「……学?」  訝しげに名前を呼ばれて、ひく、と喉が鳴った。これが、聞こえていない事を祈るのみだな、と思う。俺は必死に声を絞り出した。 「何?」 「……本当に、何も無いんだな?」 「大丈夫。切るね」 「……ああ、またな」  ぴ、といつものように終話ボタンを押して、スマホを放り投げる。ぼろりぼろり、と堰を切ったように後から後から、雫は零れ落ちた。 「うっ、くっ……」  喉がひりついて仕方が無かった。口からは知らず声が漏れていた。急いで起き上がって、風呂場に駆け込む。帰って来て一度はシャワーを浴びていたが、無性にもう一度浴びたかった。ぽいぽいぽい、と服を一気に脱ぐと、熱いシャワーを頭からかぶった。シャワーは本当に熱くて仕方無かったのに、全身が冷えていた。それが、どうしてなのか、俺には判断出来かねていた。ただ、最後に見た、あの白い指先だけが、脳裏にちらついていた。

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