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第5話
客待ちで停車していたタクシーに、若い男が乗り込んできた。「歌舞伎町まで」と呟き、ぐったりとシートに沈む。
「大丈夫ですか?よければ水でも買ってきますが」
以前の橋爪であれば放っておくところだが、今は乗客ひとりひとりのニーズを汲み取ろうと努めるようにしていた。
タクシーは一期一会だ。
誰かさんのように人生最高の日とは言わずとも、乗客には乗る前よりも少しでも幸せな気分になって欲しい。
そんな想いが通じたのか、若い客は「大丈夫、あんがと」と答え、少し微笑んだ。
かと思うとひょいと眉を上げ、驚いたことに「あれ?運転手さん、雰囲気変わったね」と、バックミラーに大きな笑みを向けた。
印象的な美形なのに、全く覚えがない。橋爪は内心首をひねりつつ、「以前ご利用頂いたんですか。気付かなくて……」と言外に詫びた。
だが男は、声を出して笑った。
「いや、そん時俺ゾンビコスしてたから、わかんなくって当然だって」
なんと、あの時乗せたホストのゾンビだったようだ。
東京は広く、人間は呆れるほど多いが、タクシーの中では時々こういう小さな奇跡に遭遇する。
これだから、この仕事は面白い。
その節はチップをどうもと橋爪がペコペコ頭を下げると、男はいいよと明るく手を振った。
「不幸なオーラ全開のでかい運転手さんだったから、超覚えてんだよね。でもなんか前と雰囲気違うじゃん。いきいきしてる感じがする」
嫌々仕事をしていた頃の自分を覚えられているのは気恥ずかしく、橋爪は眉尻を下げた。
「お客さんに祝ってもらったおかげかもしれません。はっぴーはろうぃーん、って」
彼女でもできたのー?とにやにやする男に、そんなんじゃないんですと笑って誤魔化す。
カブのお化けと会ったのだと言っても、信じてもらえないだろう。
デジタル時計の横にぶら下げた二頭身のカブ人間のマスコットが、自己主張するかのように揺れた。
探すのに苦労したレアなマスコットは、毎日定位置で橋爪を見張っている。
ハロウィンからしばらくの間は、もう二度カブに会えないのかと気落ちしていたのが正直なところだ。
だがカブ人間のマスコットを側に置くようにしたところ、どうにもヤツに見張られているような気持ちになってきた橋爪だった。
毎日自宅にまで持ち帰っているのは、誰にも言えない秘密だ。
マッチョ好きな誰かさんに見られていると思うと、だらけた生活はできない。筋トレにも気合いが入るというものだ。
「そういや、運転手さんって何かスポーツしてんの?前会った時も思ったんだけど、更にムキムキになった気がする」
体調不良はどこかに行ってしまったらしい乗客が、素直な感嘆の視線を向けてくれて大層気分がいい。
橋爪は、ハンドルを掴んだままさり気なく腕に力を込めて筋肉を浮き出させた。
至近距離にいるカブのマスコットが、まるで「おぉぉぉ……」と感嘆の声を漏らすかのようにかすかに揺れる。
橋爪はバックミラー越しに若い男と視線を合わせ、自信をもって答えた。
「今も昔も、特にスポーツはしていません。お客様のどんなご要望にも応えられるように体を鍛えるのは、タクシー運転手の嗜みですから」
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