1 / 14

第1話 別れは劇的に

 あ、今日も一人だ。  俺はそう気付いて足を止めた。つやつやの唇を尖らせて、彼は、つまらなそうにカクテルグラスを弄んでいた。本当に、そう言う姿すら絵になる人だな、と改めて思う。 「おい、ナオ、ぼさっとしてるなよ。早く入れって」  荒っぽい声を掛けられて、俺は、はっとして後ろを振り返り、謝りながら道を譲った。ふん、と鼻息荒く、どすどすと音を立ててユウトが先に行く。それを追って、俺も店内に入る。相変わらず、だな、と思う。カウンター席の一番奥に陣取り、ユウトは短くバーテンダーに自分の飲む分だけ注文をしていた。これも、相変わらずだ。まあ、仕方が無い。  ユウトとは、半年前にデートクラブで知り合った仲だ。デートクラブ、と言ってもそう言う名の出会い系サイトだったが。出会うに当たって、俺が条件として挙げたのは可愛い系の子、ネコの子、と言う物で、それにぴったり当てはまったのがユウトだった。ユウトは、確かに可愛い。そして、ちゃんと、ネコだった。この半年で、それは、しっかりと理解出来ていた。  俺はユウトの隣に腰を下ろすと、バーテンダーにギネスを頼んだ。 「またビールかよ」  ユウトはウィスキーのロックを片手に、俺を嘲笑うような声を出す。これも、ここ最近では、いつもの事だった。酒に弱い俺を、完全に下に見ている態度だった。 「ギネス、美味しいよ。ユウトも飲んでみれば?」  俺がそう声を掛けると、ユウトは鼻で笑ってバーテンダーにツマミを注文し始めた。無視されて、俺は、小さく右手を握る。何とか、ようやく、決心が固まった。ずっと、もう一ヶ月前から、今日こそは言わねば、と思っていたのだ。それが、今日だ、と思った。 「……ユウト、話があるんだ」 「何?」  ツマミのナッツを食べながら、ユウトが俺を振り仰ぐ。ああ、やっぱり、可愛い。悔しいぐらいに。ちょっと釣り上がり気味だけどぱっちりとした二重の目が、小さな顔の中で目立つ。小さめの口も、その愛くるしさを損なう事は無かった。高い鼻は小振りで尖っていて、頬なんてピンク色だった。本当に、理想的な可愛さだな、と思った。どうしようもなく、悔しいくらいに。 「言おう言おうと思っていたんだけど……」 「だから、何?」  俺が言い淀んでいると、ユウトは面倒臭そうに被せ気味に聞いて来る。ユウトは、せっかちなのだ。のんびり屋の俺とは違って。ごくり、と唾を飲むと、俺はそろそろと口を開いた。 「……もう、終わりにしよう」  ユウトは俺をまじまじと見つめる。 「………………は?」  思わず漏れた、と言うような口振りだった。しばらくして、ぷるぷる、とグラスを握る手が震えているのが見えて、俺はより一層冷静になれた。 「どう言う、事?」 「終わりに、したいんだ」  聞かれて、俺が珍しくきっぱりとそう言うと、ユウトはやおらカウンター席から立ち上がった。ばしゃ、と音がする。避ける暇も無かった。あっと言う間の出来事過ぎて。辛うじて目をつぶれたのは、不幸中の幸いか。 「なら、こっちから別れてやるよ! この早漏野郎が!」  そう言うと、荒々しくグラスをカウンターに叩き付け、ユウトは靴音も高らかに店を出て行った。ばん、と言う扉が閉まる激しい音が響いて、いつもはそれなりに騒がしい店内が、しーん、と静まり返っているのが分かった。ああ、注目を浴びている。そんな事、俺は微塵も望んでいないのに。俺は、どうして良いか分からずにカウンター席から動けずに居た。どうしよう、どうしよう、と内心焦りが募るが、どうする事も出来ず、焦りを助長するように、ぽたぽた、と頭から雫が垂れるだけだった。 「使って」  不意に、空気が動いた。目の前に、可愛いウサギ柄のハンカチが差し出される。俺は目を上げて、息を飲んだ。彼、だった。俺の、憧れの。 「ああ、これじゃ足りないか……ちょっと待って。ねえ、タカシさん、おしぼり幾つか頂戴」  俺が微動だにしなかったら、ハンカチを引っ込め、彼はバーテンダーに声を掛けていた。店にも迷惑を掛けてしまった、と今更気付いて、慌ててしまう。 「あ、あの、大丈夫です! 直ぐ、帰りますから!」  急いで立ち上がって俺がそう言うと、彼は、き、と俺を睨んだ。ああ、その顔も、びっくりするくらい、可愛い。 「そうも行かないでしょう? 帰り道でそんな姿を晒したいワケ?」 「で、でも……」  確かに、ここからだと電車を乗り継いで帰らなければいけない俺は、それはそれは、すごく注目を浴びる事になるだろう。大人しく世間の片隅で静かに暮らしたいと思っている身としては御免被りたい事だった。だが、店に迷惑を掛けているこの状態が辛くて、ただひたすら、今はこの場を抜け出したかった。もごもごと何かを言おうとすると、目の前におしぼりが差し出される。 「年長者の忠告は聞くもんだよ。リョウ君、モップ持って来てよ〜。気が利かないなあ」  彼が黒服の一人に向かって言うと、今気付いた、と言うように人が、黒服が動き出す。やがて、その動きは店内に広がり、そして、直ぐに、また、いつもの穏やかな、心地の良い騒がしさが戻って来る。 「本当にすみません、すみません」  頭を下げ、口でも謝りながら、俺はアルコールをおしぼりで拭き取る。 「そっちじゃ無いでしょ! 先ずは自分!」  テーブルや椅子を拭いていたら、怒られた。ちら、と見上げると、呆れた顔をした彼は、カウンターに置かれたおしぼりを手に取って、俺の顔をおもむろに拭って来る。意外と、力、強いんだな、と茫洋と思ってしまう。 「はい、自分でも拭く!」  手に新しいおしぼりを握らされる。その手が、意外に大きい事に、俺は驚いた。と言っても、俺よりは小さいけれども。  俺が適当に服のアルコールを拭き取ると、彼は漸く満足げに頷いて、それから、ちょっと笑った。その花が咲くような笑顔に、きゅう、と胸が締め付けられる。本当に、何て可愛く笑う人なんだろう、この人は。 「うん、まあ、良いかな」  もう一度頷いて、床を片付け終えた黒服に慰労の言葉を掛ける彼を、俺は見つめる事しか出来なかった。ああ、やっぱり、彼は本当に理想的な人だ。俺は、役目を終えたおしぼりを握ったまま、彼の動きを見つめ続ける事しか、出来なかった。

ともだちにシェアしよう!